1997年にJリーグの横浜マリノス(当時)に加入以降、ヴィッセル神戸、徳島ヴォルティス、栃木SC、そしてFC東京と数々のクラブを渡り歩いたGK榎本達也は昨年いっぱいでユニホームを脱いだ。プロ生活20年間でリーグ戦290試合に出場し、ゴールを守った。身長190センチ、体重82キロの恵まれた体格だけに頼らず、冷静な判断力とポジショニングで安定感のあるGKだった。

 

(2017年10月の原稿を再掲載しています)

 

 榎本にとって今年は非常にチャレンジングな年となっている。昨年12月25日にFC東京公式ホームページで現役引退と、アカデミーコーチ就任を発表した。

 

 主な仕事は、幼稚園生から小学校高学年までを対象としたFC東京のサッカースクールコーチである。FC東京のサッカースクールは都内計24カ所で開催されている。現在は飛田給、味の素スタジアム、小平の3つを拠点に子供たちの指導にあたっている。榎本は新たな取り組みについて「全くわからないところからのスタートだった」と語り、こう続けた。

 

「まずは先輩のアカデミーコーチの方々にいろいろなことを教えてもらいながら、手探りの状況でした。1月から3月までは様々なスクール会場を回り、たくさんの子供たちに出会いました。最初の3カ月間は研修ではないですが、“まずはイメージや雰囲気をつかもう”と、コーチ業に慣れさせていただいた期間でした」

 

 元Jリーガーでは初の事例

 

 彼の新たな挑戦はこれだけにとどまらない。今年の4月にブラインドサッカー日本代表の強化選手になったのだ。

 

 ブラインドサッカーとは、GKを晴眼者もしくは弱視の選手が務め、4人フィールドプレーヤーを全盲もしくは弱視の選手で構成された5対5のサッカーである。選手たちは音が鳴るボールとGK、監督、攻撃方向のゴール裏にいる“ガイド(コーラーとも言う)”と呼ばれる指示を出す役割の声を頼りにプレーする。ブラインドサッカーはゾーンが3つに分類されている。相手ゴールに近いゾーンの指示はガイドが任される。ミドルエリアは監督。自陣ゴール前のゾーンの指示はGKが担うのだ。

 

 榎本にとってブラインドサッカーの難しさとは何なのか。話を訊いてみると、目が見える、見えない以前に、ルールに関する違いがよくわかる。

 

「サッカーはGKがボールを手で扱えるエリア(ペナルティーエリア)が決まっているだけで、そのエリアを出ればフィールドプレーヤーと同じ扱いになるだけです。ブラインドサッカーの場合、GKは基本的にエリアからは出てはいけないんです。足はエリア内でもボールをキャッチした手がエリアから出ていればファールになる。ブラインドサッカーのGKはエリア内でプレーを完結させないといけない。それにサッカーならピッチのどこでも、どんな声を出そうと自由ですが、ブラインドサッカーは声を出せるゾーンが決まっている。GKがプレーできて、声を出せるエリアが制限されているスポーツなのですごく難しい。全然違うスポーツです」

 

 榎本が初めてブラインドサッカーを体験したのは今年の2月だった。ルールが大きく異なり、プレーゾーンにも制約があるブラインドサッカー。“別物”のスポーツに触れた感想を質すと「初めてやってみて、すごく楽しかったんですよ」と口にする。私には榎本が新しいことに挑戦している自分を楽しんでいるようにも見えた。コーチ業、現役ブラインドサッカーを語る彼の表情はとてもきらきらしていた。

 

 シビアな世界の現役を引退してゆっくりする間もなく、次々と新しいことに挑む榎本。GKとしてプレーする側から子供に教える立場となり、サッカーとは“別物”のブラインドサッカーGKとして、二足の草鞋を履くセカンドキャリアを歩み出した。ふと、気になったことがある。彼がGKを始めるきっかけとはなんだったのか――。

 

(第2回につづく)

 

<榎本達也(えのもと・たつや)プロフィール>

1979年3月16日、東京都練馬区生まれ、埼玉県蕨市育ち。1歳年上の兄の影響でサッカーを始める。浦和学院高校卒業後、1997年に横浜マリノス(当時)に加入。98年にはU-19日本代表としてAFCユース選手権で準優勝を経験した。2002年には正GKとしてリーグ完全優勝を果たす。2007年以降はヴィッセル神戸、徳島ヴォルティス、栃木SC、FC東京でプレーし、16年シーズンで現役を引退。今年からFC東京アカデミーコーチを務めるとともに、ブラインドサッカー日本代表強化選手に選出された。Jリーグ通算290試合出場。身長190センチ、体重82キロ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 


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