1月に香港リーグ1部の横浜FC香港へ移籍したFW福田健二が、このほど2012-13シーズンの戦いを終えた。途中加入ながら2月以降のリーグ戦全8試合に出場して3ゴール。特に最終節では後半ロスタイム、敗れれば降格という大ピンチの中、起死回生の同点ヘッドを決め、クラブの1部残留に貢献した。二宮清純の携帯サイト「二宮清純.com」、スマートフォンサイト「ニノスポ」にて好評配信中の福田選手のコラムコーナー「さすらいのgoleador」から、新天地に挑んだ3カ月半を紹介したい。
(写真:香港といえばブルース・リー。観光スポットの銅像前で) 
 福田にとって海外でのプレーは南米のパラグアイ、中米のメキシコ、欧州のスペイン、ギリシャに続き、5カ国目。横浜FC香港は名前の通り、J2の横浜FCが運営するクラブだ。社長をはじめ、選手やスタッフにも日本人がいた。香港自体、仕事の関係などで在住する日本人は少なくない。彼らのサポートを受けつつ、英語と少しずつ覚えていった広東語を使いながら、周囲とコミュニケーションをとっていった。
 
<横浜FC香港のサッカーは、ボールポゼッションをしっかりした上で、サイドからの崩しや縦パスでチャンスをつくるスタイルです。僕のように泥臭く前線で仕事をするタイプはマッチすると感じています。
 監督からも「前でボールを収めて起点になってくれ」と言われています。そして「ゴールを獲ってくれ」と。FWとして、これ以上、モチベーションの上がる言葉はありません。
 クラブは10代、20代の選手が大半を占めています。全体的に身体能力が高く、テクニックよりも、まずは運動量で勝負している印象です。僕が入ることでテクニックや戦術の部分を伝えられれば、よりいいサッカーができるのではないかと考えています>

 チームに合流して指揮官から求められた役割はトップ下だった。単にゴールを狙うだけでなく、ポストプレーなどでチャンスを演出する働きも必要とされていた。

<ワントップをやりたい願望はあるものの、同僚にはFW吉武剛がいます。彼は開幕から活躍し、チームトップの8ゴール(2月末時点)。結果がすべてのプロの世界ですから、ポジションは自分でつかみ取るしかありません。
 香港に来てからは監督の勧めもあり、FKも蹴らせてもらっています。FKを任されるのは高校時代以来。自分にとっては新たな挑戦ですが、際どいところにボールは集められるようになってきました。FKでも得点に貢献し、新境地を開く。そんなつもりで練習にも取り組んでいるところです>

 移籍してから1カ月、2カ月と時間が過ぎた。福田はスタメン起用が続いたものの、待望のゴールはなかなか生まれなかった。結果を早く出したいとの思いは日に日に募っていた。

<僕はひとりでドリブル突破してゴールを決めるタイプではありません。前線にパスを出してもらい、そこで泥臭く得点を重ねるのが持ち味だと感じています。ところが、今はなかなか欲しいところへボールが出てこないのが現状です。
 練習ではチームメイトとコミュニケーションをとり、連携は徐々に良くなっています。ただ、最終的には僕が結果で示さないと、真の意味での信頼関係は成り立ちません。どんなにチーム内でしっくりこなくても、ゴールを決めれば世界は変わる。それがサッカーであり、勝負の世界です。僕もこれまで、そういう経験を何度も味わってきました。
 特に僕は海外から来た助っ人の位置づけです。クラブには現在、6名の外国人がいますが、試合に出られるのは4人まで。FW内の競争のみならず、外国人枠の問題とも戦わなくてはならない立場になっています>

 しかも、チームはなかなか勝てなかった。10クラブからなる香港リーグ1部は最下位が2部に降格する。横浜FC香港は最下位転落はなかったとはいえ、残留争いから抜け出せないままシーズンが進んでいった。生活面では家族も引っ越してきて苦労はなかったが、春へと季節が変わるにつれ、香港の気候は厄介な部分もあった。

