皆様、お久しぶりです。松修康です。前回、人生で初めてのコラム原稿を書きましたが、早いもので2カ月が経ちました。今回も自分なりに一生懸命気持ちを込めて書いていきますので、お付き合いよろしくお願いいたします。


 現在、私は白寿生科学研究所で営業社員(アスリートに特化)を採用する部署に所属し、日々精力的に動いています。また一方でアスリートエージェントに所属し、アスリートのセカンドキャリアと体育会大学生の就職支援をしています。

 

 仕事を通じて大勢のアスリートと会い、いろいろな話を聞かせてもらっていますが、競技のことを熱く語る人は多いのですが、競技後の人生を語れるアスリートが少ないのが現状です。でも、思い起こせば自分もそうでした。プロ野球選手になって活躍することしか考えておらず、引退後、何をするのか? そんなことは一度も考えることもなく過ごしていました。こんな考えが、セカンドキャリアの問題のひとつかもしれません。

 

 現役時代、外国人選手と仲良くしていて、よく食事にも一緒に行っていました。外国人は日本人と違って、そういう場所で野球の話はあまりせず、自身の未来のことばかり語っていたのをよく覚えています。

 

 ひとりの選手は「日本でたくさん稼いで生まれ故郷に戻り、田舎町で牧場を開いて動物とふれあいながら生きていきたい」と語り、別の選手は「日本で稼いだお金で経営者になる」と語っていました。そのときに彼らに「松は将来、何をするの?」と聞かれましたが、私は答えに窮してしまいました。

 

 彼らに「では何で野球やっているの?」「何で苦しい思いをして頑張っているの?」と突っ込まれ、すべてに答えられない自分がいました。自分と違って彼らには将来のビジョンがあり、そのために何をしたら良いのかを常に考えていました。今になって思えばですが、私も彼らの話を聞いて彼らのようにビジョンを持って行動していたら、今とは違った人生を歩んでいたかもしれません。

 

 前回も書きましたが、私は北海道日本ハムを解雇され、ビジョンがない中で就職活動をしていたとき、周りの方からアドバイスがあり、将来のビジョンを持つことができました。ですが、自分とは違い、ビジョンを持てず、悶々としている元プロ野球選手も多く見てきています。

 

 野球で学んだ人間力

 以前、こんなことがありました。元プロ野球選手が多く集まる研修会に出席した際のことです。懐かしい顔があったので、挨拶に行き、名刺を交換すると、一流企業に就職していてびっくりしました。でも、その後に出てきた言葉を聞いてさらに驚きました。「松、サラリーマンは面白くないだろ?」と。

 

 一瞬、返す言葉が見つからず、固まってしまいましたが、「そうですか? 自分は楽しく頑張っていますよ」と返すと、「野球の世界に戻りたいよ」と、過去しか見られていない人の決まり文句が出てきました。この人は一流企業に勤めていて、野球に関われる仕事に就いているのになんでそんなことを言うんだろう、と悲しくなったものです。

 

 プロ野球ファンの皆さんに伺いたいのですが、もし自分の応援していた選手が引退し、未来のビジョンも持たず、諦めた人生を過ごしている姿を見たらどう思いますか? もちろんそんな姿は見たくないですよね。

 

 現役を退いて「元選手」になったとはいえ、子供のころからプロ野球選手になるという夢を持ち、多くの困難を乗り越え、プロまで上り詰めてきた人たちだと思います。その夢を達成するために何をすべきか、どう動くべきかを考え、努力をし、結果を出し続けてきた経験を生かして、これから何ができるのか。何を選択すればこれまでの経験を生かせるのかを、考えてもらいたいです。

 

 プロ野球選手を含めてプロアスリートは引退後すぐに、「生活のために仕事をしないといけない」「家族を食べさせるために仕事を考えないと」と思い込んでしまうと、「あれもできない、これもできない」と負のスパイラルに陥ってしまい、選択肢がどんどん狭くなってしまいます。まずはビジョンを明確にして、そのビジョンを叶えるために何をすべきかを考えて欲しいと願います。

 

 私が人から教わったことですが、仕事をする上で大事にしていることをお伝えしましょう。

 

「仕事は作業で誰にでも覚えればできる。"自分にしかできないことは?""人のために何ができて何の役に立つのか?"と常に考える。そして、人の心に入り込み、心と心で会話をし、人の思いを飛び越える期待を持ってもらえることはができれば、人が付いてきてくれ応援者になってくれる」

 

 こうして書くと当たり前で簡単なことですが、それを改めて教えていただき、今も心がけるようにしています。

 

 多くの選手に言えることですが、野球に打ち込んで学んだことは技術よりも人間力の方が多いと思います。学んで来た人間力をもっと磨いて、人として成長すれば世の中で生きていけると思います。

 

 最後に、私は人との縁の中で成長させていただき、人に生かされ今後も学んでいきます。このコラムを読んでいる皆さんとも、どこかでお会いすることがあるかも知れませんが、その時は声をかけてくださいね。楽しみにしています。

 

 では今回も最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。また次回、よろしくお願いいたします。

 

 

 

<松修康(まつ・のぶやす)プロフィール>
1976年7月23日、神奈川県生まれ。中学時代まで地元・神奈川でプレー。高校は宇都宮学園高校(現・文星芸術大学附属高校)に進み、卒業後は東北福祉大学へ。99年、ドラフト2位で福岡ダイエー(現ソフトバンク)に入団した。00年10月、オリックス戦でプロ初登板。01年6月10日、オリックス戦で初先発し、6回1/3、1失点で初勝利。これがプロ唯一の勝ち星となった。04年、左の中継ぎとして自己最多の40試合に登板。05年、現役を引退。横浜DeNA、北海道日本ハムの打撃投手を経て白寿生科学研究所へ入社。現職は管理本部総務部人材開拓課所属。プロ野球選手をはじめ多くの元アスリートのセカンドキャリアを支援する。


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