視覚障害者柔道男子90キロ級の初瀬勇輔選手は2020年東京パラリンピック出場を目指している。世界王者に2度輝くなど重量級でトップを走っていた棟田康幸氏とは同学年(1980年4月から1981年3月生まれ)。高校時代から全国区で、世界と戦ってきた棟田氏は初瀬選手にとって憧れの存在だ。今回の「二宮清純の視点」は同学年2人によるスペシャル対談を実施。2人の柔道家がオリンピック・パラリンピックの垣根を越えて話し合った。

 

伊藤数子: 今回は新春スペシャル対談と題しまして、視覚障害者柔道北京パラリンピック日本代表の初瀬勇輔選手と、柔道重量級元世界王者の棟田康幸さんをお招きしました。

初瀬勇輔棟田康幸: どうぞよろしくお願いいたします。

 

二宮清純: 以前、インタビューでもお話させていただきましたが、2人はとても似ていらっしゃる。アテネ五輪100キロ超級金メダリストの鈴木桂治さんとも同学年。野球で言えば松坂世代に当たるそうですね。

初瀬: そうなんです。他にも北京五輪男子81キロ級代表の小野卓志さんをはじめ柔道界も強い選手が揃っていました。特に棟田さんは高校生の時から化け物みたいに強かった(笑)。それこそ漫画で棟田さんをモデルにしたキャラクターが描かれていたほどです。身長は高くはないのですが、重量級で戦っていました。それがまた僕にはカッコ良かったんです。

 

二宮: 初瀬さんは身長160センチです。重量級としては小柄な部類に入ります。身長170センチながら重量級で世界一を争っていた棟田さんの柔道は参考にしましたか?

初瀬: 外国人選手とは身長で劣ることがほとんどで、その中でどう戦うか。棟田さんは大きい相手に対し組んでも負けないのでものすごく刺激になりました。ただ棟田さんは運動神経がめちゃくちゃ良かった。引き込み返し(※)という技を、側転でかわしていましたから。

 

(※)相手を引き込んで後方に投げる技

 

二宮: 確かに棟田さんは動きがものすごく速かった。あれは持って生まれたものですか?

棟田: 小さい頃から走ることは苦手ではありませんでした。あとは両親からもらったやわらかい体のおかげですね。柔軟だからケガも少なかった。

 

伊藤: 棟田さんと言えば、「世界一美しい礼をする」と言われました。映像で拝見いたしましたが、本当に美しい。

初瀬: それも柔道のいいところですよね。これから戦う相手に対して礼をする。そして試合に勝っても、負けても礼をする。正直、礼をしたくない時が全くないとは言えません。でも棟田さんは常に美しい礼法を実践されていたので、柔道家としてすごく尊敬していました。

 

伊藤: 「柔道は相手がいるからこそできるんだ」とおっしゃっていましたね。

棟田: そうですね。1人では強くなれないのが柔道です。

初瀬: 僕は大学在学中に目が悪くなって、"どうしていいかわからない"と悩んでいた時に救ってくれたのが柔道でした。高校卒業後はやめていたのですが、大学を卒業するぐらいのタイミングで再び始めました。ブランクはあったものの、中学・高校の部活動で経験していたので体で覚えていたことも大きかったと思います。そして何より視力に関係なく組めばできるということがすごく衝撃的でした。畳の上では平等。誰とでも戦える。それがすごく楽しかったんですよね。

 

二宮: まさに生き甲斐が見つかったと。

初瀬: はい。柔道をもう一度はじめて、視覚障害者柔道の大会に出たことがきっかけで、"社会に出てみよう"と。それが今、自分の会社を経営することも含めていろいろやらせてもらっていることに繋がっています。柔道さまさまですね。本当にやっていて良かった。こうやって憧れの棟田さんにも会えたわけですから。

 

 柔道の精神が導いた世界

 

伊藤: 柔道が導いてくれたような感覚があるのでしょうか。

初瀬: ええ。柔道の奥深さや懐の深さが、今の僕を導いてくれているんだと思います。柔道の創始者・嘉納治五郎さんは"自他共栄"という言葉を遺されている。これはまさに僕の"多様性のある社会をつくりたい"との考えにも繋がっています。だから柔道をやるべくしてやって、目も悪くなるべくして悪くなったという気もします。

二宮: "精力善用"の精神で、社会でも頑張っているわけですね。

 

伊藤: 柔道の総本山である講道館には、嘉納治五郎さんの遺訓が掲示されていますよね。常に"精力善用"との思いを胸に練習をしているのでしょうか?

