「運」の重要性すでに知る15歳の驚がく
久保建英に驚かされた。
15歳にして2つ上のカテゴリーとなる20歳以下の代表メンバーに選出されたから、ではない。かなり珍しいケースではあるものの、たとえばマラドーナの場合、15歳11ケ月で1部リーグでの得点を記録し、16歳4ケ月にしてA代表デビューを果たしている。久保が日本ではなく世界のスターを目指すのであれば、たかだか年代別の代表に選ばれたぐらいで喜んでいてはいけない。
だが、彼のコメントには本当に驚かされた。
「サッカーはある意味、運が味方するかしないかのスポーツ。自分は何度か運を味方につけてきた結果、ここにいると思っている」
これには驚いた。ぶったまげた。
久保が言っていることは、まったくもって真理である。サッカーの世界でのし上がっていくには才能が必要だが、才能あるすべての人間がのし上がれるわけではない。
いまも札幌でプレーする小野伸二は、ここ20年間で日本が生んだ最高の才能だとわたしは思っているが、その才能に見合った最高級の高みまではたどりつけなかった。そして、その最大の原因は、彼自身にあったのではなく、わたしが人生において目撃した最悪の反則タックルが、彼の膝に突き刺さってしまったから、だった。
小野と久保。どちらの才能が上かと聞かれたら、正直、言葉につまる。久保の敏捷性と左足の技術は素晴らしいが、視野の広さ、膝の柔らかさでは小野が勝っていたようにも思える。
だが、清水商を卒業したばかりだった18歳の小野は、15歳の久保ほどにはサッカーの真理を理解していなかった印象がある。というより、彼にインタビューをした当時32歳だったわたし自身が、いまの久保ほどにはサッカーの世界を理解していなかった。
恥ずかしながら、人生についても。
50歳を超えたわたしは、おかげでサッカー界に限らず、多くの世界の成功者と言われる方々に話をうかがう機会を持つことができた。その上で得た自分なりの結論を述べるとしたら、「多くの成功者は自分が幸運だったと信じている」ということか。
成功するためには、むろん、才能は必要である。だが、才能だけでは成功し得なかったという実感が、ほとんどの成功者にはあった。多くの人間が齢40、50にしてようやく理解したことを、15歳の久保はすでに自分のものとして持っている。
驚くしかない。
おそらく、バルセロナ時代の久保は、とてつもない才能の持ち主のように思えた先輩や仲間が、冷酷に切り捨てられていくさまを幾度となく見てきたのだろう。
彼は、地獄を知っている。
バルサのようなクラブでは、停滞は、即立場の喪失につながるということも。
未来はもちろん、わからない。ただ、5月20日から始まるU-20のW杯が、近年にないほど楽しみになってきたわたしである。
<この原稿は17年5月4日付『スポーツニッポン』に掲載されています>