2001年のドラフトで1巡目指名を受け、広島カープに入団して12年目を迎えた大竹寛。今やカープにとって、欠かすことのできない主戦投手である。しかし、これまでのプロ野球人生は決して順風満帆だったわけではない。さまざまな苦悩、試練を乗り越えたからこそ、今がある。そんな大竹に二宮清純がインタビュー。これまでの野球人生を振り返ってもらった。
二宮: 大竹さんは今春のセンバツで初優勝した浦和学院の出身です。全国的な強豪校のエースだったわけですが、当時からプロを志望されていたのでしょうか?
大竹: 僕自身はそれほどプロへのこだわりが強くはありませんでした。

二宮: 2001年のドラフトで、広島カープに1巡目指名されました。広島から指名があるというのは、事前にわかっていた?
大竹: 僕は特に志望球団はなかったので、どこでもOKでした。関係者から「指名の話は複数球団から来ているよ」という話を聞いていたので、どこに指名されるのか楽しみにしていたんです。そしたら「広島が1位で指名するかもしれない」という話が浮上してきた。僕は「ありがたいな」と思いましたよ。

二宮: プロ入り2年目で一軍デビューし、プロ初勝利。2年目には6勝5敗17セーブ、3年目には10勝12敗と順調に成長を遂げました。プロの壁を感じたことはなかった?
大竹: 1年目にケガをしてしまったんです。そこでまず「オレ、これからどうなるんだろう?」という不安にはなりましたね。それと、カープの投手陣がみんな足が速くてビックリしました。それまで自分はそんなに遅い方ではないと思っていたのに、みんながあまりにも速いので、どれだけ自分は足が遅いのかってことに気付かされたんです。これはショックでしたね。

二宮: でも、ピッチャーに足はそれほど求められないのでは?
大竹: 身体的な能力とか強さといった面で、「自分はこの世界でやっていけるのかな」と不安になりました。でも、一番のショックはプロ初登板ですね。1回5失点KO。あの時は「終わった……」と思いましたね。案の定、すぐに二軍に落ちました。ただ、10日後にまた一軍に上げてもらったんです。1度、中継ぎで投げてから、先発登板して勝って、ようやくプロとしての自信を少しつけることができました。

二宮: 当時のエースといえば、黒田博樹投手(現ヤンキース)。彼からはどんなアドバイスを?
大竹: 僕、打たれるとマウンド上でイライラすることがよくあったんです。そしたら黒田さんから「いくらいいボールを投げても打たれることもあるし、自分がいくらいいピッチングをしても勝ち星がつかないこともある。そこは自分でコントロールすることはできない。結果をとらわれ過ぎずに、どうすればいいボールを投げられるか。そのことを考えろ」と言われました。

二宮: その一言でピッチングは変わりましたか?
大竹: 黒田さんから言われると「そうだな」と思うのですが、当時は若かったので、どうしても結果が欲しくて、数字をすごく意識していましたね。でも、今は少しずつそういうふうに考えられるようになりましたね。

二宮: 昨季はケガから復帰して、11勝5敗の好成績でカムバック賞に輝きました。
大竹: 僕自身は投げるたびに「自分ってたいしたことないな」って思うんです。だからこそ、「どういう練習をして、どういうふうに抑えようか」ということを常に考えているんです。泥臭く、粘り強く、丁寧にという部分を大事にしています。

二宮: ケガで戦列を離れて苦しんでいる選手がたくさんいる中、大竹さんのカムバック賞は同じ境遇の選手たちに勇気を与えたはずです。
大竹: 2つ先輩の河内貴哉さんが僕よりもひどいケガをして復活したんです。その姿を間近で見ていたので、ケガをした時、そのことが僕には大きな励みになっていました。だから僕がこうやって復活したことが、肩を痛めている選手の希望になってくれたら嬉しいですね。

<20日発売の小学館『ビッグコミックオリジナル』(2013年9月5日号)に大竹投手のインタビュー記事が掲載されています。こちらもぜひご覧ください>