MLBにおいて最後に4割打者が誕生したのは1941年である。レッドソックスのテッド・ウィリアムズが4割6厘をマークした。日本では昭和16年にあたる。

 

 

 では昭和16年と言えば、どういう年か。この年の12月8日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋戦争の火蓋が切られた。プロ野球に目を転じると巨人が6度目の優勝を果たしている。

 

 テッドに関しては、いくつかの本を読んだが、最も衝撃を受けたのが名物審判ロン・ルチアーノが著した『アンパイアの逆襲』(文春文庫)だ。

 

 テッドがセネタースの監督をしていた時の出来事。春季キャンプの余興で54歳は打席に入った。バットの胴の部分には松ヤニを塗った。ボールをとらえた場所を確認するためである。

 

 打撃投手には速球派の若手。テッドはロケットのような打球をセンター方向に弾き返した後で、こう叫んだ。

 

「縫い目はひとつだ」

 

 バットのどの部分で、ボールのどの部分をとらえたか。テッドは7球のうち5球までを見事に言い当てたという。

 

 以上はテッドが並はずれた動体視力の持ち主であったことを示す有名なエピソードだ。

 

 日本の野球に話を移そう。80年を超えるNPBの歴史の中で、4割打者はまだひとりも誕生していない。過去最高は1986年にランディ・バース(阪神)がマークした3割8分9厘だ。

 

 いくら一塁ベースに近い左打者だったとはいえ、バースの足は決して速くはなかった。足で稼いだヒットがほとんどない中でのこのハイアベレージは驚異的である。

 

 シーズンが始まる前に「4割を目指す」と広言したバッターもいる。巨人時代のウォーレン・クロマティだ。

 

 ある関係者が「まだ、日本にはひとりも4割打者がいない」と水を向けたところ「オレが第一号になってやる」とうそぶいたという。

 

 1989年のシーズン、クロマティは長打を捨て、シングルヒットを量産した。年間の規定打席に達した時点での打率は4割1厘。もし以降の試合を欠場していたら、不名誉この上ない史上初の4割打者が誕生していた。結局、彼はその後も試合に出続け、3割7分8厘でシーズンを終えた。

 

 それから28年後の今年、もしかして、との期待を抱かせるバットマンが出現した。北海道日本ハムの近藤健介。6月19日時点で4割7厘。プロ入り6年目の23歳は、どこまでハイアベレージを維持できるのか。興味津々である。

 

<この原稿は『漫画ゴラク』2017年6月23日号を一部再構成したものです>

 


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