NPBもアイランドリーグもシーズンが開幕して約半月が過ぎた。アイランドリーグ出身選手ではWBC日本代表にも選ばれた千葉ロッテの角中勝也(元高知)が開幕から全試合でスタメン出場してヒットを重ね、福岡ソフトバンクの金無英(元福岡)が中継ぎで無失点ピッチングを続けている。また東京ヤクルトの三輪正義(元香川)もスーパーサブとして1軍に戻ってきた。その他の選手たちも1軍での活躍の機会を虎視眈々と狙っている。NPB入りというひとつの夢を叶えた彼らの今を追いかけた。
 プエルトリコで得た確信――冨田康祐

 支配下選手登録――育成選手にとってはNPBで活躍するための最初の関門である。いくら2軍で成績を残しても支配下選手にならない限り、1軍の試合には出られない。

 昨季、香川から横浜DeNA入りした冨田には、育成選手からの卒業が現実味を帯びた時期が少なくとも2度あった。1度目は夏場だ。交流戦明けの6月、冨田は1軍の練習に呼ばれる。来日した新外国人のランディ・ルイーズの打撃投手を務める目的だ。

 打撃投手とはいえ、1軍の監督、コーチには自らをアピールする絶好のチャンスである。思い切って腕を振り、球速はMAX150キロを記録。2010年には楽天で途中入団ながら12本塁打をマークした強打者を、ほぼ完璧に封じた。
「なんで、コイツが育成選手なんだ?」
 気持ちよく快音を響かせるはずだったルイーズは目を丸くして右腕のボールを見つめていた。

 中畑清監督もルーキーのピッチングを絶賛。同時期に大沼幸二が引退を表明し、70名の支配下登録選手枠に空きができたこともあり、メディアは冨田の支配下登録を報じた。
「報道を見たチームメイトが寮の部屋に来て、いきなり“おめでとう”と。僕は何も聞いていなかったので、ビックリしましたよ(笑)」
 ところが待てど暮らせど、球団から正式な連絡はなかった。そして、シーズン中の登録期限である7月31日が過ぎた。

 2度目はシーズンオフだ。5年連続最下位に沈んだDeNAにとって投手陣の底上げは喫緊の課題である。秋のみやざきフェニックスリーグで好投を続けた冨田は、報道陣からは「契約更改のタイミングで支配下登録されるみたいだよ」と聞かされた。期待に胸を膨らませて、球団事務所を訪ねた。しかし、契約内容は育成選手のままだった。
「話が出ていただけに、支配下登録になれなかったことが余計に悔しかったですね」

 それでも下を向いてばかりはいられない。冨田はオフ期間中、武者修行に出ることを決める。行き先はプエルトリコ。きっかけを与えてくれたのは、夏に打撃投手として抑えたルイーズだ。戦力外となり、同国のウインターリーグに参加することになったため、「オマエも興味があるならどうだ?」と誘ってくれたのだ。

 もちろんプエルトリコを訪れるのは生まれて初めて。米国を経由して現地入りした。チームから日本人で参加したのはただひとりで通訳もいない。11月末から約1カ月間、自らを表現するものは野球だけだった。
「去年、チームメイトだったジオ(・アルバラード)も参加していてレベルは高かったです。ピッチャーのボールも“何だ、これは!”とビックリするくらい速くて、バッターのパワーも日本とは全然違いました」

 だが、冨田は異国の地で大きな手ごたえをつかむ。ビザの関係で実際に試合に出場できたのは後半の2週間だけだったが、5試合に登板して9イニングを無失点。三振も9個奪った。対戦したバッターには今春のWBCプエルトリコ代表に選ばれた選手も含まれており、日本との準決勝で2番打者だったアービング・ファルー(ロイヤルズ)には「オマエのボールは速いな」と褒められた。

 滑るボール、硬いマウンドという日本とは違った環境での発見もあった。プエルトリコではカーブがよく曲がったのだ。
「向こうはマウンドが硬いから、体がガッと止まる。でもボールは滑るので、カーブがうまい具合に抜けるんです。バッテリーを組んだキャッチャーからは“ストレートとカーブだけでも十分抑えられる”と言われました。このイメージを日本のマウンドやボールでも再現できれば、ひとつの武器になると感じています」

 技術的な収穫はそれだけではない。所属先のコーチからは「軸足のヒザを折らないように」とアドバイスを受けた。それはまさに冨田が、秋のキャンプから友利結投手コーチと取り組んできたことだった。
「それまでは軸足に溜めようとするあまり、ヒザを曲げて投げていました。でも、それだとボールに角度がつかない。軸足でしっかりタメをつくりながらも、かつ角度のあるボールが投げられるようにフォームを改良していたんです」
 異なる指導者から、同じポイントを指摘され、より「自分の方向性が間違っていない」との自信が持てた。そして実戦で結果を残したことで自信は確信に変わりつつある。

 今季こそ支配下登録――それが最低限クリアすべきハードルだ。ただ、冨田は己を信じ、自然体でシーズンに臨んでいる。
「昨年は早く支配下選手になりたいと、練習でも試合でも力んでしまっていました。たとえば、全部150キロ以上のボールをコーナーに投げなきゃいけないとか……。それでかえってコントロールを乱したり、裏目に出てしまったんです。だから結果を意識し過ぎず、自分のピッチングをしていきたいと思います」
 いくら背伸びをしたところで自分の100%以上のものは出ない。ならば100%を出し切ることに全力を傾けよう。結果は後からついてくる。こう考えると余裕を持ってマウンドに立てるようになってきた。

 この24日で25歳。いわゆる88年世代だ。PL学園高時代の同級生にはWBC日本代表の前田健太(広島)がいる。冨田自身も海外を経験し、田中将大(楽天)、坂本勇人(巨人)ら同い年が国際大会で躍動する姿をみて、いつかは同じフィールドで戦いたいとの思いが一層、強くなっている。 
「角中(勝也、千葉ロッテ)さんがWBCで日本代表にも選ばれて、バッターでアイランドリーグの道を切り拓いてくれました。僕はピッチャーで道をつくりたいと思っています」

 昨季、金無英がアイランドリーグからドラフト指名を受けた選手では初めての勝利をあげた。だが、まだ育成選手から支配下選手となり、1軍で勝ったピッチャーはいない。そのウイニングボールをつかみとるべく、まずは自らの100%をファームで発揮し続けるつもりだ。

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(石田洋之)