広島の時代を作る 菊池涼介<後編>
余談だが、松本は“持っている男”である。わずか6年の現役生活ながら、4打席連続死球という珍しい記録を持っている。転んでもタダでは起きない男だ。
<この原稿は2015年3月14日号『週刊現代』の原稿を一部再構成したものです>
その松本が肝を冷やしたのが、菊池の大学3年時である。平塚で行われた大学日本代表候補の合宿に招集されたのだ。
「これはしまった、と思いました。菊池の存在が公になってしまいますから。しかし、こちらにとって運のいいことに彼は落選した。無名校の選手ということも理由にあったようです。シメシメでしたよ」
一見、自由奔放にも映る菊池のイマジネーションあふれるプレーは、どのようにして育まれたものなのか。
中京学院大の監督・近藤正の話を聞いて、その一端に触れることができた。
「私の指導のモットーは“選手たちに、野球を嫌いにさせないこと”。だからプロのようなジャンピングスローもシングルハンドキャッチも認めていました」
練習後はパチンコ屋でバイト。ヒマな時は釣り。野球漬けとは無縁の日々だった。
「まぁ、ゆるいところでした」
苦笑を浮かべて、菊池は大学生活を振り返る。
「ああしろとか、こうしろという指導を受けたことは1回もない。高校時代は“縛られた生活”だったので、大学に入って、また野球が楽しくなった。僕にとってはいい環境でした」
12年にドラフト2位で広島に入団。当時の野村謙二郎監督の「強肩ゆえゲッツーがとれる」との判断でセカンドに転向した。
2年目の13年にレギュラーに定着。ゴールデングラブ賞には昨季と合わせ、2年連続で選出された。今では侍ジャパンの一員に名を連ねる日本を代表する内野手である。
ヒット性の打球を難なく処理する――つまりファインプレーをファインプレーに見せないのが名手の条件だとしたら、菊池はその右代表である。
菊池とは同学年で、広島のセンターを守る丸佳浩が呆れ顔で言う。
「外野手はカーンと音がした瞬間、だいたいどこに飛んでくるかがわかる。キクはヒットと思った打球まで捕ってくれるから助かります。本当は“おおっ!”と驚かなければならないんでしょうけど、見慣れてくると普通になっちゃう。逆にそれがキクのすごいところなんでしょうね」
「いぶし銀」でない新時代の名手
昨年11月12日に行われた京セラドームでの日米野球第1戦。2対0で侍ジャパンが完勝したこのゲーム、3回表にビッグプレーが飛び出した。
1死無走者でベン・ゾブリストが放った一、二塁間を襲う強烈な打球を球際で処理した菊池は体をクルリと回転させて正確無比なボールを一塁に送った。このプレーはメジャーリーグの公式サイトでも「離れ業」と動画で紹介されるなど話題になった。
助けられたマウンド上の前田健太は菊池に向かって口パクで何かつぶやいた。いったい、何と言ったのか。
菊池によると、「いつもどおり、いつもどおり」。ファインプレーを見慣れているチームメイトからすれば、別段、驚くに値するプレーではなかったのだ。
侍ジャパンの内野守備走塁コーチを務めるゴールデングラブ賞4度受賞の仁志敏久に菊池の評価を求めると、「スーパーセカンド」という答えが返ってきた。
「足の速さといい、反応の早さといい、別格。過去の名セカンドと言われた選手と比較しても、彼のポテンシャルは段違いです。いまだかつて彼のようなセカンドはいなかったんじゃないでしょうか」
セカンドに対する褒め言葉といえば、これまでは「いぶし銀」や「職人芸」が定番だった。高木守道しかり、土井正三しかり、辻発彦しかり、近年では荒木雅博(中日)や藤田一也(東北楽天)しかり……。だが、菊池の守備は、そうした手垢のついた言葉では表現しきれない。
三たび、川内康範の歌詞を引く。
♪夢を抱いた月の人~
そう、菊池涼介は平成の球界に突如として出現した“月光仮面”である。
(おわり)