(Photo/阿部謙一郎 2014ソチパラリンピック)

 平昌オリンピックが閉幕し、次はパラリンピックが始まります。私がパラリンピックに注目したのは2008年の北京からでした。当時から現在まで、パラリンピックやパラアスリートに対する人々の捉え方や感じ方は大きく変化してきました。

 

 08年、パラリンピックは世界的に「超エリートスポーツ」と言われる時代に入りました。それまでのリハビリスポーツ、競技スポーツを経て、オリンピックのように競技性の極めて高いスポーツとして位置づけられたのです。同時にこのころから、パラリンピックやパラスポーツはテレビや新聞に取り上げられる機会が増えました。

 

 その関心の多くは、スポーツの側面より、人物にありました。パラアスリートの人生に焦点を当て、彼らの様々なストーリーを追う視点が多かったのです。事故に遭う、絶望する……。家族や周囲の人、新しい出会いなどがある。そうした出来事を伝えていました。これらのストーリーは、障がいのある人への誤解や偏見を融かしていくのに、大いに効果がありました。

 

 当時、私はパラアスリートの記事や書籍を多く集め、一人ひとりが「障がい」に対して違う考え方を持っていることを知りました。例えば、ひとからげに「障がいを乗り越える」という言葉はまったく当てはまらないことを知らされました。

 

 乗り越えた人もいれば、乗り越えることはないと思っている人もいました。また乗り越えたくない、乗り越えるつもりはないという人もいたし、乗り越えられない、乗り越えるとはどういうことかわからないなど。ひとりずつ、みんな違うのです。

 

 この時期にこうしたことを教えられたことで、私自身の考え方も大きく変わりました。このころを第1の時代だったとしましょう。

 

(Photo/阿部謙一郎 2014ソチパラリンピック)

 第2の時代が来たのは12年ロンドン大会、そして13年に「2020東京オリンピック・パラリンピック」の開催が決定したころです。メディアの扱いは社会面からスポーツ面に移りました。パラスポーツをスポーツとして捉え、その醍醐味、競技性の高さ、ルールの奥深さなどをメディアが伝えたことで、パラスポーツをドラマではなくスポーツとして見る人が増えました。

 

 現在はこの第2の時代の真っただ中です。ここからさらに次の時代へと移行していきたいと考えています。そう、第3の時代へと進んでいきたいのです。そのためのきっかけが今回の平昌パラリンピックだと考えています。

 

 パラアスリートの日常

 平昌パラリンピックですごくかっこいいアスリートを見たとします。例えば心も身体もたくましい、そんなパラアイスホッケーのアスリートが、スレッジ(*1)から車いすに乗り換えたらちょっとのことで越えられない段差がある。急斜面を猛スピードで滑走する視覚障がいのアルペンスキーのアスリートが、スキーから靴に履き替えて町に出たとき、初めての場所へ行くのはとても難しい。

 

「氷上や雪上ではあんなに自由に動いている人が、あれ、もしかして……。障がいはアスリートにあるのではなく、段差や建物、社会の側にあるのでは?」と気がつくかもしれません。

 

(Photo/阿部謙一郎 2014ソチパラリンピック)

 また、こんなことを想像してみてはどうでしょう。パラリンピックの会場が多くの観客で埋まっているシーンを見たとき、その観客は全員が障がいのない人たちなのかといえば、そんなはずがありません。では車いす席はどうなっているのだろう。視覚に障がいのある人たちはどうやって観戦を楽しんでいるのでしょうか?

 

 余談ですがプロ野球の阪神ファンの知人女性がいます。彼女は全盲ですが毎年シーズンチケットを買って甲子園球場へ応援に行きます。その話を聞いて「見えないのに……?」と一瞬思いましたが、彼女はラジオ実況を聞きながら、一塁側のいつもの自分の席から応援しています。阪神ファンの同志と一緒に一喜一憂するその臨場感、空気感がたまらないのだそうです。

 

 パラリンピックを開催するスタジアムを対象にした推奨環境が国際パラリンピック委員会から出されています。そこには車いすの席数や配置、聞こえにくい人への配慮など、障がいのある人に対する細部にまで及ぶガイドラインが記されています。

 

 さて、平昌パラリンピックをもし見るとしたら、そんなことをちょっとだけ思い浮かべながら見てみてはいかがでしょう。アスリートの雄姿を目の当たりにしながらそんなことを思うと、これまでの障がいのある人への概念や、社会のユニバーサルデザインなどが、気になったり、違和感を覚えたりするのではないでしょうか。それこそが共生社会実現への鍵なのです。

 

 08年を第1、そして12年ころからをパラスポーツ第2の時代と設定しました。では、今は? このようなことを意識して第3、いえその前の2.5の時代へ進んでいけたら、と願っているのです。すると、パラスポーツを見ることが、私たちの社会が共生社会へ大きく加速することになるはずです。

 

*1 スレッジ=スケートの刃を2枚付けたパラアイスホッケー専用のそりのこと。選手はこのスレッジに乗り、左右の手にスティックを1本ずつ持ってプレーする。

 

 

伊藤数子(いとう・かずこ)プロフィール>

新潟県出身。パラスポーツサイト「挑戦者たち」編集長。NPO法人STAND代表理事。スポーツ庁スポーツ審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問。STANDでは国や地域、年齢、性別、障がい、職業の区別なく、誰もが皆明るく豊かに暮らす社会を実現するための「ユニバーサルコミュニケーション事業」を行なっている。その一環としてパラスポーツ事業を展開。2010年3月よりパラスポーツサイト「挑戦者たち」を開設。また、全国各地でパラスポーツ体験会を開催。2015年には「ボランティアアカデミー」を開講した。著書には『ようこそ! 障害者スポーツへ~パラリンピックを目指すアスリートたち~』(廣済堂出版)がある。

◎バックナンバーはこちらから