棟田: 正直、トップ選手として世界を戦っている時にはそこまで意識していたわけではありません。2003年に世界選手権で優勝してからですね。それまでは自分が強くなることをまず優先していました。実際に世界チャンピオンになってみて、周りを見てみたら自分が世界一になるためにどれだけの人が協力してくれているかに気が付いたんです。その言葉の重みがズシンときましたね。自分の態度次第で柔道界はいかようにも見られてしまう。そう考えるようになりました。

 

二宮: 初瀬さんはどうでしょう?

初瀬: 僕の場合はパラリンピックに出てからかもしれないですね。"今の僕に何ができるか""社会のために何ができるか"と思うようになりましたね。

 

二宮: それがまさしく"精力善用"なんでしょうね。"自他共栄"は共生社会と通じるものがあります。

初瀬: 僕の会社はユニバーサルスタイルという社名で、共生社会をつくることを目標にしています。それは柔道の精神からもらったものとも言えるかもしれません。

 

二宮: 初瀬さんは柔道に救われただけではなく、そこから先の人生が輝いているように見えます。

初瀬: 柔道のおかげで、本当にいろいろなことを経験させてもらえました。そして、まさか今度は東京にオリンピック・パラリンピックがくるとは......。出場できるかできないかは別として、今できる最大限の努力はしていきたいですね。タイミングがうまく合わなければ、自国開催のパラリンピックなんて生きているうちに経験できることではありません。だから、そこを目指せているだけでも幸せ者だと思います。

 

 柔道着の"余白"を使え

 

二宮: 東京パラリンピック出場を目指す上で、憧れの棟田さんにお聞きしたいことはありますか?

初瀬: 先ほどお話にあったように自分より大きい相手と対峙することが多かったと思います。奥襟を叩かれた時はどう対処していましたか?

棟田: 私の場合は自分の柔道をやるために、まず絶対軸を曲げない。それが根本にありました。人の体はまっすぐな状態が一番強い。奥襟を持たれると頭を下げられる。そうなると軸が曲がってしまう。だから奥襟を叩かれようが、胸を張ってしっかり組む。それを私は徹底していましたね。

 

二宮: 外国人選手の方が背も高いし腕力もありますから、相手は力任せの作戦でくる。そうなったとしても姿勢を高いまま保つ必要があると?

棟田: はい。力だけで対抗するのではなく柔道着もうまく利用していました。奥襟を掴まれたままだと相手が仕掛けてくる技を切りづらい。だから肩甲骨や背中を使って、持っている位置をずらす。微妙なテクニックですが、相手に技をかける体勢に入りにくくするんです。

初瀬: なるほど。

 

二宮: それは相当経験を積まないとできないでしょう。

棟田: 感覚なので、私も説明できるようになるには時間がかかりましたね。

 

 すべては柔道のおかげ

 

二宮: パラリンピック、パラスポーツに対する印象は?

棟田: 私の所属する警視庁にも視覚障害柔道の監督がいます。その方によれば、選手はすごく技術があると聞きます。10数年前のことですが、私が初めて世界チャンピオンになった後に、パラリンピックの選手と一度組んだことがあるんです。その選手は技に入るタイミングがばっちりだった。私が目を閉じて「同じかたちで入れ」と言われたら、当時はできなかった。鍛錬して常に同じかたちで技を打ち込めるようになればできると思うのですが、彼の技術とタイミングは素晴らしいなと思いました。

初瀬: 組んだ相手は僕じゃないですけど、その話はとてもうれしいですね。

 

棟田: 率直にすごいなと思いました。練習方法は何か特別なことをするんですか?

