この日が来るのが恐かった――というやつですね。連覇したのに、何を不景気なことを言っているのか、と言われるかもしれない。

 

 カープは10月5日、石井琢朗打撃コーチと河田雄祐外野守備走塁コーチの退団を発表した。

 

 残念としか言いようがない。人事のことだから、部外者にはわからない事情があるのだろう。

 

 いま、カープは「強力打線」と言われる。しかしこれは、ここ2年のことである。チーム打率でいうと、2016年2割7分2厘。2017年2割7分3厘。3年前の2015年は2割4分6厘だ。

 

 そして16年に打撃コーチに就任したのが石井コーチであった。

 

 ブラッド・エルドレッドに「コンパクト・スイング」と言い続けたとか、松山竜平に「得意のセカンドゴロを打ってこい」と言って、タイムリーを打たせたとか、その言動の断片は、ことあるごとに伝わってくる。

 

「強打のカープ」を作り上げた最大の功労者といっていい。

 

 球団が、秘かに次期監督手形を切っておけば、この大功労者の流出を防げるのにな、と念じていたのだが、その気はなかったのでしょう。監督人事を生え抜きにこだわっていたら、また、いつか来た道を繰り返すことになるのに。

 

 じつはカープはついこの間まで、貧打のチームだった。三村敏之監督の最終年(1998年)から、達川光男(晃豊)監督、山本浩二監督、マーティ・ブラウン監督を経て野村謙二郎監督の3年目(2012年)まで、Bクラスは15年続いた。この低迷期は、チーム打率に多少の上下はあるが、基本的には、古葉竹識監督(1975年途中~1985年)が築きあげた強打のチームが貧打のチームに転落していく過程だった。

 

 それを止めたのは、野村謙二郎監督の最終年(2014年)である。この年、チーム打率は2割7分2厘。ただし、翌年、緒方孝市監督の1年目(2015年)は再び、2割4分6厘に落ち込んだ。


 この不安定な状態を、つなぎの打撃を強調し、チャンスに一気に点の取れる強打線にしたてあげた功績は、その過半を石井コーチに帰してもいいだろう。

 

 河田コーチに関しては、去年からサードコーチに立つようになって、明らかにチーム全体の走塁が変わった。本当にアグレッシブに、かつ隙なく次の塁を狙う走塁がふえた。

 

 今、カープの野球は、打つし走るし、見ていて非常に面白い。その礎を築いたのはこの2人のコーチである。

 

 あとは今の形をどれだけ継続できるかだ。そのためには、今年の記憶を常に持ち続けなくてはならない。

 

 投手陣については、今年も「黒田博樹の教え」は生きていた。ピンチでインコースを攻めるスタイルを含め、黒田の遺産はまだまだ投手陣の根幹をなしていた。

 

 だけど、前田健太が石原慶幸とのコンビでつくりあげた「二塁牽制」の遺産は、今年はほぼ見られなかった。2年で消えてしまったのである。本気で刺しに行って、実際に二塁で牽制死を取るなんてお家芸は、ぜひ、続けてほしいのに。この例は、遺産を記憶し、継続ないし発展させるというのが、いかに難しいかを物語っている。

 

 石井コーチの遺産、河田コーチの遺産をどう継承していくか。それが来年、3連覇を達成するためのカギになる。

 

 その前に、CSはもちろんのこと、今年の日本シリーズにはぜひとも勝って、2人のコーチには有終の美を飾ってもらいたいものだ。

 

(このコーナーは二宮清純が第1、3週木曜、書籍編集者・上田哲之さんは第2週木曜を担当します)


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