障害の有無に関係なく、共に生きる社会を目指した学校がある。全国各地に中学校、高校、大学、大学院をもつ星槎学園だ。創立者の宮澤保夫氏は「人を認める。人を排除しない。仲間をつくる。」を理念とし、子どもたちの教育にあたっている。それは、ユニバーサル社会づくりに通じ、パラリンピック開催を契機とした社会変革におけるテーマでもある。そこで今回は、7年後にパラリンピック開催を控えた日本が、今後どうすべきかについて語ってもらった。

 

伊藤: 今回は星槎学園グループの宮澤保夫さんを迎えて、社会変革最大のチャンスとなる 2020年東京オリンピック・パラリンピックについてお話をうかがいます。宮澤さんが経営する星槎学園グループは「人を認める。人を排除しない。仲間をつくる。」を理念としています。

宮澤: 人が共に生きるということに対して、あまりにも希薄だと感じたことがきっかけでした。たまたま僕たちは教育という面から「共に生きる」ということをテーマとしていますが、さまざまな面から広がっていくといいですよね。特にスポーツは、「共生社会」を考えるうえで、最適なものだと思います。スポーツをすると、必ず人とのつながりができる。指導者がいて、一緒に頑張る仲間がいて、競争相手がいて......支え、支えられるという関係性が築かれる。まさに「共に生きる」ことを実践しているわけです。

 

 "成長"から"成熟"へ

 

伊藤:  20年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定しました。特にパラリンピックを考えると、世界各国から選手だけでなく、観客においても障害のある人、ない人がたくさん来ます。その方たちをきちんと迎え入れ、そして大会を運営することのできる社会の仕組みづくり、そしてまちづくりを、今後7年かけて行なっていくことになります。

宮澤: 東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定したからには、私たち国民は単にスポーツの祭典ととらえるのではなく、障害のある人も含めて世界の人々を迎え入れる責任感や覚悟を持たなければいけないと思うんです。

 

二宮:  1964年に東京オリンピックが開催されましたが、約1カ月後にはパラリンピックも開催されているんです。ですから、夏季に限って言えば、 20年は2回目のオリンピックであると同時に、2回目のパラリンピックでもある。では、そこで日本はどんな姿を見せられるかということが問われてくると思います。

伊藤:  64年の時とは時代背景も違えば、国際社会における立場も違う。その中で、日本はどんな姿を見せることができるのでしょうか。

 

二宮: 高度経済成長期真っ只中にあった 64年は、戦後復興とともに"成長"モデルを海外に示し、国民に勇気を与えました。しかし、今度も同じというわけにはいきません。 20年は"成熟"した国のモデルを示すべきでしょう。例えば、高齢化率ひとつとっても、 64年は65 歳以上が全人口のわずか6%だったのが、 20年には約30 %になると予測されています。ならば、高齢者に優しい街づくり、都市づくり、国づくりを目指していかなければなりません。これは多くの先進国が抱えている問題でもありますから、日本がモデルとなるくらいの気概をもってほしい。そこで重要となるのが、オリンピック以上にパラリンピックです。ある意味、障害者は高齢者の先輩でもある。歳をとれば、誰でも多少なりとも体に異変を感じるわけですから。つまり障害者にとって生きやすい社会づくりは、ひいては超高齢社会を見据えたまちづくりにつながっていく。課題先進国として日本がその解を示す絶好の機会ととらえるべきかもしれません。

 

(第2回につづく)


宮澤保夫(みやざわ・やすお)プロフィール>
1949年生まれ。1972年に生徒2人の学習塾を開いて以来、教育界に革命を起こし、子ども達のために必要な学びの場を作り続けている。1985年に日本初の企業外にある技能連携校「宮澤学園」(現 星槎学園)を設立。1999年以降、不登校や発達の問題を抱える子どもたちも受け入れられる日本初の学習センター方式を採用し、登校日数を自分の状況で決められる登校型広域通信制高校や、特区を用いた教育課程を弾力的に運用できる中学校や高校を開校。2004年には通信制大学「星槎大学」、2013年には大学院を開設するなど、保育園・幼稚園、中学校から大学院を有する星槎グループを創設。2010年には、困難な環境にある国内外の子どもたちを、主に教育と医療の分野でサポートする「世界こども財団」を設立。


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