痛烈な打球がセカンド方向に飛び、“抜けた!”と肝を冷やした瞬間、菊池涼介がボールに飛びつき、事なきを得る。現在、開催中のWBCでも度々見られる光景だ。特段、鳥肌が立ったのは12日のオランダ戦だった。1点リードの7回裏、ヒット性の当たりを横っ飛びでキャッチすると、セカンドのベースカバーに入った坂本勇人へ迷わずグラブトス。アウトを奪いチームを救った。今の侍ジャパンは菊池の守備でリズムを作っていると言っても過言ではない。菊池のアクロバティックな守備の原点はどこにあるのか。2年前の原稿で振り返りたい。

 

<この原稿は2015年3月14日号『週刊現代』に掲載されたものです>

 

 ♪疾風のように現れて、疾風のように去っていく~

 

 広島のセカンド菊池涼介の神出鬼没の動きを見ていると、つい川内康範が作詞した『月光仮面は誰でしょう』の一節を口ずさんでしまう。

 

 抜き足、差し足、忍び足。軽快なフットワークでヒット性の打球に追いつき、何事もなかったかのように、それを処理する。手際のいい仕事ぶりは、まるで忍者のようだ。

 

 まずは“被害者”を代表して、昨季、右打者として日本人最多の193安打を記録した山田哲人(東京ヤクルト)の弁。

 

「正直言って、菊池さんのいる方には(打球が)飛んでほしくない。(打球に対する)一歩目が恐ろしく速いんです。打つと同時に動いている。大好きなバッティングなのに、打ちたくないという気分にさせられたのは菊池さんが初めてです」

 

 昨季はセカンドで535補殺を記録し、自らが2013年につくった日本記録(528補殺)を更新した。

 

 ちなみに補殺とは、打球を処理し、送球してアウトにした場合などに記録される。内野手にとっては守備範囲の広さを示す指標のひとつと言えよう。球界の地味な専門用語に光を当てただけでも菊池の功績は大きい。

 

 これを受け、屈託のない表情で本人が明かす。

「僕も最初は補殺と聞いても何のことかさっぱりわからなかった。周りが騒ぎ始めて、その気になってきたんです。(日本記録を)1回超えたら、また次もと意欲がわいてきて、もちろん今季も(自分の記録を)超えたいと思っています。“(補殺記録の)1、2、3位は全部オレじゃん!”みたいになればいいですね」

 

 専門誌『週刊ベースボール』に千葉功氏の記録に関する興味深いコラムが掲載されていた。菊池を主力とした昨季の広島のセカンドの守備機会は12球団を通じて1位。<最下位の阪神の746に167の差をつけていたとは、1試合に1個以上も阪神の二塁手よりボールに触れていることだ>(14年12月29日号)

 

 どこに打っても菊池がいる、とは多くのバッターが口にするセリフだ。かといって無理に三塁方向に打てば、それこそ思うつぼ。今や菊池の存在そのものが、相手にとっては“アリ地獄”と化している。

 

 再び「月光仮面は誰でしょう」の歌詞から。

 

 ♪どこで生まれて育ってきたか、誰もが知らないなぞの人~

 

 東京都東大和市の出身。長野の武蔵工大二高(現東京都市大塩尻高)から岐阜の中京学院大に進んだ。

 

 93年に産声をあげた同大野球部は東海地区大学野球連盟の岐阜リーグに所属するが、当時は、まだ1度もリーグ優勝がなかった。

 

 大学に入ったばかりの頃の菊池は「誰もが知らないなぞの人」だった。隠れ里に潜む忍者を見つけ出したのが広島のスカウト松本有史である。

 

「彼を初めて見たのは大学1年の時、コーチをしていた僕の大学(亜細亜大)の先輩と同級生から“いいのが入ったから見に来い!”と連絡を受け、足を運びました。

 

 最初の印象は“なんや、こいつは!”。足は速い、肩は強い、動きはいい。ボール回しで菊池の投げるボールを捕れない選手もいた。周りが彼の動きについていけなかったんです」

 

 大学時代のポジションはショート。ある試合で二塁ベース後方の打球を飛びついて捕り、立てヒザのままで矢のような送球を一塁に送った。

 

 そのシーンを見て、内野手出身の松本はうならざるを得なかった。

 

「こいつ、デレク・ジーターやな!」

 

 ジーターとは昨季までヤンキースでプレーしたメジャーリーグ史上に残る名ショート。通算3465安打は歴代6位。守備もうまく、5度のゴールドグラブ賞に輝いている。以降、“和製ジーター”を追いかける日々が始まった。

 

(後編へつづく)


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