二宮清純: 後半戦も雲海酒造の本格芋焼酎『木挽BLUE』のロックでスタートします。吉田さんはフランスのプロリーグでプレーした経験があります。フランスは“シャンパンラグビー”と言われるボールを繋ぐラグビースタイルが有名です。

吉田義人: スポーツは芸術だと思っています。芸術性がないと選手も監督も人々に感動を与えられるようなチームはつくれない。美しくあるべきです。

 

 

 

 

二宮: 確かにラグビーにおけるトライに至る過程は1つの芸術ですよね。

吉田: そうです。真っ白いキャンバスに最後はどんな絵を描けたか。計算通りのトライは世の中の人をあまり感動させない。本能で、鍛錬されてきた身体が自然に動いた時のトライは後世に語り継がれると感じます。

 

二宮: 日本ラグビー史に残る大金星と言われたスコットランド戦での吉田さんのトライがまさにそうでしたね。1991年の大学選手権決勝の早明戦での逆転トライ、1992年の世界選抜でオールブラックス(ラグビーニュージーランド代表の愛称)から奪ったダイビングトライなど印象的なプレーが多い。

吉田: 僕は“吉田義人にしかできないプレーをしたい”と常に考えていましたし、そのためのトレーニングを黙々と積んでいましたからね。あとはご先祖様が僕の普段の行いを見ている。それがいい巡り合わせを与えてくれたんでしょうね。

 

二宮: その中でも特に印象に残るトライは?

吉田: 僕のプレースタイルは、ボールを持って走り、相手を抜きトライをすること。先ほど挙げた早明戦と世界選抜でオールブラックスから奪ったトライは個人的にも印象に残っていますね。2つのトライにはそれぞれ違う意味があるんです。早明戦でのトライは4年間寝食を共にしてきた仲間たちの思いがかたちになったもの。一方の世界選抜の時は完全に個の世界のトップ集団だった。イングランド代表のセンター(CTB)ジェレミー・ガスコットからのキックパスに飛び込んだトライは、個の色を全面に出して奪ったものでした。ただ2つのトライに共通しているのは、僕自身が無の境地でプレーしていたことです。

 

二宮: いわゆるゾーンと呼ばれるものでしょうか。

吉田: そうですね。普段とは全然感覚も違う。走り始めた時に空気の流れが見えている。それは100m11秒台で走った時には、見えないものです。

 

二宮: ベストタイムはどのくらいですか?

吉田: 10秒8。僕の主治医からは「吉田君、100mやりなさい。井上悟君(元日本記録保持者)よりも質の良い筋肉だ」と絶賛されました。

 

二宮: それはスゴイ! 陸上に転向していたら、桐生祥秀選手より先に9秒台を出していたかもしれませんね。

吉田: スピードスケートのオリンピック金メダリストの清水宏保君がよく言っていましたよね。「筋肉と会話できる」と。僕も全く同じ感覚です。筋肉の細胞が動いているのがわかるんです。細胞1個1個が生きているんだから。僕の筋肉はそれほど特殊であったと思います。

 

二宮: それは遺伝的なもの?

吉田: 母親の影響が大きいと思います。北海道の田舎で育った母親は、子どもの頃から爆発的なスピードがあって、付けられたあだ名は“戦闘機”との事。だから母親の血なんですよ。速く走るためにはどうするかということを常に考えていました。独自で変わったトレーニングもやっていたので、周囲からは“アイツ、何やっているんだ”と思われていたかもしれませんが……。

 

二宮: 持って生まれた才能ですね。

吉田: 小さい頃からの食事と育った環境が良かったと思います。山籠もりの修行もしたことがあります。僕は山の中で獣になりたかった。人間の知性を持った獣の身体。そうすればタックラーに絶対捕まらないと思った。人間と人間だったら動きを読まれて、スピード感が一緒だったりする。だから獣になりたかった。そういう気持ちでトレーニングをしていました。

 

 世界を痛感したタックル

 

二宮: そんな吉田さんが日本代表として初試合の時、オーストラリア代表のイアン・ウイリアムスから受けたアンクルタックルには衝撃を覚えたと伺いました。あれは当時の日本にはなかったテクニックだったのでしょうか?

