下水流昂は、これまで常に全国レベルの中でプレーしてきた。「全国制覇」も2度経験している。1度目は小学6年の時、緑中央リトルシニアで「ジャイアンツカップ全国少年野球大会」を制した。主将の下水流は決勝で2死満塁から走者一掃の逆転タイムリーを放っている。2度目は横浜高3年時のセンバツ。準決勝、決勝では4番を任せられるなど主力として活躍し、打率3割5分3厘、8打点をマークした。卒業後は東都リーグの青山学院大、そして昨年からは社会人野球の強豪・Hondaでプレーした。まさにエリート街道を走ってきたと言っても過言ではない。だが、そんな下水流にも野球を続けることを諦めそうになった時期もあったと言う。果たして、どんな試練を乗り越えてきたのか。
―― ドラフト会議の日から約1カ月。今の心境は?
下水流: 12日に仮契約も無事に終わり、いよいよだなという思いでいますね。

―― ドラフトで名前を呼ばれた瞬間は?
下水流: 野球部のみんなと食堂のテレビで観ていたのですが、名前が呼ばれた瞬間に僕以上にみんなが喜んでくれたんです。それが何よりも嬉しかったですね。

―― 呼ばれるまではどんな気持ちで待っていた?
下水流: 当日は試合があったので、合宿所に帰ってきてからまずはお風呂に入ったり、洗濯物をしたり……。それから食堂に行って、3巡目くらいから見始めました。正直、指名される自信はありませんでした。指名されるかもしれないという話が出たのは、ドラフトの1カ月前くらいで、それまでは全くそんな話はなかったんです。「3年目の来年は、ラストチャンスだな」と覚悟を決めていたくらいです。だから名前を呼ばれた時は、嬉しかったのと同時に、驚きもありました。

―― 広島からはどんなところを評価されたのか?
下水流: ううん……どうなんでしょうか(笑)。とにかく体の強さには自信があります。走攻守、いずれにおいても身体的能力は他の選手にも負けていないと思うので、そのあたりを評価されたのかなと。あとはこれからののびしろに期待されていると思っています。

挫折から生まれた転機

 下水流が初めて挫折を味わったのは横浜高時代である。言わずも知れた甲子園常連校で、これまで春夏あわせて5度の全国優勝を誇る強豪校には、全国から優秀な選手が集まってくる。そんな中、下水流は野球を続けることを諦めかけたという。しかし、逆にそれが彼をプロ野球選手へと導いた転機となったのである。

―― 野球を始めたのは?
下水流: 兄がやっていた影響で、小学2年の時にチームに入りました。他のスポーツは一切、やらなかったですね。野球一筋でした。

―― ポジションは?
下水流: 今は外野なのですが、高校1年まではずっと内野をやっていたんです。高校2年の時に外野にコンバートしました。

―― コンバートのきっかけは?
下水流: 簡単に言えば、内野では「使えなかった」からです(笑)。内野の全ポジションをやらせてもらったのですが、結局、全てダメでした。横浜には全国からレベルの高い選手がたくさん集まってきますから、僕のレベルでは通用しなかったんです。その時はもう、「野球を続けていくのは無理だな」と諦めかけました。結構、辛かったですね。でも、2年の時にたまたま外野が空いていたんです。それで余っていた僕を使ってもらったのがきっかけでした。

―― 内野よりも外野の方が向いていたと?
下水流: まぁ、内野ではダメでしたから、外野に行くしかなかったですからね(笑)。でも、僕にとっては非常に大きな転機となりました。もともとバッティングは、まぁまぁという感じだったのですが、内野の時は守備のことで頭がいっぱいで、それほど良くはなかったんです。でも、外野に行った途端に、少しだけですけど、バッティングが良くなりました。気持ちに余裕ができたことが大きかったのだと思います。

