中学時代、サッカー部に所属していた近藤翔馬は「自分には団体競技は合っていないのかも」と思う。進路を決定する時には個人種目の部活に入ることを決めていた。近藤が狙いを定めたのは松山聖稜高等学校の自転車競技部だった。理由は「楽しそうだったから」と本人は言う。

 

<2018年2月の原稿を再掲載しています>

 

 春になり、近藤は松山聖稜高校の制服に袖を通した。この高校は運動部が強いことで有名だ。学校が指定する「重点競技部」というものがある。野球部、サッカー部、そして自転車競技部などだ。野球部は2016年に夏の甲子園に出場している。3月から始まる春の選抜高校野球への出場を決めている。ラグビー部も昨年の全国高校ラグビーフットボール大会でベスト16入り。2年連続で出場している。

 

 自転車競技部も全国大会優勝や世界選手権を制覇した選手を輩出するなど、“超”のつく強豪校だ。未経験で入学前に不安はなかったのか、と水を向けると「(自転車競技部は)強かったみたいですが、“いけるだろう”“なんとかなるだろう”と思っていました」と答えた。

 

 入学当初は苦労したという。

「僕の同期はほとんどが経験者でした。最初は自分が浮いていると言いますか、“置いていかれているなぁ”と感じることがありました」

 

 それでも、近藤はあきらめなかった。中学時代、サッカーにあまり向いているとは思えなくても3年間、部活動を続けた。「途中で辞めるのは、好きじゃないんです」。彼は入部した時点で3年間、やりきることはもう決めていたのだ。

 

 同期との切磋琢磨

 

 サッカー少年が初めて競技用の自転車に乗った時、どう思ったのか。近藤の回想。

「楽しかったんです。今までにないきつさだったんですけど、とりあえず楽しかった。(トレーニング後は)足がいっぱいいっぱいになって、心臓ももう、動かないんじゃないかと。毎回、限界を超えるという感じです」

 

 自分の同期は経験者ばかり。それも「全国レベルの同期」だった。この環境で必死にもがくうちに、近藤は周囲に追いつくようになる。ハイレベルの中で競い合い、自分のレベルが上がっていくのがわかったという。

 

 最初のうちは学校の選手としては大会に出場できなかったが、自分でエントリーをすれば参加できるもみじサイクルロードレースなどで少しずつ経験を積んだ。そして、2年生になると手応えをつかむ。

「自分に向いているなと思えるようになりました。レースを経験するうちに、レース展開がわかってきました。どうすればいいのか流れが少しずつわかるようになったんです」

 

 迎えた最終学年。近藤は5月に行われた第69回愛媛県高校総体のスクラッチで見事に優勝を果たす。松山聖稜高校は9種目全て制覇し、9年連続31度目の優勝を成し遂げたのだ。

 

 このまま近藤は波に乗る。6月の四国高校選手権、得意とするポイントレースで優勝。翌日のスクラッチでも頂点に立つ。だが、8月の全国高校総体男子個人ロードレースで27位、10月の和歌山国体ポイントレースでは8位だった。和歌山国体では入賞こそしたが、この2つの大会は近藤にとって悔いが残った。

 

 近藤は「6月の四国高校選手権にピークを合わせ過ぎてしまったんです」とつぶやき、続けた。

 

「この時は調子が良くて全然負ける気がしなかった。総体で優勝できる実力があったと自分では思っていたのですが、6月あたりに練習し過ぎてしまったんです」

 

 同じ学校内でのライバル争いも視野に入れつつ、どこにピークを持っていくか……。高校生にとって、この逆算はなかなか難しいだろう。それでも、近藤は和歌山国体での8位入賞を果たした。前半は苦しい展開だったが、終盤に1着、4着に入り6ポイントをもぎ取った。「調子は良くなかったのですが、ポイントを取れる時に取れたんです。最後は同点の選手がいて着順で入賞しました」と近藤。この国体入賞が近藤の競技人生で大きな分岐点となる。

 

(最終回につづく)

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近藤翔馬(こんどう・しょうま)プロフィール>

1998年3月4日、愛媛県松山市生まれ。小学生時はフルコンタクトの空手、中学校時はサッカーに取り組む。松山聖稜高校に入学してから自転車競技を始める。2015年5月、愛媛県高校総体スクラッチで優勝。翌月の四国高校選手権ではポイントレースとスクラッチで1位に輝いた。同年の和歌山国体ポイントレースで8位の入賞を果たした。法政大学に入学すると17年全日本大学対抗選手権のスクラッチで優勝を果たした。身長169センチ、体重69キロ。

 

(文・写真/大木雄貴)

 


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