宇山賢(フェンシング・エペ/香川県高松市出身)最終回「たかが15センチ、されど15センチ」
宇山賢は香川県立高松北高校へ進学した。高校ではフルーレを主戦にしつつ、エペにも取り組んだ。ルールが違えば、種目の特性も異なる。エペを始めた頃を、宇山はこう振り返る。
(2017年4月の原稿を再掲載しています)
「フルーレは(両腕を除く)胴体だけを狙い合えばいいので、エペに比べて守る範囲が狭いんです。エペは全身が有効面。足の先を防御しようとすると、動作が大きくなる。そうなると他ががら空きになってしまう。なんとか頭を切り換えて取り組むしかなかったんです」
それでも、顧問・渡辺秀才の見立て通り、宇山は徐々にエペに順応する。そして高校2年生で才能が開花。インターハイのエペ部門で宇山は優勝を果たす。初の全国制覇にも本人は「まぐれです。エペの経験も浅かったので勢いだけだった」と謙遜した。このあたりが実に、宇山らしい。
だが、本人とは違う見解の持ち主がいた。顧問の渡辺である。
「優勝するだけの爆発的な力は持っていました。予選の最初の方は僕の教えた戦術通りに戦って何とか勝ち上がった。途中からは僕がひとこと、ふたことアドバイスをするだけで、彼自身でポイントを押さえて自分で勝ち上がっていきました。宇山を見ていて、“これは持っているな”と」
“持っている”とは具体的にどういうことか。渡辺の説明はこうだ。
「宇山は自分が優位になるタイミングや間を作り出せる。それに加え、相手の呼吸を読むのがうまくなったんです。そうすると、相手が前に出ざるを得ないような誘い方ができるようになった」
手にした優勝トロフィーには、優勝者の名前が書かれたリボンが括り付けられる。宇山の名前もそこに加わるのだが、歴代覇者には、見慣れた名前もあった。“渡辺秀才”である。渡辺は高校3年生の時にインターハイを制していた。「宇山の方が1年早く優勝したから、“この野郎”という気持ちもあった(笑)。でも、それよりも教え子の優勝が嬉しくてねぇ。彼の名前と僕の名前が書かれたリボン、2つ並べて写真を撮ったことを思い出します。その時に、宇山には“もっと上を目指さな、アカンな”と言いましたよ」
連覇の懸かった3年生の時のインターハイ。宇山は県予選で負けてしまう。渡辺によると、「彼の長所である、相手を読むということが敗因になったのかもしれない……」と口にした。
渡辺によれば、宇山が負けた相手は経験の浅い選手だった。
「相手は何も考えずに思い切り向かって来ているだけなのに、宇山は深読みし過ぎた。相手の動作の裏を読もうとしたり、裏の裏を読もうとしてしまった」
宇山はこの時の敗因を「自分の実力不足」だけで片付ける。決して言い訳はしない。この潔さが彼のプライドであり、魅力でもある。話をしていて、ついつい私は感心してしまった。
グリップの変更で確変
宇山は実力と将来性を評価され、スポーツ推薦で同志社大学に入学した。同志社大は太田雄貴も輩出したフェンシングの名門である。「大学に行って、軽音楽サークルに入ってキャンパスライフを満喫するという理想があったんですけどね」と宇山。これは彼なりのジョークだと私は捉えている。なぜなら、宇山は大学に入学したあたりから“世界”を意識し始めるからだ。大学OBに「この身長ならエペで世界を狙える」と言われ、さらに向上心が強くなったのだ。
だが、ここはフェンシングの雄・同志社大学だ。甘い世界ではない。入部したばかりの頃は、先輩にも歯が立たなかった。「“国内で勝たれへんかったら、世界で勝てる選手になんか、なられへんやんけ”と思いました。それで僕は、1回生の途中から剣のグリップを変えたんです」
