影浦心(東海大学柔道部/愛媛県松山市出身)最終回「陽の当たる場所へ出てきた要因」
背負い投げという武器を手に入れ、試合を楽しむ姿勢へと変わった影浦心(東海大学4年)の快進撃は今なお続いている。3年時の4月にはアジア選手権(ウズベキスタン)を制し、国際大会初優勝を成し遂げた。12月のグランドスラム東京で準優勝、今年3月のグランプリ・デュッセルフドルフ(ドイツ)で優勝。100kg超級の新星は眩いばかりの輝きを放つ――。
その急成長ぶりは、東海大で彼を指導する上水研一朗監督にとっても目を見張るものだった。
「段階を踏ませてやってきたのは事実なんですが、それでも成長は早いです。特にここ1年は加速的に。正直なところ、僕は彼が大学を卒業して2、3年で出てくるものだと思っていました。それが原沢(久喜)や王子谷(剛志)や七戸(龍)などの中に、割って入ってきたわけですからね。もうそこまで行くとは……」
掴み始めた勝ちパターン
飛躍のきっかけとなったのは2015年の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会(講道館杯)で3位に入ったことだ。これにより全日本柔道連盟のシニア強化選手に選ばれた。他のスポーツでも合宿などを通じて、日本代表という空気に触れることは大きいという。それは影浦にとっても同じである。「トップの選手を見ていると、やっぱり違うなと思いました。休み時間も自主的にトレーニングに行っているんです。強い人は努力している。自分も、もっとやらないと追いつけないなと」。彼にとって刺激以外の何物でもなかった。
アジア選手権、グランドスラム東京、グランプリ・デュッセルドルフ。国際大会で好成績を残していくことでの自信も付いていった。アジア選手権では11年世界選手権銅メダリストの金成民(韓国)、08年北京五輪の銀メダリストであるアブドゥロ・タングリエフ(ウズベキスタン)に勝利した。
「そこから試合の勝てるパターンが見えてきました」という影浦。グランドスラム東京ではリオデジャネイロ五輪銀メダリスト原沢久喜(JRA)のケガにより、補欠から繰り上がり出場した。「そこで爪痕残さないと、せっかく回ってきたチャンスだったので」。そう意気込んで臨んだ大会では1回戦でロンドン五輪銀メダリストのアレクサンドル・ミハイリン(ロシア)と対戦した。世界選手権を3度制したことのある実力者を相手に優勢勝ちを収めた。この大会では決勝で王子谷剛志(旭化成)に敗れたものの、準優勝だった。
年が明けて迎えたグランプリ・デュッセルドルフはグランドスラム大会に比べれば格は落ちるが、世界の強豪が集まる大会だった。“ここでもアピールしよう”。準々決勝ではリオ五輪100kg級金メダリストのルカシュ・クルパレク(チェコ)相手に得意の背負い投げで一本勝ちを決めた。決勝では原沢に技ありを奪って、優勢勝ち。実績を積み上げていった。
4月の全日本選抜柔道体重別選手権大会では再び王子谷に敗れたため、世界選手権代表にはなれなかった。それでもここ最近の好成績で手に入れた自信は大きい。3つの国際大会では北京、ロンドン、リオの3大会の銀メダリスト全員を倒している。対外国人も無敗。全日本男子の井上康生監督も「今年の世界選手権の日本代表には入りませんでしたが、来年の世界選手権においては非常に有力な選手になってくるのではないかなと。そういう目線で、これからも一緒に取り組んで行きたいなと思っています」と期待を寄せるほどだ。
盟友・ウルフの存在
影浦の急成長に一役も二役も買っているのが、東海大で同学年のウルフ・アロンの存在だ。盟友は8月にハンガリー・ブダペストで行われる世界選手権100kg級代表である。彼はいつも影浦の先を歩いてきた。
寮も同部屋。普段から共に行動することが多いゆえ、影浦のことは誰よりも知っている。
「大学に入って伸びたんじゃないですかね。東海大のスタイルがうまく合ったんだと感じますね。あとは僕らと練習をやっていく中で切磋琢磨していった。それに僕がトレーニングを教えたことで、良い感じに力が付いたんだと思います」
ウルフは「僕のおかげで強くなったと言っても過言じゃないですよ」と冗談ぽく笑う。だが、あながち大袈裟な話ではない。それは影浦も認めている事実だからだ。「高校の時はウエイトトレーニングを全然していなかったんです。東海大に入ってから始めたのですが、アイツに教えてもらっていました。それは今の自分にとって大きいです」
