1612suzuki9「持久走は得意だった」という鈴木健吾だが、はじめから陸上競技に夢中だったかと言われるとそうでもない。きっかけも全国高等学校駅伝競走大会(全国高校駅伝)に出場したことのある父親の薦めが何よりも大きかった。

 

 活発な幼少期を送っていた鈴木が陸上を始めたのは小学6年時だった。所属していたソフトボールチームを引退したタイミングで、三浦ランニングクラブに入団した。同クラブの土居岩寛代表と父・和幸が知り合いだった縁もあった。小学校を卒業するまでと在籍した期間は短かったものの、土居からも「将来的に楽しみな感じやね」と話をされたという。

 

 鈴木は地元の城東中学に進むと陸上部に入り、本格的に競技へ取り組むようになった。父・和幸も時にはコーチのように息子を指導した。

「中学の時は『しっかりストレッチしろよ』『筋トレしろよ』などと言われました。バイクでついてきて一緒に走ったりもしたこともあります」と鈴木本人は振り返る。

 

「最初はどちらかというとやらされている感じもあった」という鈴木だが、徐々に陸上一筋へと想いは変わっていった。「中学の後半になるにつれて、勝負にこだわるようになりました」。レースに出て負けて悔しい思いをしたり、自己ベストが出てうれしい気持ちも味わった。元来は負けず嫌いの性格だ。火が付けば、その想いは加速する。「そういう経験をしていく中で、この先も陸上を続けたいという気持ちが芽生えてきたのかなと思います」

 

 中学3年間で目立った成績は残せなかった。それでも高校は県内の強豪・宇和島東に入学する。進学校としても名高い宇和島東はスポーツ校でもあった。陸上部も全国大会に出場するほどのレベルを誇っていた。

 

 愚直に練習を積んだ高校時代

 

1612suzuki3「これは面白い」。宇和島東高陸上部の和家哲也監督は鈴木を初めて見た時にそう直感したという。鈴木の入学と同時に彼も宇和島東に赴任したため、直々にスカウトしたのは別の人物だった。それでも入学前の春休みに同校の練習に参加した時、鈴木の走りは和家の目に留まった。「まずケガをしない。これは着実に練習積める走りだなと思ったんです。それに身体は小さいんですが、走り始めると大きく見える」。鈴木を含めた当時の新入部員は6人ほどだったが、「この子らで都大路に行こう」と全国高校駅伝出場を目標にした。

 

 実は和家が宇和島東に勤める前の学校の校長先生が、父・和幸の高校時代の恩師だった。「いろいろなところで繋がりがあって、縁とは不思議なもんですね」と和家は笑う。そして入学当初の鈴木を、和家はこう懐しむ。

「練習でもウズウズしている感じです。入学したばかりで、故障もさせたくないので身体を作ること慣れさせること最優先にしました。距離を抑えながらジョグのペースも周りに合わせる感じです。だから健吾はもっと早いペースで行きたい様子が目に見えていましたね」

 

 和家は鈴木を「本当に素直な子」と評する。3年間皆勤賞。朝練でも遅刻はなし、練習を休むことも1度もなかった。練習日誌は丁寧に書く。そんな“優等生”を和家が叱ったのは1度だけである。

 

 1年の夏合宿中のことだった。「ある練習の時、後半ペースが上がらなければいけないのに上がらなかったんです。それで呼び出したら、朝練習と午後練習の間の昼前に自分で走っていたんです。そりゃ動かないですよ」と和家。入部して半年も経たない1年生が練習のし過ぎで注意されたのである。

 

 それほどまでに練習熱心な鈴木は、和家の期待通り、みるみる力を付けていく。地道な努力が実を結んだのは高校3年時だった。この頃には鈴木自身も目標を全国大会に定めていた。大分での全国高校総合体育大会(インターハイ)に1500メートルと5000メートルに出場。5000メートル予選では自己ベストを更新して決勝に進出し、決勝でも10位に入った。

 

 鈴木はエースとしてチームを牽引した。秋の全国高校駅伝愛媛県大会ではエース区間1区を任され、区間2位で襷を繋いだ。宇和島東は3年ぶり6回目の都大路の切符を手にした。四国高校駅伝競走大会では1区で区間賞の大活躍。16年ぶりの優勝へと導いた。

 

 意気揚々と京都へ乗り込んだ鈴木だったが、全国の壁は厚かった。

「力は出し切れたとは思いますが、インターハイで自信になった分、甘く見ていたのかなという部分もあります。結構ボコボコにやられました」

 ここでもエース区間の1区を任された鈴木の順位は21位。中盤までは先頭集団で粘ったが、終盤のスパートにはついていけなかった。

 

 そして鈴木は高校卒業後、生まれ育った四国を離れた。行先は関東。神奈川大学に進学するためだ。「東京箱根間往復大学駅伝競走」(箱根駅伝)で総合優勝2度を誇る名門。鈴木はいつの頃からか「箱根駅伝で走りたい」という夢を見ていた。それを叶えるために選んだ道だった。

 

(第3回につづく)

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1612suzuki5鈴木健吾(すずき・けんご)プロフィール>

1995年6月11日、愛媛県宇和島市生まれ。小学6年時に陸上を始める。城東中学を経て、宇和島東高校に入学。3年時にはインターハイに出場し、5000メートルで10位に入った。同年は全国高校駅伝にも出場した。14年に神奈川大学に進学し、1年時の全日本大学駅伝で三大学生駅伝デビューを果たす。15年の箱根駅伝は6区、16年は2区を走った。今シーズンは3年生ながら駅伝主将を任される。関東インカレ2部の1万メートルで3位入賞。箱根駅伝予選会では日本人トップ、総合3位の好成績でチームの本戦出場に貢献した。身長163センチ、体重46キロ。

 

(文・写真/杉浦泰介、競技写真提供/神奈川大学)

 

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