交流戦が終わってプロ野球は中盤戦に突入しました。今年は突然、連敗し始めるチームが多くてファンのみなさんはヤキモキする毎日だと思いますが、愛するチームを信じて応援してくださいね!

 

 さて、今回は本題に入る前に悲しい話を少しさせていただきます。すでにご存知のように西武ライオンズの森慎二投手コーチが6月27日、多臓器不全で亡くなられました。25日の報道で体調を崩したと聞いていたので心配していたのですが、27日夜に石川ミリオンスターズの社長から「亡くなった……」と連絡がありました。そのときは驚きと悲しみに包まれて少しの間、言葉が出ませんでした。個人的な話になりますが森コーチが亡くなる3日前にも、私をずっとかわいがってくれていた方が食道がんで亡くなりました。その直後だったので悲しみが倍増して本当に心にぽっかりと穴が開いたような感じです。

 

 森コーチとは彼の現役時代に面識があるのですが、話したことはなく、何だか近寄りがたいオーラを持ってるなという印象がありました。再会したのは、6年前。BCリーグの選手たちのセカンドキャリア支援でチームにセミナーを行ったときのことです。こうしたセミナーに普通はコーチや監督は参加しませんが、石川のコーチ、そして監督を務めた彼はいつも選手たちの後ろでノートを片手にメモをとりながら真剣に話を聞いていました。その姿を今でも鮮明に思い出します。

 

 シーズン終了近くになると退団する選手のセカンドキャリアのために、私にも相談してくれました。「田口さん、あの選手のことをよろしくお願いします」「あいつはこんな性格なのでどんな企業があってますかね?」など、そういう相談を受けるたびに心優しい男だなと感心したものです。

 

 そんな彼が若くして亡くなるなんて今でも信じられません。まだまだやりたいこと、成し遂げたいことがたくさんあったと思います。一番死を受け入れられないのは本人だったのではないでしょうか。今はただただ彼が安らかな眠りにつくことを祈りたいと思います。

 

 大切なのは考える環境

 さて話題を変えて、ここからはセカンドキャリアの話をしましょう。先日、元阪神のピッチャーで公認会計士の資格を取得した奥村武博君と飲む機会がありました。ニュースなどで彼が公認会計士に合格したと聞いていたので、一度会って話をしてみたいと思ってたところ、弊社副社長から「奥村さんと飲みますが同席しますか?」と誘われ念願叶いました。

 

 彼が阪神の現役時代、自分はホークスの2軍スタッフをしていたので、何度となくウエスタンリーグのグラウンドで顔を合わせていたのですが、一度も話したことはありませんでした。元プロ野球選手という共通点はあるものの、果たして話が合うのかどうか……その心配は杞憂でした。

 

 彼自身、阪神を辞めることになってセカンドキャリアに直面したときは「何をすればいいのか」と正直迷ったそうです。でも「とにかく前を向いていこうと考えた」と話をしてくれました。当然そこには多くの方たちの応援や助けがあったとも聞きました。

 

 話が弾んできたところで彼に「自身の経験を踏まえて、セカンドキャリア問題をどう考えてる?」と質問をぶつけてみました。「セカンドキャリア問題を解決するにはどうすればいいのか?」という問いに多くの方は「選手時代に考えないといけない」と話しますが、それは短絡的な意見であって本質を全く理解できていない、その場しのぎの意見でしかありません。

 

 果たして奥村君はどんな風に考えているのだろうと興味を持って聞くと、「プロ在籍中にセカンドキャリアのことを考えるのではなく、子供時代から野球という人生だけではなく、もう一つの人生についても考える必要があります。そして我々大人がそのために学べる環境を作らないといけないんです。考えることをしてきていない選手にいきなり考えろと言われても、物事を何も考えられないですよね」と、自信に満ちた口調できっぱりと言い切りました。

 

 正直驚きました。こんな言い方が合っているのかどうかわかりませんが、自分が常々説いているセカンドキャリア問題の本質と解決策と同じ意見じゃないか、と。ただでさえ難関の公認会計士になること自体がすごいことなのに、セカンドキャリア問題も深くまで掘り下げ、ずばり本質を突いている。「なんて男なんだ!」と改めて思わされる時間でもありました。

 

 彼とは電車で帰る方向が同じだったので、別れ際までこれからの野球界、そしてセカンドキャリア問題の話をして、とても熱い夜を過ごすことができました。「なんだ、元プロ野球選手も捨てたもんじゃないな」と、諦めかけていた自分の気持ちを奮い立たせてもらった気分です。「学ぶ」ことの大切さを人に説く前に自分がどれだけ学ぶ姿勢を持ち、日々学び、学んだことを活かし、そして反省し、また学ぶことができるか。人生はその繰り返し、気持ちを新たに今後も頑張ります!

 

1600314taguchi田口竜二(たぐち・りゅうじ)
1967年1月8日、広島県廿日市市出身。
1984年に都城高校(宮崎)のエースとして春夏甲子園出場。春はベスト4、夏はベスト16。ドラフト会議で南海ホークスから1位指名され、1985年に入団し、2005年退団。現在、株式会社白寿生科学研究所人材開拓グループ長としてセカンドキャリア支援を行なっている。

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