吉田: 当時19歳の大学2年生でしたが、そんなタックルの技術があることすら知りませんでした。

 

二宮: 具体的にはどんなタックルなのでしょう?

吉田: 走っている時に踏み出した足が接地する瞬間、当然もう一方の足は地面から離れていますよね。その後方にある足を手で払うんです。そうすると足が絡まって転倒する。これがアンクルタックル。最後のどうにもならない時に使う高度なテクニックです。

 

二宮: 初めてタックルを受けた時は?

吉田: 本当に何が起こったのかわからなかった。完全に相手を置き去りにして、いつもなら簡単にトライを取れているはず。ところが“抜けた! もらった!”と思った時には転んでいたんです。あれによって世界レベルを痛感しました。ウイリアムスはオーストラリア代表で現役バリバリのレギュラーでしたからからね。大学4年になった時には明治のキャプテンとして大学選手権を制し、日本選手権に進み、平尾誠二さんがキャプテンとして3連覇を目指す神戸製鋼と対戦しました。当時の神戸製鋼にはウイリアムスが新加入し、国立競技場で日本代表・吉田義人vs.オーストラリア代表イアン・ウイリアムスの再戦となったわけですよね。あの時もたくさんのファンが詰め掛け、吉田義人とイアン・ウイリアムスの闘いを喜んでくれました。

 

二宮: あの頃のウイリアムスは誰も捕まえられなかった。

吉田: 本当に速かった。100mを10秒台で走っていましたよ。僕も当時は100m10秒8だったので、マッチアップしている本人としても、おもしろかったです。

 

二宮: 吉田さんは世界選抜でもプレーしていますから、ワールドクラスのスターのすごさを肌で知っている。他に衝撃を受けた選手はいますか?

吉田: 僕が世界選抜に入った時は22歳。世界のスーパースターたちのプレーはどれも衝撃的でした。その中でもフランス代表のセンター(CTB)フィリップ・セラですね。当時の世界中のナンバーワンキャップホルダー。通常の視野では平面でしか見えていないはずなんですが、彼は抜いた後のこともイメージできている。一手先、二手先でどうプレーするかを考えられているんです。

 

二宮: ピッチを俯瞰で見えているという感じでしょうか。

吉田: 完全にそうですね。彼と同じチームでコンビを組んでみて、セラのプレー選択が今まで組んできたCTBとは違っていた。僕も平尾誠二さん、朽木英次さんなどの日本代表の錚々たるCTBとコンビを組んできましたが、彼はプレーの奥行きが他の選手とは違っていて、芸術家の域に達していたと思います。

 

二宮: 明治大学卒業後、吉田さんは実業団の強豪チームではなく新興の伊勢丹に進まれました。その理由は?

吉田: 以前から企業スポーツや実業団チームに疑問を感じていたんです。アマチュアなのに、一社でスポーツチームを抱えて、資金を投じて強化している。そのスタイルがよくわからなかった。伊勢丹に行ったのは仕事を最優先で一般の従業員の皆様と同じ時間にさせてもらえることが理由でした。当時、ほとんどの実業団の強豪チームではラグビーに支障をきたさないところに配属される。僕は余暇を使って練習をして代表を目指すのが、アマチュアのスタイルだと思っていました。だから伊勢丹に魅力を感じたんです。

 

二宮: 吉田さんには独自の道を切り拓いていく印象があります。2000年には伊勢丹からフランス1部リーグのUSコロミエに移籍しました。日本人初の1部リーグのプロラグビー選手です。

