佐藤圭太(障がい者陸上)第3回「形あるものを手にしたリオデジャネイロパラリンピック」
二宮清純: 昨年のリオデジャネイロパラリンピックで個人種目では男子100メートルに出場しました。11秒77と日本記録を更新したものの、予選敗退でした。
佐藤圭太: 自己ベストを出すことはできましたが、まだまだ世界と大きく差があるなと痛感しましたね。
二宮: オリンピックも100メートルは花形種目ですが、パラリンピックでも世界中から足自慢が集まります。そんな中、リオではファイナル進出が目標だったのですか?
佐藤: 正直、持ちタイムで言えば、「決勝へ行く」と口にすることすら難しい状況でした。自己ベスト更新を目標にしていました。
伊藤数子: 初出場のロンドンパラリンピックと今回のリオでは、大会へ向かう気持ちも違いましたか?
佐藤: はい。ロンドンは出場できてラッキー。それだけで十分うれしかったです。なのでリオは形あるもの、つまり結果にこだわっていました。
チームへの信頼で繋いだリレー
二宮: 4×100メートルで銅メダルを獲得したことで、日本への土産はできましたね。
佐藤: そうですね。応援してくれた方々に、ひとつ形を持って帰ることができました。それは本当に良かったです。
伊藤: リオデジャネイロオリンピックでは男子4×100メートルリレーで銀メダルを獲得しました。日本はリレーが強いですね。
佐藤: 始まる前もタイム的には日本は4番手。3位ともタイム差があったので、本番で抜けるようなタイムではありませんでした。ともかく僕たちはやるべきことをやって日本記録更新を目指して臨みました。その結果が、メダルにつながり、本当に嬉しかったです。
二宮: パラリンピックではバトンではなくタッチして次走者に繋ぎます。ああいった連携も日本は得意なんでしょうね。
佐藤: 本当にずっと一緒にやってきているメンバーだったので、信頼感はありましたね。1カ月くらい前に1走と3走を入れ替えました。それでもタッチの部分は練習で回数を重ねていたので、不安はなかったですね。
"心のバリアフリー"を感じたロンドンパラリンピック
二宮: 大会全体の印象は?
佐藤: 観客の人が純粋にスポーツを楽しんでいると感じました。試合のハーフタイムやインターバル中に踊っていたり、自国の選手が勝ったら皆が立ち上がって喜んでいました。これこそが純粋にスポーツを楽しむ姿なのかなと。
二宮: 2012年に経験したロンドンはどうでしたか?
佐藤: ロンドンではボランティアの優しさを感じましたね。正直、街自体はバリアフリーが進んでいなかった。石畳が当たり前ですし、駅にエレベーターがある方が少なかったですから。それでもあれだけパラリンピックが成功したのは、人の力があるからなのかなと思います。今でも国際大会を経験した地ではロンドンを超えるところは見たことがありません。
二宮: 日本はどうでしょうか。
佐藤: 日本ではバリアフリーが進んでいるのは当たり前。その分、人と人とが関わらなくても済んでしまう側面もありました。だから一方で、心のバリアフリーは進んでいないのかなという印象も受けます。そこは今後に向けての課題かもしれません。
(第4回につづく)
<佐藤圭太(さとう・けいた)プロフィール>
1991年7月26日、静岡県生まれ。T44クラス。中学3年でユーイング肉腫を発症し、右膝から下を切断。リハビリ目的で陸上を始めると、メキメキと力をつけた。中京大3年時にロンドンパラリピック出場。4×100メートルリレーで4位入賞を果たした。2016年リオデジャネイロパラリンピックでは同種目で銅メダルを獲得した。100メートル、200メートルの日本記録保持者。身長177センチ、体重68キロ。トヨタ自動車所属。