キャンプが始まると、必ず“柵越え”という文字が目に飛び込んでくる。

 

 

 新外国人やルーキーがフリーバッティングで、何本スタンドに放り込んだか。いわば期待の大きさを示す、ひとつの指標である。

 

 メジャーリーグ通算226本塁打(来日以前)のロブ・ディアーが阪神に入団したのは1994年のことだ。キャンプ地の高知県安芸市の球場に珍しいシロモノが登場した。

 

 その名も“ディアー・ネット”。レフト場外に規格外の打球を放つものだから、危険防止のため球団が高さ20メートルの防護ネットを張ったのである。

 

 だが、しかし――。シーズンが始まり、ベールを脱ぐと、その姿は“巨砲”どころか“虚砲”だった。70試合で打率1割5分1厘。売り物のホームランは、わずか8本。8月には右手親指を故障し、そのまま帰国してしまった。

 

 不振の原因は、日本のピッチャーの精度のいい変化球についていけなかったこと。バットの届かない外角のボール球を強引に引っ張りにかかり、空を斬って三振の山を築いた。彼の辞書に「選球眼」の三文字はなかった。

 

 それ以来、“柵越え”という文字を目にしても、疑ってかかるようになった。実際、第2、第3のディアーはたくさんいた。

 

 キャンプではバットを豪快に振り回すことよりも大切なことがある――。それを教えてくれたのが、ホームラン868本の王貞治である。

 

「今のバッターはキャンプ中ブルペンに行かない。なぜ行かないんだろうねぇ」

 

 いつだったか、不思議そうな面持ちで、“世界の王”は語り、こう続けた。

「僕は現役の頃、キャンプが始まると、まずブルペンに足を運んだ。そこでピッチャーが投げるボールをしっかり目に焼き付ける。ストライク、ボールも自分で判断していましたよ」

 

 王の驚異的な選球眼はブルペンでの“目慣らし”によってもたらされたものだった。

 

「はっきり言って、僕は審判よりもストライク、ボールの判定に関しては自信を持っていました。だから僕がボールと判断して見逃したのに、審判がストライクと言おうものなら“審判が間違えたな”と思っていましたよ」

 

 当たり前のことだが、どんなにパワーがあっても、スイングスピードが速くても、バットがボールに命中しなければ、ヒットにもホームランにもならない。動体視力の重要性は、もっと認識されてしかるべきだろう。

 

<この原稿は2017年2月21日号『漫画ゴラク』に掲載された原稿です>

 


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