あれは6月27日、ポーランド戦の前日会見でのことだった。

 

 西野朗監督は会見場に上がる際、つまずきそうになったものの何とか転ばずに済んだ。報道陣の前で表情を変えることなく両手を広げて「セーフ」のポーズ。この余裕の振る舞いが場内の笑いを誘った。クールを貫く一方で、茶目っ気のある63歳の指揮官である。

 

 そのポーランド戦は0-1で試合が進む中、3枚目のカードでキャプテンの長谷部誠を投入して“負け逃げ”を図ろうとした。このことが賛否両論を呼んだ。

 

 同時刻にスタートしている試合はコロンビアがセネガルをリードしており、2試合ともこのままのスコアで終われば日本は2位通過できる。しかしセネガルが追いついた時点で決勝トーナメント進出が極めて難しくなるギャンブルに出たわけだ。

 

 監督とは決断することが仕事である。

 

 ポーランドのカウンターの餌食になりそうな気配も多分にあり、同点に追いつく確率とリードを広げられてしまう確率を頭の中の弾き出したのだと思う。中途半端だけは避けなければならない状況であったのは確か。指揮官は後者のほうが高いと考えて対策を講じた。結果、選手たちは難しいミッションを遂行して日本は2大会ぶりとなる決勝トーナメント進出を決めた。長谷部は「真実は結果の中にしかない」と語ったが、そのとおりだと思えた。

 

 そしてもう一つの賭けが、先発を6人も入れ替えたこと。セネガル戦から中3日、そして決勝トーナメント1回戦も中3、4日になることを考慮しての大幅な変更だった。ベルギーとの一戦において、ポーランド戦に出場しなかった香川真司、原口元気らの動きの良さを見てもその効果は十分にあったと言っていい。

 

 グループリーグを突破して、強豪ベルギー相手に2点を奪った。逆転負けは残念であったが、決勝トーナメントでゴールを奪えていなかった過去から一歩前進したワールドカップになったことは間違いなかった。

 

 つまずきそうで、転ばない。

 西野監督の「信念」が、そうさせたようにも感じている。

 

 ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の解任に伴い、技術委員長の立場から新監督に就任したのが4月。限られた時間でチームを仕上げなければならなかった。

 

 初陣となった壮行試合のガーナ戦(5月30日)、指揮官はこれまで採用してこなかった3バックをテストした。これには深い意味があった。

 

 3バックで本大会に臨むということではなく、オプションの一つであり、何よりも「このチームを変えていくぞ」という意思表示であった。

 

 試合に敗れ、日産スタジアムにはブーイングが飛んだ。

 

 この光景に筆者は8年前のことを思い出した。南アフリカワールドカップに向かう岡田ジャパンも壮行試合の韓国戦に敗れ、ブーイングが巻き起こった。これを機に岡田武史監督はシステム、人、ゲームキャプテンまで入れ替えて本番に臨んで決勝トーナメントまで勝ち進んでいる。

 

 岡田監督はこう語っていた。

「物事を変えようとしているときは順次に変えてもダメ。ここで変えるぞということを、チームにはっきり示さないと意味がない」

 

 言うまでもなく西野監督はJ1歴代最多270勝を挙げた経験ある監督だ。1996年のアトランタオリンピックでブラジル代表を撃破する“マイアミの奇跡”を起こし、ガンバ大阪でも多くのタイトルを獲得している。きっと岡田監督の発想と同じように、「変える」ためのインパクトとして3バックを用いたと考えていい。

 

 次なる決断がメンバー選考だった。

 28.17歳の平均年齢は過去最高。経験者重視の選考は“おっさんジャパン”などと揶揄された。しかし本人にワールドカップの経験がない以上、選手の経験値に頼るのはセオリーとも言える。

 

 結果、ブラジルワールドカップの悔しさを秘める選手の活躍が目立った。コロンビア戦でPKを奪ったのは香川真司と大迫勇也の連係がもたらしたものだ。吉田麻也や長友佑都の奮闘ぶりを見ても、「4年前のリベンジを」という思いは伝わってきた。

 

 さらに西野監督は、いろいろな財産を使おうとした。パスを回して主導権を握るスタイルはザックジャパンが取り組んできたこと。柴崎岳や武藤嘉紀たちにはアギーレジャパンの経験もある。そしてデュエルをはじめ、ハリルジャパンで積み上げたものを加味するスタイル。また、乾貴士と香川のセレッソラインや昌子源、柴崎、大迫の鹿島ラインなど、Jリーグの財産も使おうとした。

 

 就任当初、西野監督にインタビューした際、このように語っていた。

「決してパズルだとは思っていませんが、組み合わせによってチームの良さ、信じられないプレーが出てくるのが日本の強みなのかなと感じています。もちろんハリルホジッチさんのもとでやってきたコアメンバーがベースになるし、彼らが積み上げてきたものを活かしたい。そのうえで良い組み合わせを見つけていきたいという思いがあります」

 

 良い組み合わせを見つけて、科学変化を起こす。

 この方針も、ブレなかった。

 

 本番前の最後の試合となったパラグアイ戦(12日)では4日前のスイス戦から先発メンバーを10人も入れ替えている。2試合で23人全員を使い切り、勝利したことでムードも一変した。

 

 選手たちにコミュニケーションを促し、“やらされている”雰囲気ではなく、“自分たちでやろうとする”空気をつくりだそうとした。5月下旬、合宿に入る前にオフを取らせたことも大きかった。すべては指揮官の信念が反映されていた。

 

 決断、日本代表やJリーグの経験値、そして信念。

 それこそが西野マジックの正体だったと確信している。