あれから4年が経った。17歳の少女の小さな背中にはとても大きな期待がのしかかっていた。2014年のソチ五輪で金メダル大本命と目されながら、まさかの4位に終わった。ロシアの地で悔し涙を流したノルディックスキー・女子ジャンプの髙梨沙羅(クラレ)は再びオリンピックに挑もうとしている。

 

 2014年2月、ソチ五輪から採用された女子ジャンプ。初代女王にはカリーナ・フォクト(ドイツ)輝いた。W杯の優勝経験すらない伏兵が表彰台の頂点に立った。一方、前シーズンのW杯総合優勝し、このシーズン13戦10勝の髙梨はメダルすら首に掛けることは叶わなかった。

 

 ソチのシャンツェの女神は、髙梨にとことん冷たかった。「1本目、2本目と納得のできるジャンプができなかった」。1回目は100m、2回目は98.5mを記録した。彼女のジャンプ時には、いずれも追い風を受けての悪条件だった。揚力を得られる向かい風ではなく、髙梨に“逆風”が吹いた。

 

 課題のテレマークも良くなかった。2本ともジャッジが下した飛型点は平均17点前後だった。試合後のインタビューでは「やることは一緒。変わらず臨んだつもりだったけど、やはりどこか違うなと思いました」と肩を落とした。「会場の雰囲気に合わせられず、自分のモノにできなかった」。彼女の“翼”はいつものようには大きく羽ばたかなった。

 

「楽しもうとこの場所に来た。自分の力不足」と唇を噛みしめた。オリンピックに巣食う魔物に彼女も襲われたのだろうか。「オリンピックに戻って来られるように、もっともっとレベルアップしていきたい」。髙梨は気丈に答えつつも、その瞳は赤かった。4年後の平昌での魔物退治を誓った。

 

 山あり谷ありの末に待つ結末は!?

 

 しかし、オリンピック後は勝てない日々が続く。2014-15シーズンは世界選手権で4位。2年続いたW杯総合女王の座も明け渡してしまった。

 

 そこで髙梨が乗り出したのはフォーム改造だ。変えたのは助走のスタート。小柄な髙梨はスタート前のバーに座ると、足が地面に届かない。それまではバーから飛び降りるようにして助走路に入っていたが、両足をしっかりと地面に着けてからスタートするかたちにした。助走段階での重心の安定が狙いだった。

 

 改革は功を奏した。15-16シーズンはW杯で第3戦から10連勝するなど17戦14勝という驚異的な勝率(8割2分4厘)で終えた。総合女王の座も2年ぶりに奪還した。翌シーズンはW杯9勝。2年連続4度目の総合優勝を成し遂げた。通算勝利数は男女歴代最多の53に並んでいる。今シーズンの新記録更新は時間の問題だと思われていた。

 

 ところが以来、W杯で髙梨が表彰台の中央に立つことはなかった。安定して上位に入っているが、今シーズンは10戦未勝利のまま平昌に乗り込むこととなった。原因はライバルたちが急速に力を付けているのだ。中でもマーレン・ルンビ(ノルウェー)が圧倒的な強さを示している。10戦中7勝と勝率7割。全試合で2位以上と“連対率”で言えば100%である。

 

 不安要素ばかりではない。平昌のシャンツェとの相性だ。現地入りしてからの公式練習で100m超えのジャンプを連発。12日の決勝に向け、視界は良好だ。そして髙梨のW杯最後の勝利は1年前に平昌の地で手に入れたもの。雪辱の舞台としてはもってこいの場所とも言える。

 

 技術、メンタル面もさることながら、気象条件が勝敗を左右するジャンプ。10日に行われた男子ノーマルヒルでは風と寒さに選手たちは苦しめられていた。「自分のベストを尽くし、いい結果に持っていければいい。最後は自分を信じて飛びたいと思います」と髙梨。ここまで山あり谷ありの競技人生を辿ってきた。果たして平昌のシャンツェの女神は彼女に微笑むのか――。

 

(文・写真/杉浦泰介)