佐藤圭太(障がい者陸上)第2回「陸上転向のきっかけとなった“スカウト”」

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1705ch二宮清純: 静岡県生まれだとお聞きしました。サッカー王国と呼ばれるほど、サッカーが盛んな県ですよね。

佐藤圭太: 元日本代表の中山雅史選手も静岡県出身で、僕と同じ藤枝市です。僕は中学までサッカーをやっていて、高校もサッカー推薦で進学しようと思っていました。

 

二宮: それが中学3年でユーイング肉腫にかかり、右膝から下を切断した。これはどのような病気なのでしょうか?

佐藤: 小児ガンの一種で、リンパ系の病気でした。中学2年の時から腫れはありましたが、痛みがなかったのでそのまま放置していたんです。当時はサッカーでできた腫れなのかなと思っていましたが、中学3年になると痛みが出るようになり、耐えきれなくなった。それで病院に行くと「ユーイング肉腫」と診断されました。

 

二宮: 膝から下を切断するのはショックだったでしょう?

佐藤: でも病院の先生からは「義足を付けて、リハビリをすればスポーツはできるよ」と言われていたのが救いでした。義足を付けたばかりのころは立つことすらできませでんした。「すぐに運動ができる」と思っていたので、そのギャップに落ち込んだこともありました。

 

二宮: 義足は自分にフィットするまで時間がかかるとも言われます。

佐藤: そうですね。最初はすごく痛かったですね。皮膚の状態も不安定だったので、毎週毎週調整にいってはソケット(※1)を変えてもらっていましたね。

 

伊藤数子: 陸上を始めたのは、サッカーに復帰するためのリハビリだったとお伺いしました。

佐藤: はい。まず走れるようになろうと思ったんです。でもやっていくうちに陸上が楽しくなっていきました。

 

 ロンドンパラリンピック男子100Mでの衝撃

 

二宮: いつからパラリンピックを意識するように?

佐藤: 高校3年生の時ですね。初めて200メートルで日本記録を更新することができて、そこから意識するようになりました。ある日の静岡で行われた大会で山本篤さん(※2)と春田純さん(※3)に会ったことも大きかったです。

 

二宮: そこでスカウトされたわけですね。

佐藤: はい。元々、陸上はすごく楽しかったですが、始めたばかりの頃はパラリンピックに出たいと考えるまでではなかったんです。陸上をやめて高校卒業後は技師装具士の学校に行こうかなと考えていました。でも、お2人と出会って、パラリピックやパラスポーツの世界を知ることができました。それで一気にこの世界へ入り込んでいったという感じですね。

伊藤: その後の佐藤選手の活躍を考えれば、スカウト大成功ですね(笑)。

 

二宮: 2012年ロンドンパラリンピックでは200メートルと400メートルは予選落ちで、400メートルリレーでは4位入賞でした。初出場となった大舞台はいかがでしたか?

佐藤: もちろん緊張もしましたが、ロンドンは観客も多くてとても楽しかったです。自分が目指していた舞台でしたので、そこに出られたことが大きな喜びでした。走っている時の記憶はあまりないのですが、走り終わった時には気持ち良さしかありませんでしたね。

 

二宮: ロンドン大会が終わると、次のリオ大会に出たいという思いが強くなりましたか?

佐藤: はい。今度は100メートルで出たいと強く思いましたね。

 

二宮: パラリンピックを経験した200メートル、400メートルよりも100メートルの方が勝負できると?

佐藤: いえ、最初に日本記録を出したのも200メートルだったので、200メートルの方が得意意識はありました。

 

二宮: それでもあえて100メートルに絞ったきっかけは何でしょう?

佐藤: ロンドンパラリンピックの100メートルでジョニー・ピーコック(イギリス)という選手が優勝したのですが、10秒90のタイムで走ったんです。それを見て義足の選手が10秒台を出すことにすごく衝撃を受けて、僕もそこを目指したいと思うようになりました。

 

※1 義足と足の断端面の接続部。

※2 日本人の義足ランナーで、初のパラリンピックメダリスト(北京大会走り幅跳び銀)。北京大会とリオ大会の4×100メートルリレーメンバー。

※3 日本人の義足ランナーで、初めて100メートル11秒台をマークした選手。パラリンピックはロンドン大会の4×100メートルリレーメンバー。

 

(第3回につづく)

 

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1705ch2佐藤圭太(さとう・けいた)プロフィール>

1991年7月26日、静岡県生まれ。T44クラス。中学3年でユーイング肉腫を発症し、右膝から下を切断。リハビリ目的で陸上を始めると、メキメキと力をつけた。中京大3年時にロンドンパラリピック出場。4×100メートルリレーで4位入賞を果たした。2016年リオデジャネイロパラリンピックでは同種目で銅メダルを獲得した。100メートル、200メートルの日本記録保持者。身長177センチ、体重68キロ。トヨタ自動車所属。

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