「振らないことには何も始まらない」

 昨年、Hondaに入社した下水流だが、この2年間はケガに泣かされ続けてきた。そのため、「社会人時代は何も結果を残すことができなかった」と悔やむ。しかし、だからこそ「プロの世界ではしっかりと活躍をしたい」という気持ちは強い。

―― 社会人時代で一番印象に残っていることは?
下水流: 今年の都市対抗2回戦、東芝戦でやってしまった2つの見逃し三振です。なぜか打席に入ると、バットが振れませんでした。おそらく空振り三振することを怖がり過ぎたのだと思います。

―― 空振りを怖がっていたのは、なぜ?
下水流: もともと三振が多いのが僕の課題だったので、今年は三振を減らそうと。その結果、今度は見逃しが増えてしまった。普段は真っ直ぐを待って、変化球にもタイミングを合わせるのですが、その時は空振りしないようにと、ボールを見ようとし過ぎて、無意識に変化球待ちをしていたんです。そしたら、逆に直球にタイミングが遅れてバットが出なくなってしまいました。

―― 長距離バッターが真っ直ぐを見逃すというのは、空振りよりもショックが大きいのでは?
下水流: そうなんですよ。その時は自分が何を目指しているのか、わからなくなりました。「これはヤバい」と思いましたね。思い切って振って、空振りした方がまだマシなのに、その割り切りがなかなかできませんでした。その後は、見逃しだけはしないように心がけました。2ストライクに追い込まれたら、真っ直ぐを待つしかないですから、そこはもう割り切るようにしました。空振りでいいというわけではありませんが、バットを振らないことには、何も起こりませんからね。

―― そのほか、打席で心掛けていることは?
下水流: 打席に入る時には「対自分」にならないようにしています。「ここで三振したらどうしよう」とか、そういうことが頭にあると、ピッチャーと対戦する前に負けなんです。いかに「対ピッチャー」となれるか。調子がいい時には自然とそうなれるのですが、調子が悪い時、特にチャンスを逃してしまった次の打席で、いかに気持ちを切り替えられるかが重要だと思っています。

―― 構えた時に、バットの先をクルクルと動かしているのは?
下水流: 動かしていたいんですよね。ピタッと止めていると、なんだか気持ちが悪い。ちょっと動かしながら待っている方がタイミングを取りやすいんです。

―― バットを高く構えいてるのは?
下水流: なるべくムダな動きを省くようにするためです。バックスイングを取らずに、そのままバットを出したいので、トップに置いています。

―― 理想のバッターとは?
下水流: やっぱり長打がバンバン打てるようなバッターですね。その点を球団からも期待されていると思います。理想で言えば、Hondaの先輩である長野久義さん(巨人)みたいなタイプになりたいです。確実性があって、一発もある。塁に出れば足もあるというような選手を目指しています。

 今季、パ・リーグの最優秀選手に輝いた吉川光夫(北海道日本ハム)をはじめ、2010年に沢村賞を獲得した前田健太(広島)、東北楽天のエースとなった田中将大など、同級生にはプロの第一線で活躍する選手が多い。来年には彼らと同じ舞台へと立つ下水流。同級生らとの対戦も楽しみだ。

下水流昂(しもづる・こう)
1988年4月23日、神奈川県生まれ。小学2年から野球をはじめ、6年の時には緑中央リトルシニアの主将として「ジャイアンツカップ全国少年野球大会」で初優勝に貢献した。横浜高2年時に内野から外野へコンバートしたことによって、レギュラーの座をつかむ。3年時には春夏連続で甲子園に出場し、春のセンバツでは全国制覇を果たした。青山学院大では1年春からリーグ戦に出場し、4年時には前年秋に2部に降格となったチームを主将として牽引し、1部復帰へと導いた。2年春、4年秋にはベストナインに選出。昨年、Hondaに入社し、2年連続で都市対抗に出場した。178センチ、85キロ。右投右打。

(聞き手・斎藤寿子)

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