<3月に入り、気温の上昇とともに、湿度が高い状態が続いています。曇った日が多く、湿度は90%以上。ヨーロッパなどは逆に空気が乾燥していましたから、ここまで多湿な地域でサッカーをするのは初めてかもしれません。
 嫁さんは肌がうるおっていいと話していますが(笑)、体内の水分がどんどん失われるため、気をつけないと筋肉系のトラブルが発生します。僕も前々節のレンジャーズ戦前は少しハムストリングに張りが出て、スタメンを外れていました。せっかく香港まで来て、ケガをするのは一番避けたいところ。水分補給をこまめにし、練習後のアイシングやケアは入念にやっています>

 曇天に光が射し込み始めたのは、4月4日の首位・サウスチャイナ戦だ。横浜FC香港は前半にあげた吉武のゴールを守り切り、実に公式戦5カ月ぶりの勝利をあげる。この移籍後初白星をきっかけに福田自身の歯車も好転していく。
 そして……。

<やっと、やっと、この報告ができます。4月13日のホームでのテュンムン戦。後半6分にPKで香港初ゴールを決めることができました。
 続く18日のシチズン戦でも33分に得点。ストライカーとは不思議なものです。長い間、得点がなくても、1点を獲ると立て続けにゴールが生まれます。シチズン戦では20歳のMFウォン・ワイのCKにニアへ走り込んで頭で合わせました。強烈なヘディングシュートが突き刺さったので、気持ち良かったです>

 香港は元英国領だけあって、サッカー人気は高い。イングランドのプレミアリーグとのつながりもみられ、日本にいては分からない発見もあった。
(写真:若手を食事に誘い、漢字を通じた筆談で親交を深めていった)
 
<たとえば娘たちが通っているサッカースクールはチェルシーが立ち上げたもの。専用のグラウンドで、英国でコーチ修行した日本人も指導にあたっています。言うまでもなく指導カリキュラムはチェルシーの下部組織で実践されている内容です。娘たちのクラスでは楽しくボールを蹴ることに主眼を置いていますが、もう少しレベルが高くなると足の使い方ひとつから細かく教えています。こういう部分にもきちんとお金をかけられるのは、さすがビッグクラブです>

 そして迎えた5月4日の最終節。ドラマが起こる。他会場で下位クラブが勝ち点を積み重ね、横浜FC香港は引き分け以上でないと最下位、つまり降格してしまう危機に直面する。90分までは1−1の同点。しかし後半ロスタイム、悪夢の勝ち越し弾を相手に許してしまう。試合時間はもうほとんどない……。ラストチャンスでつかんだコーナーキックにすべてが託された。

<蹴り込まれたボールは僕のところへ一直線に向かってきます。当然、相手のマークは厳しく、前後に選手が張り付いていました。
「絶対に決める! 決めてやる」
 もう、その瞬間はそれしか考えていません。僕は無我夢中でボールに飛び込みました。

 この後のことは、頭が真っ白で覚えていません。ボールの行方は……ゴールネットを揺らしていました。僕のヘディングシュートが決まっていたのです! 今年でプロ生活18年目。いろいろなところでゴールを決めてきましたが、今回の1点は僕の中でサッカー人生で3本の指に入ります。サポーターも、チームメイトも、スタッフも劇的なゴールに感極まっていました。僕も不覚にも涙がこぼれましたね>

 実は2部に降格した場合、福田ら外国人はビザの関係でクラブを去らなくてはならなかった。そうなれば、また移籍先を探さなくてはいけない。残留を決めたロスタイム弾はクラブはもちろん、自身の運命を左右する一撃だった。
 
 あっという間に過ぎていった香港での3カ月半を振り返り、福田は先を見据えている。
<まだ来季のことは決まっていませんが、個人的には横浜FC香港がより上を目指せるよう貢献したいと考えています。しばらくは香港でトレーニングを続けながら、家族サービスもするつもりです。このクラブや、この土地にもっと溶け込めるよう、言葉の勉強もしたいと思っています>

 35歳を迎え、自身の経験を若手に伝えていくのも使命だと考えるようになった。もちろん体が動く限り、プロとして声がかかる限りは、それを自らのパフォーマンスで示すつもりだ。これまでがそうだったように、これからもゴールを道標に、生粋のgoleadorは世界を突き進んでいく。

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