吉田: フランスに行く決断をしたのは、プロリーグがすでに発足していて、選手全員がプロ契約をしていたからです。アマチュアから、プロの環境を選択したので、ディビジョン1のチームを選びました。それと地域密着をどう進めているのかを知りたかったので、このクラブを選んだ。フランスに渡る前、知人を通じてJリーグの生みの親である川淵三郎さんに会わせてもらいました。いずれラグビーがサッカーに学ぶ時がくる。その前に僕は海外で実体験をし、学ぶべきと思ったのです。

 

 7人制の可能性

 

二宮: 地域密着と言えば、1992年秋にスタートしたJリーグが掲げた百年構想の理念が他のスポーツに影響を与えました。

吉田: Jリーグの百年構想には衝撃を受けました。当時、僕は現役選手だったので、なかなかそれについて勉強する機会がなかった。だから1995年ラグビーW杯が終わった時に筑波大学の大学院を受験し、入学することができました。この2年間でドイツにおける総合型スポーツクラブを勉強する機会を得た。その時、僕は確信しました。“これは絶対、子どもたちを育てることに、将来繋がる。老若男女がコミュニケーションを図り、地域コミュニティの活性化をするために存在するべきスポーツの大事な姿だ”と。だから僕は総合型スポーツクラブをずっと思い描いてきました。

 

二宮: それが現在の活動にも繋がっていると?

吉田: はい。そういった経験を踏まえ、欧米のようなスポーツ環境を日本にも整備していくべきと考えるようになりました。だから昨年4月に日本スポーツ教育アカデミーを立ち上げて、理事長を務めているんです。ラグビーを軸とした各種スポーツ教室開催、スポーツ指導者の育成及び派遣、スポーツの普及・振興を図る事業を行っています。僕は行動を起こす上でのキーワードがある。それは「教育」と「健康寿命」です。ここにスポーツが繋がる。このトライアングルにしっかりと合致したことであれば、基本的には自らにゴーサインを出しています。

 

二宮: ここでも地域密着はキーになりますね。

吉田: その通りです。行政、企業、地域住民が三位一体となり、それぞれのいい部分をリンクさせて先導していくことが重要です。僕が立ち上げた7人制ラグビー専門チームの「サムライセブン」もそのモデルケースになっていけばいいと考えています。企業には「一緒に人材を育てていきましょう」と声を掛けています。模範になるような人として選手たちを育てていく。その点で僕はオリンピックの正式種目である7人制ラグビーの将来に可能性を感じ、認知・普及活動に精力的に取り組んでいます。

 

二宮: 東京への一極集中化が進む中、地方ではラグビーチームをつくるのも苦労しているのが実状です。その点でも7人制ラグビーに可能性を感じますね。

吉田: 僕がなぜ7人制を推奨していきたいのかというと、安全面です。首と頭部における重傷事故例がほとんど起きていない。15人制のラグビーとグラウンドのサイズが一緒なので、ボールを持っている方はタックラーから逃げていく。力と力でぶつかる機会が少ない。壁ができていて、それを壊していくことができなければ、なかなかトライをする事ができないのが15人制ラグビー。腰から下にしかタックルをすることができないというルール上、最初にヒットするのが頭と首になってしまう。だからケガをするリスクも7人制と比べると高いんです。

 

二宮: それは両方を高いレベルで経験した者にしかわからない知見ですね。

吉田: だから僕ら7人制の指導者は「当たりにいけ」とは指導しない。「抜きにいけ」。15人制は不利な状況になった時はスペースをつくるために「当たれ」と指導をする。そこに違いがあるのだと思います。

 

二宮: なるほど。

吉田: それにラグビーというスポーツをなぜ子どもたちにやってもらいたいと思っているのか。僕は明確な理由を持っている。それは子どもの教育における柱となるスポーツだからです。リーダーシップを醸成する。責任感を持たせる。ひとつのことをやり遂げさせる。ラグビーは身体を張らないと仲間から信頼されないスポーツです。そこは7人制も15人制も一緒です。

 

