里崎智也(元千葉ロッテ)第22回「データよりも感性で勝負した第1回WBC」
今年で4回目を迎えるワールドベースボールクラシック(WBC)、第1回大会が行われたのは2006年のことです。この大会で里崎智也さんは正捕手として日本代表を世界一に導びきました。マスク越しに見た第1回WBC激闘の真相を語っていただきましょう。
ストライクゾーンの違い
第1回WBCでまず最初に感じたのがストライクゾーンの違いです。「メジャーのストライクゾーンは外に広い」と聞いていましたが、実際にアウトコースはボール1個か1個半広くて、反対側のバッターボックスのラインの辺りまでストライクになる感覚でした。その分インコースはストライクをとらないんですね。でもゾーンの違いで配球の組み立てや攻め方が180度変わったわけではありません。
ようは審判が「ストライク!」とコールしないだけで、インコースのボールはやはり強打者には有効でしたよ。
あのとき対戦する相手選手のデータがほとんどない状態でした。でも逆にそれが良かったのかもしれません。というのも僕はWBCではデータがない分、「感性」でリードしていたんですよ。
キャッチャーとして打席に入ったバッターをすごく観察しました。バッターボックスに立っている雰囲気、バットの握りや構え、タイミングの取り方、そして来たボールに対する反応などなど、それらを目で見て感じて"このバッターはこうだろうな"と五感をフル回転させて答えを出していました。
"メジャーで何本ホームランを打っている"という情報が頭に入ってなかったのも良かったですよ。もしそんな情報をインプットしていたら感性が鈍っていたでしょうね。"メジャーでホームラン×本か……。じゃあインコースはやめておこう"と。本当はインコースが有効な打者に対しても、そういう判断を下していた恐れもありましたね。
審判のジャッジといえば、塁に出たときのリードに気をつけていました。日本とは審判のボークの判定基準が違う、はっきり言って緩いんですよ。日本ではボークでも、向こうはOKのことがある。来日した助っ人外国人投手がよくボークをとられるじゃないですか。あれは基準が違うからなんですよ。こちらからすれば日本ではボークなのに牽制が来てアウトということもあり得たので、出塁したときにはそこに注意してましたね。
正捕手を務めた僕にとってラッキーだったのは、投手陣に恵まれたことです。渡辺俊介や薮田(安彦)さんなどロッテのチームメイトも多くて、あと主力投手のほとんどがパ・リーグの選手でした。松坂(大輔)、杉内(俊哉)、和田(毅)などなど、実際にミットで受けたとことはなくても、対戦したことがあるので投げるボールのイメージができていた。実際にブルペンで受ける作業は必要でしたが、まるっきりイメージのない投手と組むことが少なかったのも幸いしましたね。
侍ジャパンのキーマンは…
WBCでは「ボールが滑る」とよく言われてますが、僕はミットの手入れをするとき使うオイルを多めに塗ってました。それで少しでもボール表面に潤いを与えて滑らなくしたんですね。でも、「滑る、滑る」言ってたのは試合球に触れた最初の頃だけで、本番ではみんなアジャストしてましたよ。俊介や薮田さんなんかは日本のボールよりも変化球がキレていたくらいですから(笑)。自主トレの時間があるわけですから、試合球にアジャストするのはプロとして当然のことですよ。もし今回、本番の段階でも「滑る、滑る」なんて言ってる選手がいたとしたらプロ失格です。
僕も最初はスローイングのときに違和感を感じていましたが、自主トレの期間で慣れました。考えてみれば日本も統一球採用の10年までは、球団によって違うメーカーのボールを使ってたじゃないですか。「うちはミズノだけどあそこはクボタで、あっちはゼットか」なんていう時代でしたから、違うボールに慣れるのは実は難しくないんですよ。
ただ僕らが第1ラウンドを終えてメジャーとの練習試合のためにアリゾナに行きましたが、このときは空気の乾いた土地だったのでまた滑りを実感しました。アメリカに行ってからは手の保湿にすごく気を使ったのを覚えています。
第4回WBCが近づくにつれて「今回の日本代表のキーマンは誰だと思いますか?」とよく聞かれます。でも答えられないんですよね。なぜなら今の日本代表のビジョン、戦い方が見えてこない。「小久保ジャパンはこういう野球をします」というのが、昨年11月の強化試合を見てても感じられませんでした。
足を絡めて小技でかき回して勝つのか、力と力の真っ向勝負を挑むのか、それが見えません。例えばノーアウト一、二塁で筒香(嘉智)に回ったときにバントをさせるのか? 中田(翔)にも送らせるのか、などチームとして姿勢が見えない。たとえば原辰徳さんが監督だったら中田でも筒香でもサインは送りバントでしょう。それで1点という野球が想像できるんですが……。
世界一になった最初のWBCを振り返ると楽しかったという思い出しかありません。今みたいにSNSが発達してないしスマホもなかったので、日本国内がどうなってるのかまったく分からなかった。だから決勝でキューバに勝って帰国したとき、空港に大勢の出迎えの人たちがいて、「なんだ、これは!?」って浦島太郎状態でしたよ。
第2ラウンドで苦戦したと言われますけど、あれはアメリカ戦で審判の誤審があったからです。あのタッチアップがセーフのままなら日本は2勝1敗で決勝ラウンドに進んでたんですから。でもメキシコがアメリカに勝ったときには「神様はちゃんと見てるんだな」と思いました。とんでもない悪いことがあった分、ちゃんと埋め合わせをしてくれたんですから。
そういう意味では世界一というのは簡単にはなれるものじゃありませんよね。実力はもちろん運も必要です。今度の侍ジャパンの結果は神のみぞ知るですが、最高の舞台で戦えることを誇りに思って、いつも以上のプレーしてほしいですね。
<里崎智也(さとざき・ともや)プロフィール>
1976年5月20日、徳島県出身。鳴門工業高を卒業後、帝京大学に進学。98年のドラフト2位で千葉ロッテに入団。03年、規定打席未満ながら打率.319の成績を残し1軍に定着した。05年、プレーオフ最終戦で逆転タイムリーを放つなど日本一に貢献。06年、第1回WBCでは正捕手として活躍し世界一に貢献した。10年、レギュラーシーズン3位からクライマックスシリーズを勝ち上がり、「下剋上」で日本一を達成。14年シーズンで現役引退。通算1089試合、108本塁打、458打点、打率.256。ベストナイン、ゴールデングラブ賞2度受賞。