宇山賢(フェンシング・エペ/香川県高松市出身)第3回「恩師のひと声」

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170417第三回1 香川県立高松北中学・高校にはフェンシング部がある。宇山賢が中学生だった当時、比較的フェンシングが盛んな四国でも、中学でフェンシング部が存在するのは非常に珍しかった。2つ上の兄は一足先に高松北中学のフェンシング部で汗を流していた。

 

(2017年4月の原稿を再掲載しています)

 

 宇山は中学入学後、初めての国語の授業でフェンシング部の顧問でもある渡辺秀才に教室で「宇山の弟はいるか」と声をかけられた。

 

 この時のことを渡辺は、こう懐古する。

「雰囲気的に、周りの生徒のことを考えて気さくに声をかけました。“フェンシングするんか?”と。宇山の反応は“あぁ、はぁ”という感じでした」

 

 宇山は煮え切らない返事をした。宇山はまだ、さほど渡辺のことを知らないのだから無理もない。それでも渡辺は構わなかった。「フェンシングは競技人口が少ない。僕としてはたくさんの生徒にやって欲しい。誰それ構わず声をかけているわけではないですが、僕が知っている子だったので、宇山には“やってみんか?”と言いました」

 

 テニス部に入ろうか、吹奏楽部でパーカッションドラムをやろうか悩んでいた宇山。しかし「(渡辺の言葉に)押し切られた感はありますよね」と渡辺の門下生となる。

 

 初めてフェンシングに触れた宇山の様子を顧問の渡辺は「周りの子と一緒です。おどおどしながらやっていた(笑)」と懐かしそうに振り返る。一方、宇山の感想はこうだった。

 

「ものを躊躇なく人にぶつける感覚なんて、わからないじゃないですか。それと相手が向かって来る。恐怖心はなかったですが、こちらが何もしていないと、相手は突いてくる。そういうのは新鮮でした」

 

 宇山は「中学でフェンシング部に入部しましたが、高校から本格的に取り組み始めましたね。中学では、お遊び程度と言いますか、触る程度でした」と語る。実際、顧問の渡辺の方針は中学、高校の6年単位で生徒を成長させるというものだった。中高一貫校だからこそ、である。渡辺は、中学生にはあまりハードな練習は課さない。「フェンシングに興味を持ってもらえれば」というスタンスのもと、宇山はのびのびとフェンシングに取り組むことができた。

 

 現在、エペで活躍する宇山だが、中学の部にはエペという種目はない。当時、宇山はフルーレで戦っていた。中学生のフェンシング人口が少ないせいもあり、「無条件で全国大会に出場できた」という。しかし、そこから先はなかなか上位に進めなかった。

 

「予選をなんとか上がって、トーナメント一回戦で負けて帰るのが中学時代は当たり前でした」

 

両親との駆け引き

 

170417第三回2 宇山は中学時代の自身を「物欲に溢れていた」と表現する。欲しい物を手にするために宇山家にはルールがあった。例えば、“学年テストで10番以内に入ったら携帯電話を買ってもらう”といった具合だ。「きちんと、テスト前に交渉しないといけませんでした」と宇山。テストの結果が出てから、ねだるのは反則だった。

 

 宇山の母はこの制度を「あぁ、アメとムチです(笑)」と語り、こう続けた。

「兄は“これが欲しい”とは、あまり言わなかったです。(賢は)目標がないと、動かない子でした。だから、何か仕掛けておかないと(笑)。兄とはそういう面で性格が少し違いましたね」

 

 この頃から宇山は母と駆け引きをしていた。中学生にとって、テストの成績次第で欲しい物が手に入るとなれば、“真剣”になる。この時点で彼は立派な“フェンサー”だったのかもしれない。

 

 くだらない冗談はさておき、母の仕掛けの甲斐もあり、宇山の成績は優秀だった。国語教師の渡辺は「真面目で賢い子でした。成績も上位でしたよ」と宇山の優等生ぶりを語った。

 

 元々、身長が大きかった宇山だが、中学2年の後半からさらに体の成長が加速する。渡辺が「ニョキニョキ、ニョキニョキ伸びた」と表現するほどだ。中学の終わりには180センチ近くになった。

 

 高松北中学は一貫校。エスカレーター式で高校に進学ができる。このタイミングで宇山は「受験して他の高校に行くのも選択肢のひとつ」と考えがよぎる。ところが、「オマエはまだ、エペをやってないだろう」と渡辺に言われた。宇山は考えを改め、そのまま高松北高校に進学した。

 

 身長が高い方が有利と言われるフェンシング・エペ。日本人には不利と言われる種目だが、渡辺は自らの教え子に世界で戦える可能性を見出す。

 

「学年でも一番背が高くなった。フェンシングの基本は教えました。宇山は身長があって、リーチが長いだけでなく、懐が深いんです。これはエペをやる上において、すごく有利です」と渡辺は教え子を評した。

 

 高校からはエペにも取り組みはじめた宇山。ここから、彼は山あり谷ありの人生を迎える――。

 

(最終回につづく)

 

IMG_1884(プロフ用)<宇山賢(うやま・さとる)プロフィール>

1991年12月10日、香川県生まれ。兄の影響で中学1年からフェンシングを始める。県立高松北高2年時にインターハイ優勝。高校卒業後は同志社大学商学部に入学。全日本学生選手権を2回生から3連覇を果たす。同大卒業の14年、家具量販店に就職するが、フェンシングとの両立を考え同年9月に退社。その1年後、三菱電機に入社した。15年、16年ワールドカップ男子エペ個人で銀メダルを獲得。16年アジア選手権男子団体の優勝メンバー。身長189センチ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 

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