河本結(日本体育大学)のスイングの鋳型はジュニア時代につくられた。日体大の木原祐二監督が「スピードが変わらない。緊張した場面でも練習の時でも同じスピードで振れる」と高く評価する安定したスイング。それは彼女が小中学生時に受けた指導が大きく影響している。

 

 幼少期の河本は活発な女子で、外でよく遊ぶ子だった。母・みゆきによれば、「身体を動かすことが好きだったんでしょうね」という“おてんば娘”である。河本本人も「遊び相手も男の子が多かったですね。サッカー、野球、鬼ごっこ……。室内でおままごとをするよりも外で走ったり、ボールを蹴ったりしていましたね」と振り返る。彼女は運動神経も良く運動会ではリレーの選手を務めるほどだった。小学校の低学年ではバレーボール、小学4年時からは通っていた窪田小学校のサッカーチームに所属した。バレーボールで全身の筋肉、サッカーでは足腰を鍛えた。それらのすべてはゴルフのためのトレーニングだったのだ。

 

 ゴルフは両親の影響で、5歳から始めた。元々、両親がゴルフ好きだったこともあってプラスティック製のゴルフクラブとボールを買ってもらった。家にはパターマットがあり、パターには触れる機会が多かった。「“コロン”とボールがカップに入る音が好きでした」と河本。両親に連れられてゴルフ場へ行ったこともあった。「私自身はあまり覚えていないのですが、バッタを追いかけてばかりで全然ゴルフにならなかったと聞きました」と言うが、彼女にはゴルフを親しむ環境があった。

 

 原点はバットでの素振り

 

 自然とゴルフに触れる機会が増えていった河本は、近所のゴルフ場で開催されたスクールでゴルフの基礎を学んだ。母・みゆきが当時を述懐する。

「“ゴルフ教室を開きます”というプリントが学校で回ってきたんです。無料でしたし、子どもも『やってみたい』と言うので申し込みました。それが本格的にゴルフを始めたスタートだと思います。最初の先生は本当に物腰が柔らかく、ゴルフを好きにさせてくれる方でした」

 

 しばらくするとさらに上のレベルを目指し、愛媛県松山市にあるゴルフスタジオ・アンフィーでもレッスンを受けるようになった。近所のゴルフ場のコーチが“ゴルフを好きにさせてくれる”タイプならば、ゴルフスタジオ・アンフィーで教えを受けたコーチは“ゴルフをうまくさせてくれる”タイプの指導者と言えよう。

 

「今、すごく感謝しているのは“ヒジより下の長さのクラブを使え”と教わったことです。長いクラブを使うとジュニアゴルファーは構える時に首が寝てしまう。私は頭の位置がまったくズレなかった。それはコーチが短いクラブで頭を動かさないスイングのフォームをつくってくれたからこそだと思います」

 安定したスイングを生み出すのは、正しいフォームを身に付けたからだ。

 

 そのコーチからのフォームづくりに関する教えはこれだけにとどまらない。木製バットでの素振りも課せられた。バットを持ってゴルフのスイング練習だった。ただ闇雲に振るのではなくボールがあるとイメージしながらスイングする。多い時は1日1000回。ただ当時の女子ジュニアの指導法としては珍しいものだったという。

 

「ゴルフ場でバットを振っていると、すごく馬鹿にされました。『ゴルフなのに野球やんの?』みたいなことも言われました」。周りからの心無い声は、河本も堪えた。ボールを打つことが好きな河本にとっては、決して楽しい練習とは言い難かった。それでも歯を食いしばり、バットを振り続けた。彼女の安定したスイングは、そうした努力の結晶である。一方、彼女を馬鹿にしていた人たちは何年か経って、ゴルフ用のバッグにバットを忍ばせていたという。

 

 ゴルフスタジオ・アンフィーでの指導は中学卒業までだったが、現在でも朝のウォーミングアップ、練習後のクールダウンで木製バットの素振りを続けている。河本にとって原点とも呼べる練習法。自らのフォームを確かめつつ、常に初心を忘れぬようにしているのかもしれない。

 

 初優勝で芽生えたプロへの意識

 

 河本がプロの世界を意識し始めたのは小学4年時である。高知・Kochi黒潮カントリークラブで行われた西日本大会で優勝したことで気持ちに火が付いた。「“勝つことってこんなに楽しんだ”と思いました」。サッカーなど団体競技で勝つことは経験していた。だが、ゴルフは個人戦である。自分ひとりに贈られる賞状やカップは格別だった。表彰台の一番高いところからの景色は忘れないものとなった。“もっと上を目指したい”との欲求が高まるのは自然なことだった。

 

 優勝を決めたプレーオフ。河本は今でもそのことを覚えているという。

「ショートホールだったのですが、ピンまで50ヤードぐらいのセカンドショットをミスして、ボールが(グリーン)エッジにいってしまった。パットは残り10ヤードぐらいの距離でした」

 黒潮カントリークラブはグリーンが広く、決して簡単なパッティングではなかった。だが、河本はカップにねじ込んだ。その時の会心のパットは現在も彼女の記憶に刻まれている。グリーン上で“コロン”と鳴り響いた音色は、彼女の快進撃を知らせるものだった。

 

 小学6年時に全国小学生ゴルフ大会女子の部で2位に入った。中学に進学すると、2年時には四国中学校ゴルフ選手権春季大会で優勝。その後、14歳ながら日本女子プロゴルフ協会(LPGA)ツアーのマンシングウェアレディース東海クラシックにも出場を果たした。108人中106位での予選落ちだったが、プロの舞台を味わうことができた。「とても楽しかったんです。いろいろな人が応援してくれて、すごく華があるなと感じました」。中学3年時には四国女子アマチュアゴルフ選手権を制した。

 

 ここまでの道のりを本人は「ちょっとずつは成長できているなと思います」と語る。手応えは沸々と感じつつも、その結果に満足する様子は見られない。プロという大きな目標がある以上、ここで立ち止まることはできないからだ。

 

 中学校を卒業し、河本は茨城へと旅立った。通信制の日本ウェルネス高校へと進んだ。寮は茨城県にあり、そこからであれば関東圏のゴルフ場に通いやすい。すべてはゴルフのための選択だった。

 

(第3回につづく)

>>第1回はこちら

 

河本結(かわもと・ゆい)プロフィール>

1998年8月29日、愛媛県松山市生まれ。両親の影響で5歳の時にゴルフを始める。小学生時はゴルフスクールに通いながら、サッカー、バレーボール、空手などを習った。2010年に全日本小学生ゴルフで2位に入る。ジュニア時代から将来を嘱望され、14年にはナショナルチーム候補選手に選ばれる。四国女子アマチュアゴルフ選手権は2度(13、17年)の優勝。LPGAツアーでもベストアマに幾度も輝く。今年4月より日本体育大学に進学した。身長163cm。得意なクラブはパター。

 

(文・写真/杉浦泰介)

 

shikoku_ehime


◎バックナンバーはこちらから