初瀬: 基本的にはなくて、普段は大学の柔道部に交じって練習をしています。強化合宿では組んだ状態からどうするかということを研究し、対策を練るんです。視覚障害柔道は組んだ状態から始まるので、距離を取って牽制し合うことや組み手争いもないので常に技を掛け合うので非常に疲れます。

 

棟田: 牽制し合うのは心理的な疲れがありますが、ずっと組み合っていると体はきついでしょうね。

初瀬: はい。最後の最後で思い切った捨て身技で逆転することもあり、残り数秒あればチャンスがある。だからリードしていても怖いし、負けている方も最後まで攻め続ければ何かが起こる可能性があります。逃げることが絶対に許されないのが視覚障害者柔道。最後まで一本を目指す仕組みになっている。そこが面白さですね。

 

二宮: 先ほど初瀬さんがおっしゃっていた"誰とでも戦える"というのも魅力ですね。

初瀬: ちょっとした工夫で一緒にできる。ここに共生社会のヒントがつまっています。少し工夫すれば、みんなが一緒にできることがある。

 

二宮: 柔道は身ひとつあればできますから、みんなができるスポーツとも言えますね。

初瀬: ええ。僕も死ぬまで柔道に関わっていくと思います。柔道は生涯スポーツでもありますから。"精力善用""自他共栄"という言葉が身に染みてわかってきたからこそ、それを伝えたいという思いもあります。

棟田: 私は昨年、柔道を始めて30年という節目に現役を引退しました。今でも子どもたちと柔道をしたり、指導にも携わっているので、いつまで経っても柔道は切り離せない存在です。私にとっても生涯スポーツで、柔道と一緒に生きていくつもりです。これからパラリンピックの方も広がっていくでしょうし、そのお手伝いも何かできたらなと思います。そしてもっと柔道全体の人口を増やせれば、初瀬さんのように柔道に再び導かれる方も出てきやすくなりますからね。そんな柔道界を作っていければ、もっと世界も広がっていくんじゃないかなと思いますね。

 

二宮: では次回は道場で、第2弾をやりましょう。

棟田: 私も時間が許す限り、手伝えることがあれば協力します。一度組んでみて、柔道着を握ればわかってくることもあるでしょう。私自身、視覚障害者柔道の選手とは一度しか組み合ったことがないものですから。その感覚がもっとわかれば初瀬さんにアドバイスできることもあるかと思います。

初瀬: 光栄です。僕は視覚障害者柔道を始めて、生きる場所があるかもしれないと就職活動して社会に出られた。そしてパラリンピックに出て、自分の会社をつくった。今、生き甲斐を感じているのはまさに柔道のおかげです。本当に感謝しています!

 

(おわり)

>>「挑戦者たち」のサイトはこちら

 

棟田康幸(むねた・やすゆき)プロフィール>

1981年2月10日、愛媛県生まれ。小学校卒業後、柔道の名門「講道学舎」へ入門した。世田谷学園高3年時の1998年には、金鷲旗全国高等学校柔道大会決勝で4人抜きの大活躍。同校を優勝に導いた。明治大学を経て、2003年に警視庁に入庁。同年の世界選手権100キロ超級で金メダルを獲得、22歳で世界の頂点に立った。2004年アテネ五輪代表は逃すが、翌年世界選手権同級で銀メダルを手にした。2007年世界選手権では無差別級を制覇。身長170センチと小柄ながら、重量級の第一線に立ち続けた。また「世界一」と評されるなど、礼の美しい柔道家としても知られる。2017年に現役引退を発表。現在は後進の指導に携わっている。警視庁所属。

 

初瀬勇輔(はつせ・ゆうすけ)プロフィール>

1980年11月28日、長崎県生まれ。法律家を目指していたが、中央大学在学中に緑内障により視覚障害になる。2005年、中学・高校で柔道に打ち込んでいたこともあり、視覚障害者柔道を始める。その年の全日本視覚障害者柔道大会男子90キロ級で優勝。同級で2008年北京パラリンピック出場を果たす。2010年には広州アジアパラ競技大会で金メダルを獲得した。2011年に独立、株式会社ユニバーサルスタイルを設立した。現役を続けながら、日本パラリンピアンズ協会、日本視覚障害者柔道連盟、全日本パラテコンドー協会の理事も務める。株式会社ユニバーサルスタイル代表取締役。


◎バックナンバーはこちらから