大学3年生の時、メキシコで現地のユースチームと試合をしたことがある。W杯観戦ツアーに参加したメンバーの中に、関東大学リーグでプレーしている選手が複数いたため、「じゃあ腕試しをしてみようか」ということになったのである。

 

 衝撃だった。

 

 関東大学リーグと言えば、当時の日本の中ではトップクラスのアマチュアだが、まるで歯は立たなかった。ただ、衝撃だったのはこてんぱんにやられたことではなく、そのサッカーの質があまりに違っていたことだった。

 

 日本であれば確実にシュートを打つタイミングで、メキシコ人は打たなかった。日本であればまず打ってこないタイミングで、彼らは平気で打ってきた。ボールの持ち方、止め方、DFのかわし方――すべてが日本人のそれとは違っていた。まるで違っていた。

 

 先週、ストリートサッカーの世界大会「ネイマール・ジュニア5」を取材するため、ブラジルの港町サントスに行ってきた。GKをおかず、5人の選手でゴールを奪い合うという、ネイマールが考案した限りなくストリート・スタイルのサッカーに近いルールによる大会である。

 

 示唆に満ちた大会だった。

 

 わたしが大学生のころ、基本的にメキシコ人はメキシコのサッカーしか知らないし、ドイツ人はドイツ人のサッカーしか見ていなかった。ゆえに、メキシコにはメキシコならではの、ドイツにはドイツならではのサッカーがあった。リベリーノのようにボールをまたぐ選手はブラジルにしかいなかったし、クライフ・ターンに挑戦するのはオランダ人だけだった。

 

 いまは違う。

 

 世界53カ国からやってきた大会の参加者は、当然のことながら全員ネイマールが何者でどんなプレーをするか知っている。メッシが、C・ロナウドが、どんなゴールを決めてきたかも知っている。結果、どうなったか。

 

 国によるプレーの差異がほぼなくなっていた。

 

 素晴らしくパワフルでテクニカルな日系人のキャプテンを擁したフィリピンは、アルゼンチンと引き分けた。モルディブとマレーシアは1次リーグでスペインを撃退した。決勝トーナメントの1回戦ではアルゼンチン、ブラジル、ドイツが姿を消した。

 

 世界中の選手が共通のお手本を持つようになったいま、国の方向性を決めていくのは、ストリートサッカーという「泉」ではなく、教育になっていく気がする。何より、2日間の滞在中、わたしはただの一度もサントスの街でストリートサッカーを目撃しなかった。現地在住の知人によると、原因のひとつには治安の悪化があり、いまやブラジルでもサッカーはスクールで習うものになってきているのだ、という。

 

 「泉」ではなく「教育」がカギとなる時代――。となれば、いまよりも日本のチャンスが大きくなるのは間違いない。

 

<この原稿は17年7月13日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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