今年5月、長嶋茂雄とともに国民栄誉賞を授与した松井秀喜。ヤンキース時代にはワールドシリーズで日本人初のMVPを獲得するなど、メジャーリーグでも主戦として活躍した。その松井が巨人時代、「顔も見たくない」と言ったほど、苦手としていたのが遠山奨志(当時阪神)だ。 “松井キラー”として一躍有名となった遠山だが、実は高校時代はプロに入る気持ちはなく、スカウトにも入団を断り続けていたという。その遠山がなぜプロ入りを決めたのか。その真相に二宮清純が迫った。
二宮: 阪神が初の日本一を達成した1985年、その年のドラフト会議で遠山さんは阪神から1位指名を受けました。甲子園には出場していませんが、県大会などでのピッチングはずば抜けていたんでしょうね。
遠山: 自慢するわけではありませんが、当時は九州では5本の指に入る、と言われていました。バッティングもトップ評価だったんです。

二宮: エースで4番?
遠山: いえ、初回に必ず打順がまわってくる方がいいということで、僕は3番でした。

二宮: 投げても三振の山を築いていたんでしょう?
遠山: そうですね。最多は、1試合で15個くらい三振を奪ったことがありましたね。

二宮: 遠山さん自身は、ピッチャーとバッター、どちらの方をやりたかったんですか?
遠山: 僕はバッティングが好きでしたね。実はもともと野手だったんですよ。高校2年の最後くらいからピッチャーをやり始めたのですが、他に誰もいなかったから仕方なく、という感じだったんです。本当は打つのが好きでしたから、野手としてやっていきたいと思っていました。

二宮: 3年の夏は県大会でどこまでいったんですか?
遠山: 2回戦で熊本工業に負けました。でも6回の終了時点では7−0で、うちが勝っていたんです。僕自身、熊本工打線を2安打くらいに抑えていました。でも、そこから逆転負けしたんです。

二宮: 残り3イニングで一挙8点以上取られたと。突然、崩れた要因は何だったのですか?
遠山: 生意気にも、僕らはなめてかかっていたんです。完全に油断していましたね。

二宮: 熊本工といえば、全国屈指の強豪校で甲子園の常連校でもあります。その熊本工相手に余裕だったとは……。
遠山: 夏の県予選前に、その年の春のセンバツに出場した東海大五と練習試合をしたんです。僕らは20〜30人しかいないのに、向こうは100人くらいいるんですよ。「おいおい何や、あの集団は?」と驚きましたね。しかも、体がごつかった。「やっぱり甲子園出場校は違うな」と思っていたんです。ところが、その東海大五に11−1でコールド勝ちしたんです。それからですね、自分たちを過信し始めたのは。監督や部長も甲子園をすごく意識していましたし、僕ら選手は変に余裕を持つようになってしまったんです。

二宮: それが熊本工に逆転負けした伏線になったと。
遠山: そうですね。6回の時点で「もう余裕やな」と思っていたら、7回に2、3点取られたんです。その時点で「あれ、ちょっとこれ、怪しい雰囲気やな」と思いましたが、もう遅かったですね。結局、8−10くらいで負けたんです。

二宮: それでもスカウトは、遠山さんの力を見抜いていたんですね。
遠山: 確か、10球団くらいのスカウトに見ていただいていたようですね。広島さんだけ野手で、という話だったのですが、あとの球団はピッチャーとして評価してくれていました。

二宮: 当時、球速はどのくらいだったんですか?
遠山: そんなに出ていなかったですよ。140キロの中盤は出ていると言われたのですが、おそらくスピードガンが間違っていたと思いますね。プロに入った当初、140キロいくかいかないかくらいでしたから、高校時代は140キロは出ていなかったと思います。

二宮 変化球は何を?
遠山: カーブだけです。ただ、今でいうカットボールは自然に投げていました。当時は意識していなかったのですが、今思えばバッターがよく詰まるなという感覚はありました。

二宮: ドラフト1位指名は、遠山さんとしては驚かなかった?
遠山: いえいえ、ドラフトなんか意識したことなかったですよ。自信といっても、あくまでも県内でのものでしたからね。卒業後は社会人入りが決まっていましたから、そっちにしか頭になかったんです。

二宮: 社会人からプロへと進路変更したきっかけは何だったのでしょう?
遠山: 何度断っても、阪神のスカウトがあまりにも熱心に来られるもんだから、「じゃあ、1位だったら行きます」と約束したんです。でも、僕は1位はないだろうと思っていたからこそ、そう言ったんです。あくまでも断るための口実でした。

二宮: それが本当に1位指名だったと。
遠山: はい。清原和博の外れ1位として指名されたんです。それで入らざるを得なくなりました(笑)。

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