二宮: タグラグビーはタグベルトと呼ばれるものを腰に巻いてプレーする。タックルがない分、年少者や初心者への配慮が窺えます。

吉田: はい。タグは導入としては良いのですが、中学になってからラグビーに移るかと言われればそうとも限らない。なぜかというと人とのコンタクトに慣れていなく、恐怖心もあるからです。だったら7人制を目指して行くのも良い選択です。もし7人制をやっていて、“もっとコンタクトをしていきたい”という子に関しては15人制に導いてあげればいいと思うんです。ラグビーを他のスポーツをやりながらでもできることで、子どもたちの人数を確保できる。ラグビーはそういうスポーツのひとつでいいんですよ。

 

二宮: さて、『木挽BLUE』のロックで始まった後半戦も、そろそろノーサイドの時間を迎えてきました。吉田さんは酒どころ秋田県の出身。お酒も強いのでは?

吉田: そういうDNAはあったのかもしれませんね。ただ若いころはあまり飲むのが好きではありませんでした。飲み始めたのは伊勢丹でキャプテンをやっていた頃からです。練習が終わってからミーティングをするとだいたい夜になる。食事をとりながらのミーティングで、酒を酌み交わす。最初はビールでしたが、そのうち焼酎中心になりましたね。芋焼酎も大好きです。蒸留酒はすごく身体に合っていると感じます。特にこの焼酎は美味しいですね。

 

二宮: お代わりならいくらでもありますよ。

吉田: ありがとうございます。一仕事終え、ゆっくりしたい時に飲みたいと思える焼酎ですね。

 

二宮: 2019年にはラグビーW杯が行われます。なかなかゆっくりもできないのでは(笑)。

吉田: そうですね。ラグビー談義がしたいときは是非誘ってください。清純さん、近いうちにこの『木挽BLUE』でまた1杯飲みましょう!

 

(おわり)

 

吉田義人(よしだ・よしひと)プロフィール>

1969年2月16日、秋田県男鹿市生まれ。秋田工業高校で全国制覇。明治大学でもキャプテンとして大学選手権優勝。明治大学卒業後は伊勢丹でプレー。98年、筑波大学大学院卒業。世界選抜チーム選出3度、ワールドカップ出場2度。現在は一般社団法人日本スポーツ教育アカデミーを設立し、理事長に就任。スポーツを通しての将来の人材育成に力を注いでいる。7人制ラグビー専門チーム「サムライセブン」の代表兼監督を務め、ラグビーワールドカップ2019神奈川県・横浜市特別サポーターとしても活動中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回、吉田義人さんと楽しんだお酒は芋焼酎「木挽BLUE(ブルー)」。宮崎の海 日向灘から採取した、雲海酒造独自の酵母【日向灘黒潮酵母】を使用し、宮崎・綾の日本有数の照葉樹林が生み出す清らかな水と南九州産の厳選された芋(黄金千貫)を原料に、綾蔵の熟練の蔵人達が丹精込めて造り上げました。芋焼酎なのにすっきりとしていて、ロックでも飲みやすい、爽やかな口当たりの本格芋焼酎です。

 

提供/雲海酒造株式会社

 

<対談協力>
TORYU 鉄板焼き鳥
東京都港区新橋3-3-7 1F
TEL:03-6274-8949
営業時間

平日・土曜日:18:00~26:00(L.O.25:00)

日曜日・祝日:17:00~24:00(L.O. フード23:00/ドリンク23:30)

不定休

 

☆プレゼント☆

 吉田義人さんの直筆サイン色紙を本格芋焼酎『木挽BLUE』(900ml、アルコール度数25度)とともに読者3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらのメールフォームより、件名と本文の最初に「吉田義人さんのサイン色紙希望」と明記の上、下記クイズの答え、郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)を明記し、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストをお書き添えの上、お送りください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は3月8日(木)。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、吉田義人さんと楽しんだお酒の名前は?

 

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

 

(写真・構成/杉浦泰介)


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