落合博満が中日の監督に就任した1年目、キャンプ前の出来事。投手コーチの森繁和(現中日監督)は、「1回、皆で温泉でも入ろう」と落合に誘われ、数人のコーチとともに静岡県内の、とある温泉に向かった。


 露天風呂に浸かっていると落合が寄ってきた。「ひとつだけ頼みを聞いてくれ」「何でしょう?」「開幕戦の先発は川崎憲次郎でいきたい」。落合と森は8シーズンに渡ってコンビを組んだが、投手起用で自らの考えを主張したのは後にも先にもこの時だけだったという。


 驚いた森だが、すぐに落合の意図を理解した。「引退か現役続行か。監督は川崎に勝負させるつもりなんだろうな」


 この3年前にFA権を行使してヤクルトから中日に移籍した川崎は右肩痛により3年間、一度も一軍のマウンドに立っていなかった。「給料泥棒」。心ないヤジに悩まされもした。


 落合から川崎に直接電話が入ったのは松の内も明けない1月3日のことだ。「開幕はオマエでいくからな」「わかりました。やらせて頂きます」。右肩にはまだ痛みが残っていた。しかし川崎はワラにもすがる思いでこのチャンスに飛びついた。「もしかしたら、これを機に肩がよくなるかもしれない……」


 4月2日、ナゴヤドーム。先発投手が川崎とアナウンスされるとスタジアムは騒然となった。関係者の中には「川崎? 川上(憲伸)の間違いではないか」と真顔で聞く者もいた。


 だが3年間のブランクは自らが想像していた以上に深刻だった。1回こそ無失点で切り抜けたが、2回に死球を挟む5連打を浴び、5点を失ってマウンドを降りた。そこで川崎は悟った。「もう潮時かな……」


 この時、チームには不思議な一体感が生まれたという。「川崎を負け投手にするな」。以降、6人の投手がバトンをつなぎ、終わってみれば8対6。自著『采配』(ダイヤモンド社)で落合はこう述べている。<川崎のために全員が動くことで、チームとはどういうものなのかを実感してもらえたら、大きなリスクを覚悟した私の“最初の采配”は成功だったのではないかと思った>


 中日が福岡ソフトバンクを退団した松坂大輔の獲得を検討しているという。13年前の川崎に比べれば松坂の症状はまだ軽い。「野球人生に決着をつけろ」。そんな思いが指揮官にはあるはずだ。やっとストーブリーグらしくなってきた。

 

 <この原稿は17年12月20日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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