影浦心(東海大学柔道部/愛媛県松山市出身)第4回「屈辱がエネルギーになる」

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1707kageura8 影浦心は、数ある進路の中で東海大学を選んだ理由をこう説明する。

「高校1年の頃から上水(研一朗)先生には声を掛けてもらっていました。愛媛に来てくれて、柔道を教わったことがあったんです。その教え方が本当にわかりやすかった。隅から隅まで教えてくれつつ、自分で考える余地も残してくれているんです。そのバランスが絶妙でした」

 

 東海大は言わずと知れた名門校。山下泰裕、井上康生という重量級のオリンピック金メダリストを輩出しており、その他にも数多の世界チャンピオンがOB・OGにいる。今年で監督就任10年目を迎えた上水も中矢力、髙藤直寿らオリンピックメダリストを育てた実績を持つ。

 

 早くから目をかけてもらったことも理由のひとつだが、影浦が上水の指導力に惚れたと言ってもいい。新田高校では全国制覇に届かず悔しい思いをした。その他の強豪大から誘いもあった。それでも彼は“上水先生のもとでなら強くなれる”と信じて疑わなかったのだ。

 

 一方の上水はどう思っていたのか。

「彼の柔道自体に魅力を感じていたのは事実なんです。影浦と練習するのは楽しみでした。なぜならやるごとに強くなっていたので、教えがいもあります。素直なので、やってきたことができるようになっているから、“これは面白いなぁ”と思っていました」

 

 ケガを機にスタイル変更

 

 影浦は四国の親元を離れ、関東の東海大へと旅立った。そして水に合うと感じていた上水の指導は想像以上だった。「1人1人に数年後を見据えた指導をしてくれるんです。“上水先生についていけば、絶対大丈夫だ”と思いました」と影浦。しかし、いきなり春にケガを負ってしまう。入学前に出場権を獲得していた全日本選手権の3週間前だった。ぶっつけ本番のようなかたちで出場した大会は3回戦で敗退した。

 

1707kageura9 右内側側副靭帯を痛めた影浦はリハビリに3カ月を費やした。ケガで戦列離れている間、同学年の仲間が結果を残していく。焦りがなかったと言えば嘘になる。だが、この期間が1つのターニングポイントとなった。

「高校生まではあまり背負い投げをやらなかったんです。それまでは体格で勝てていたこともあって内股などの選手でした。それでも東海大に入ったら自分より大きい選手がゴロゴロいる。“このままでは投げられない”と思ったんです。それで少しだけやっていた一本背負いと、背負い投げをこれからの軸にしようと。そこで思い切って柔道スタイルを変えたんです」

 

 実はここにも恩師のアドバイスが効いていた。「高校生の時に上水先生に『背負い投げは良い武器になるから、練習しとけよ』と言われていて少しだけやっていたんです」。元々、影浦の中でも技に対する感触は良かった。そこでケガが治ってからチャレンジすることを決めた。

 

 2年時の東京学生優勝大会準々決勝で、三将を任された影浦は背負い投げで一本勝ちを奪った。「“入れる!”“決まる!”と思って、背負いが得意技になったのはそこからですね。それまでは試合でかけたこともあまりなくて、入るのも怖かった。思い切って入ったら、“意外とかかるんだな”と」。以降、影浦は技を磨き、今では「背負いは軸になっています」と語るほどまでになったのだ。

 

 周囲を“見返した”講道館杯

 

1707kageura4 新たな武器を手に入れた影浦だが、すぐに結果がついていったわけではない。彼の中にはまだ燻り続ける感情があった。その想いを晴らしたのは恩師の一言だった。

「ある授業の時に上水先生が『屈辱が一番のエネルギーになる』とおっしゃったんです。自分も1年、2年となかなか勝てない中、同級生がどんどん勝っていった。そこでメッチャ悔しい思いをしたので、“見返してやろう”という気持ちになりました」

 

“見返してやろう”と心に火を灯した影浦。稽古にもこれまで以上に熱が入った。

 

 そして秋に迎えた講道館杯全日本柔道体重別選手権大会(講道館杯)が2つ目のターニングポイントとなった。100kg超級に出場した影浦は快進撃を見せる。準々決勝で2012年ロンドン五輪同級日本代表であり、10年の世界選手権では無差別級を制している上川大樹に敗れたものの、3位に入った。

 

 快進撃の裏には屈辱をエネルギーに変えた稽古はもちろんのこと、試合に臨む姿勢が変わったことにあった。

「勝てなくて“何がいけないのかな”と思った時にやはり考え過ぎだなと。もちろん考えることは大事なんですが、それほど気負わずに“試合を楽しもう”という気持ちでやるようにしたんです。そしたら勝てるようになってきましたね」

 

“見返した”人物は上水もだ。

「まだジュニアレベルだと思っていました。準々決勝で負けましたが、敗者復活で勝ち上がって3位になったんです。“あぁ、力をつけたな”“ここまできたか”と、正直感じました」

 加速度を上げて進化を遂げる影浦。講道館杯の好成績により、全日本柔道連盟の強化選手に選ばれた。このこともまた彼の成長を後押しすることになった。

 

(最終回につづく)

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1707kageuraPF6影浦心(かげうら・こころ)プロフィール>

1995年12月6日、愛媛県松山市生まれ。階級は100kg超級。松山西中-新田高-東海大。10歳で柔道を始める。新田高2年時には全国高校総合体育大会で3位に入った。東海大進学後、2年時には全日本ジュニア体重別選手権大会と講道館杯全日本柔道体重別選手権大会で3位になった。3年時はアジア選手権大会、グランプリ・デュッセルドルフと国際大会で優勝。講道館杯では2年連続3位だった。身長180cm、体重115kg。得意技は背負い投げ。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

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