日本プロ野球における最高のトップバッターといえば、阪急で活躍した福本豊だろう。1065盗塁は歴代1位、2543安打は歴代5位を誇る。しかし、福本が縦横無尽にダイヤモンドを駆け抜けた陰には、2番打者のアシストがあったことも見逃せない。福本が盗塁を決めるまでバットを振らず、アウトになりそうなタイミングなら飛びついてでもカットする……。そんな黒子を長きに渡って務めた選手が大熊忠義だ。自らの個人成績が落ちることも厭わず、小技や進塁打などでチーム打撃に徹した男に、二宮清純がその極意を訊いた。
(写真:引退後は阪急・オリックス、阪神でコーチを歴任し、女子プロ野球の監督も務めた)
二宮: つなぎ役は、今では犠打を多く決める選手を差すことが多いですが、大熊さんの成績を見ると、77年の22個が最高です。1ケタ台のシーズンもあります。判で押したようにバントばかりしていたわけではない。
大熊: そうなんですよ。どちらかといったら、おっつけての進塁打。そのほうがラクでしたよ。バントも基本的には福本が盗塁で二塁に行ってから、サードへ送るために使っていたと思います。福本が出塁すれば、ほぼ二塁までは進んでくれますからね。

二宮: 進塁打と一言で言っても、打つのは簡単なことではありません。コツはあるのでしょうか。
大熊: まず大前提としては打つ方向はともかく、ゴロを転がすことです。慌ててフライを打ち上げるのが一番よくない。

二宮: なるほど。ゴロを転がせば福本さんの足をもってすれば、次の塁に進んでくれると。
大熊: そして、ボールをしっかり呼び込むこと。ポイントを普通より2つ分くらい後ろに持ってきて、バットのグリップをボールに入れる感覚で、ポーンと手首を返す。グリップからバットを入れる感じにしないと、ヘッドが早く出て詰まってしまいます。

二宮: この打法は誰から教わったんですか?
大熊: ヘッドコーチの青田昇さんです。当時は若手が青田さんの下、朝から特打をしていました。とはいえ主目的は長池徳士を育てるためで、僕らはゴミみたいなもんですよ(笑)。ただ、その時、青田さんが自ら手本を見せてくれたんです。それがボールを引きつけて手首をコーンと返す打ち方。軽く打っているように見えるのにスタンドまで運んでしまう。“すごいな、このオッサンは”と驚きましたよ。それで教わったのが、“強い球を打ちたいなら、ボールの球筋の中へグリップを入れろ”ということだったんです。

二宮: いわゆるインサイドアウトでボールをさばくということですね。
大熊: その打法を踏まえた上で、右方向へ打球が飛ぶバットの角度を覚えていくことです。とにかく一、二塁間へ打つんだという意識で、徹底して練習しましたね。キャンプ中でもマシンで1時間ほど、ファールや右打ちの練習ばかりする。今みたいにたくさんケージがあるわけやないから、練習で一緒のグループになった若手からは「大熊さん、ファールばっかりや。何もおもしろないでしょう?」と言われましたよ。他の選手はどんどん打って、気持ちよくボールを飛ばしたい。でも、僕はしつこいから(笑)、何を言われようとファールと右打ちは一生懸命やりました。「おもろないけど、これをやっとかなあかんのや」って。

二宮: 打撃練習から、これと決めたら徹底して続ける。その積み重ねが高い技術を生み出したわけですね。
大熊: 若いうちにそういう練習をしていると、ベテランになって引退する頃にはますます右打ちがうまくなる。パワーが衰えて、ヘッドスピードが落ちるから(笑)。

二宮: バントと見せかけてバスターもよく成功させていた記憶があります。あれは当時、ヘッドコーチや監督を務めた上田利治さんの支持ですか?
大熊: そうです。随所によう決めましたよ。バスターは奇襲戦法のように言われますがそうではない。バスターは相手にバレてもいいんです。むしろバレないように、相手のピッチャーが投げたのに合わせてバットを引いていたら、ボールに差し込まれて成功しない。バットは早めに引いて、打つ構えをつくることが大切です。

二宮: でも、バットを早めに引けば、バントシフトを敷いていた内野手は一旦、前進をやめますよね。
大熊: そこがチャンスなんです。守りの選手の足が止まったところで、またバントをすれば、相手は一歩目が遅れる。最低でも犠打になるし、うまくいけば一塁もセーフになりますよ。構わず前進してくれば、そのまま打てばいい。そういった細工を施すためにも、準備は早くしとかなあかん。

二宮: バスターから、またバントをするかどうかは一瞬の判断になりますよね。バスターのサインが出ているのにバントをしたら、ベンチは「なんだ?」となりませんか?
大熊: そこはチームで、しっかり決め事をつくっておけばいい。実際、阪急は内野手が前進をやめればバント、前進すれば打つという決まりでした。ただ、若い選手は打ちたいから、どうしてもバスターからバントをせずに決まり事を破ってしまう。まだゴロで進塁打になればいいんですけど、ポーンとフライを上げた時は最悪です。監督は「教えとんのか!」とコーチに怒りだす。そのくらい当時の阪急は細かい野球をやっていたんですよ。

<現在発売中の『小説宝石』2013年2月号(光文社)ではさらに詳しい大熊さんのインタビュー記事が掲載されています。こちらも併せてご覧ください>