2人を指導している上水もこう証言する。
「影浦の場合はウルフの存在が大きいんですよ。階級が違っていてもウルフには負けたくないはずです。ウルフの方が影浦より先に、一歩前に進んでいる。影浦はああ見えて、内心は激しいですから。悔しい気持ちはあるんですよ。だから“今度はユニバーシアードで優勝してやる”と思っているはずですよ。
影浦自身も彼への対抗心を隠そうとはしない。
「アイツは1年生の頃からトップレベルになっている。自分はジュニアでも負けていて、“アイツを追い越してやろう”という気持ちはずっとあります」
ライバルの存在は己の研ぎ石となっている。そして影浦は屈辱をエネルギーに変えてきた男である。
勝ちに飢えている男
「今年は世界選手権に出たかった。でも選考会で勝てなかった。だから8月のユニバーシアード(台湾・台北)で優勝して、国内でも負けずにいけば来年はあるかなと思います。リオの選考会では原沢さんがあと2年となってから逆転して代表に選ばれました。自分も同じように巻き返していこうかなと」
影浦が見据える目標は3年後にある。「東京オリンピックに出たい。そこで金メダルを獲りたいです」。2008年北京五輪以来、全日本男子が遠ざかっている最重量級での優勝だ。
そのための課題は何か。上水は「力強さがもう少し欲しいですね。相手に合わせる柔道はすごくうまい。しかし、相手が凌いでいるところで強引に取り切れるというところは、まだまだ覚えないといけないと思う」と語る。最重量級に身を置く者として、身長180cmは小さい部類に入る。影浦本人もパワー不足は自覚している。「体格で全然劣るので、今は身体づくりと地力をアップさせることが課題です」。ウエイトトレーニングを中心に強化を怠らない。
普段は「心配性です」と言う影浦だが、畳の上では露ほども感じられないほど堂々としている。団体戦では大将に起用することが多い上水も、その図太さには太鼓判を押す。
「影浦は試合でも物怖じしない。彼には一番緊張する場面や一番苦しいポジションを与えています。それでも難なくなくこなせますから。影浦がいることで、チームにはいい意味で1つの大きな重しが乗っている」
個人戦ではトーナメントの勝ち上がりによって対戦相手が変わるため、すべての選手を分析し、準備することできない。団体戦ではオーダーによって対戦相手が変わることはある。どんな状況でも慌てない影浦は、試合に臨むとき「最悪を想定する」という。
「たとえば(トーナメント表を見て)“一番やりたくない相手とやるな”と思って行けば、そうなったとしても想定内です。だから、そういうふうに考えるようにしています。逆にそれ以外の相手が来たら来たで、気がほぐれる。気楽に行けるんです」
ここにも恩師の教えが生きている。「最悪を想定する」のは、上水の長年の経験に基づいた理論である。
現在の影浦は、幼少期とは違い、とても負けず嫌いである。それは柔道においてのみだが、勝ちに飢えていると言ってもいい。こだわるのは一本ではなく勝利だ。得意技の背負い投げにも固執はしていない。
「試合で投げて勝とうとは思っていなくて、指導1の差でも勝てればいいという気持ちでやっています」
柔道を始めたばかりの頃、同級生に泣かされた少年は一回りも二回りも大きくなった。勝ちにこだわるところも変わった。今は日本を代表する選手になろうとしている最中だ。ただ畳を降りれば、“気は優しくて力持ち”は変わらない。そこがまた彼の魅力でもある。
(おわり)
<影浦心(かげうら・こころ)プロフィール>
1995年12月6日、愛媛県松山市生まれ。階級は100kg超級。松山西中-新田高-東海大。10歳で柔道を始める。新田高2年時には全国高校総合体育大会で3位に入った。東海大進学後、2年時には全日本ジュニア体重別選手権大会と講道館杯全日本柔道体重別選手権大会で3位になった。3年時はアジア選手権大会、グランプリ・デュッセルドルフと国際大会で優勝。講道館杯では2年連続3位だった。身長180cm、体重115kg。得意技は背負い投げ。
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(文・写真/杉浦泰介)