ここでフェンシングの剣のグリップについて説明をしよう。フェンシングの剣のグリップは数種類あると言われている。基本的なグリップがベルギアンスタイルと呼ばれるものだ。「ピストル型」と呼ばれることからもわかるように、拳銃を持つように握る。しっかりと剣を握れるため、力強く振れる。宇山はフェンシングを初めてからずっと、ベルギアンスタイルのグリップを使っていた。
もう1つがフレンチスタイル。宇山曰く、グリップが「木の棒のようなタイプ」である。フェンシングのエペで使用するサーベルの剣先は重いため、フレンチスタイルだと力強く握れないのが難点だ。しかし、デメリットだけではない。グリップが長い分、ベルギアンスタイルより若干リーチが長くなる。さらに宇山はグリップ部分の先端ギリギリを持つことで、その特徴を最大限に生かす。「先端を持つことで、普通のフレンチの握りより10~15センチはリーチが長くなるんです」と宇山。素人の私が宇山と同じ持ち方をすると、剣先がぐらぐらと不安定になってしまう。
グリップ変更はパワーを捨てたと言っても過言ではない。宇山はパワーよりもリーチを伸ばす選択をした。この判断が吉と出る。2年生から全日本大学選手権大会のエペで3連覇を達成した。グリップを変更して、この変わりようである。
宇山自身もベルギアンスタイルからフレンチスタイルに変えて、手応えを感じていた。
「パワーではベルギアンに敵いません。それを前提のもとで使っています。フレンチは遠目からチクチクと攻めることができる。ベルギアンは相手の近くに入り込んで叩き合うのが主な戦い方。フレンチの方が、僕の身長の利をより生かせるので、勝つ確率が上がりました」
フェンシング・エペ界では敵無し状態の宇山だったが、就職活動では難儀した。部活での遠征が多く、就職活動に費やす時間が少なかったからだ。何とか4年生の秋に内定を貰い、翌春から社会人生活をスタートさせたが、フェンシングと仕事の両立が難しく、入社年の9月に退職する。
約9カ月間、宇山は無所属ながらも地道にトレーニングをこなしつつ、巡り合った企業が、現在所属している三菱電機だ。JOCがアスリートと、アスリートを採用したい企業をマッチングする制度「アスナビ」で転職活動をしたのだ。今は、収入を得ながらフェンシングに専念できている。この環境のもと、宇山が狙うのは東京五輪日本代表だ。フェンシングのナショナルチームはA、B、Cとランクがある。宇山はトップのAに名を連ねている。15年、16年にはワールドカップで銀メダルを獲得するなど国際大会でも結果を残した。東京五輪は十分、現実的な目標である。
宇山に、東京五輪について質すと、こう返ってきた。
「五輪に出られるなんて、なかなか巡り合えるものではないですよね。しかも自国開催です。リオの時は団体メンバーでのチャンスはありましたが、最終的にはダメでした。“やはり、五輪に出るのは難しいな”と。でも今回はチャンスだと思っています。五輪はどんな場所なのか僕はまだわからない。他の大会と一緒かもしれないし、五輪は特別なのかもしれないし……」
その口調こそ柔らかかったものの、彼の強い決意を見た気がした。東京五輪代表の座を狙う宇山の眼差しは剣先よりも鋭い。未知の大舞台へ立つことができた暁には五輪がどういう場所だったのか、彼独特の優しい口調で聞きたいものである。
(おわり)
1991年12月10日、香川県生まれ。兄の影響で中学1年からフェンシングを始める。県立高松北高2年時にインターハイ優勝。高校卒業後は同志社大学商学部に入学。全日本学生選手権を2回生から3連覇を果たす。同大卒業の14年、家具量販店に就職するが、フェンシングとの両立を考え同年9月に退社。その1年後、三菱電機に入社した。15年、16年ワールドカップ男子エペ個人で銀メダルを獲得。16年アジア選手権男子団体の優勝メンバー。身長189センチ。
(文・写真/大木雄貴)