プロ野球界には「闘将」と呼ばれる指揮官が2人いる。初代は大毎、阪急、近鉄で指揮を執った西本幸雄さん。2代目は中日、阪神、東北楽天で監督を務め、さる1月4日に70歳で世を去った星野仙一さんだ。ともに3球団をリーグ優勝に導いている。


 監督は「勝負師型」と「育成者型」の2つのタイプに大別できる。西本さんも星野さんも後者だろう。鉄拳も辞さずの熱血漢で、強いチームをつくるものの短期決戦には弱かった。西本さんは日本シリーズを8回戦い全敗。星野さんは4回出場し、頂点に立ったのは一度だけだ。


 生前、恐る恐る西本さんに訊ねたことがある。なぜ日本シリーズに負け続けたのか、と。返ってきたセリフは、こうだった。「シリーズ中、“よく、ここまでのチームをつくったもんや”と自己満足するもんやから、スキが出て引っくり返されてしまう。特に阪急の時がそうやった。オレが鍛えた選手が、あのON(王貞治と長嶋茂雄)と勝負しとるわけよ。もう、それを見ただけで涙が出そうになったね」


 以下は近鉄監督時代の出来事。キャンプ地の宿毛は山間部が近いため南国高知といえども雪が降る。球場にはドラム缶が用意され、暖をとるため火をくべていた。と、その時である。西本さんのユニホームに火の粉が降りかかった。あるコーチがそれを振り払おうとすると、指揮官は「触るな。この火の粉はオレの闘志だ」と言い放ったというのである。コーチを務めていた仰木彬さんから聞いたエピソードだ。


 2代目も負けてはいない。星野さんを師と仰ぐ山本昌さんから「もう時効だから」と前置きして、こんな話を聞いたことがある。「僕は一度に18発殴られたことがあるんです」。しかし、と言葉を切り、山本さんは続けた。「これだけ“愛のムチ”を受けたにもかかわらず、星野さんに対して感謝の思いしかないのは、打たれても次、また必ず使ってくれたから。だから不思議なことに、殴られるとホッとした。“これで2軍に落とされずにすむ”と…」


 初代、2代目ともに熱血と反骨の原点には「打倒巨人」への強い思い入れがあった。だが今、それを口にする指揮官はいない。もはや巨人は打倒の対象ではないようだ。「弱い巨人を見ると情けなくなる」とは生前の星野さん。3代目「闘将」が現れるのは、しばらく先だろう。

 

<この原稿は18年1月10日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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