昨年10月24日、大山暁史は1年前とは違う気持ちでドラフト会議を迎えていた。「指名されるだろう」。1年前はそう信じて疑わなかった。だが、最後まで大山の名前が呼ばれることはなかった。腐れかけそうな気持ちを奮い立たせ、再スタートを切った2013年。野球への姿勢も、考え方も変わった。そして迎えた2度目のドラフト会議。待望の瞬間が訪れると、大山以上に喜びを爆発させたのはチームメイトだった。そんな思いを胸に、大山はプロ生活をスタートする。
―― 2度目となったドラフト当日の心境は?
大山: 午前は会社に出勤していたのですが、正直言って、仕事がまったく手につきませんでした。もうドラフトのことしか考えられなくて、朝からソワソワしていたんです。いつもなら時間が長く感じられるんですけど、その日はあっという間に時間が過ぎていきましたね。

―― 2012年のドラフトでも候補に挙がっていました。
大山: はい、自分では「(指名が)かかるやろう」なんて考えていて、変な自信がありました。まさか、次の年もドラフトでドキドキするなんて、その時は思ってもみませんでした。

―― 12年は、チームメイトの赤堀大智選手、宮敏郎選手が、横浜DeNAに指名されました。
大山: 3人で、寮の応接間のテレビで観ていたんです。そしたら赤堀が呼ばれて、その後、宮も呼ばれて……。隣の食堂で観ていた部員たちは、もう盛り上がっていました。「オレもそろそろかな」と思っていたのですが、6巡目が終了した時には気持ちが切れてしまって、自分の部屋に戻ったんです。「この後かかったとしても、プロには行かない」なんて言って、完全にふてくされていましたね。

―― そこからどう気持ちを立て直したのでしょう?
大山: ドラフト直後は、誰とも口を利きたくありませんでした。思い出したくないのに、思い出してしまって、野球へのテンションもなかなか上がらなかったんです。でも、そのうちに「まだチャンスは絶対にある。ここで腐ったら、それこそ野球人として終わってしまう」と思い直しました。もう1年、プロを目指して頑張ってみようと。

―― そういう中で迎えた2度目のドラフトでした。
大山: 今年は仲のいい先輩2人と3人で会議を見ていました。1年前のような自信はまったくなかったですね。名前が呼ばれた瞬間は、3人で飛び跳ねて喜びました。と同時に、食堂からは大歓声が聞こえてきたんです。チームメイトが、もう大喜びしてくれて。その大歓声にグッと来てしまいました。次から次へとお祝いの言葉をもらって、最後にはみんなで胴上げまでしてくれたんです。本社にいた監督からも、指名された瞬間に電話がかかってきて、「良かったな」と言ってもらいました。

 モチベーションを上げた後輩の存在

 自信を持って臨んだ12年のドラフト会議で、名前を呼ばれる瞬間を迎えることができなかった大山。彼のプライドはズタズタに切り裂かれたに違いない。果たして、彼のモチベーションを上げ、奮い立たせたものとは何だったのか。

―― 2013シーズンはどんな気持ちで迎えたのでしょうか?
大山: 前年はドラフト候補にあがったことで、無意識のうちに「いけるやろう」と変に余裕をもってしまったと思うんです。だから、そういう気持ちを一切なくすところからスタートしました。とにかく、また一から必死にやっていこうと。

―― 早い時期から後輩の浦野博司投手(北海道日本ハム2位指名)が上位指名候補として名前が挙がっていました。
大山: 正直、浦野に勝っているところはひとつもないと思っています。ただ、それでも「浦野には絶対に負けない」という気持ちで1年間やってきました。それが良かったのかなと。ドラフト候補にあがって、どんどん注目されていく彼がいたからこそ、「負けないぞ」という気持ちになれた。もし、彼がいなかったら、モチベーションが上がらなくて、あのまま腐っていたかもしれない。浦野には言えないですけど(笑)、自分にとっては浦野の存在は大きかったですね。

―― 社会人3年目で、自分の成長を感じたことはありましたか?
大山: 変化を感じたのは、4月の京都大会でした。実は監督から「今シーズンは先発はないかもしれない」と言われていたんです。ところが、京都大会の前の試合でピッチャー陣が崩れてしまった。それで京都大会の初戦、僕に先発の登板機会が与えられたんです。先発はないものだとばかり思っていましたから、最初は驚きましたが、とにかく自分まで崩れるわけにはいかないと思ってマウンドに上がりました。そしたら、いい具合に力が抜けた状態で、低めにコントロールすることができたんです。前の年は、とにかく全力で腕を振って投げていましたが、その京都大会から、力の入れ具合がわかったというか、自分のピッチングスタイルが変わりましたね。

―― 野球以外のところでの変化は?
大山: 人の話を聞くようになりました(笑)。大学時代、毎朝のミーティングでよく監督が言っていたのは「聞く耳を持て」と。「人の話を聞かないヤツは社会で通用しない」と言われていたのですが、僕はこれまで“聞く耳”がありませんでした。例えば、ピッチングでアドバイスされても、「自分には自分のやり方がある」というふうに思ってしまって……。よく「右から左へ通り抜けていく」なんて言いますけど、僕は耳の中を入れることなく、目の前を通り過ぎていくみたいな(笑)。でも、そういうのは良くないなと。今は、一度聞いて、それから自分で取捨選択するようになりました。

 身長168センチが武器に

 2年越しにつかんだプロへの道。大山の入団先はオリックス・バファローズだ。実は、オリックスとは不思議な縁を感じているという。いったい、その理由とは何なのか。そして、プロでの目標とは――。

―― オリックスへのイメージは?
大山 実は、僕が初めて生で観たプロ野球がオリックス戦だったんです。小学5年の時、両親と高校野球を甲子園に観に行ったことがあったのですが、夜にグリーンスタジアム(現ほっともっとフィールド神戸)で行なわれたオリックスとロッテとの試合を観ました。当時はまだイチローさんがいた時代でしたね。残念ながら試合の途中で雨が降ってきて中止になってしまったのですが、すごく思い出に残っています。そのオリックスから指名されて、何か縁を感じますね。

―― 対戦したいバッターは?
大山: 松田宣浩さん(福岡ソフトバンク)です。亜細亜大学の先輩で、僕が大学時代によく自主トレで大学のグラウンドに来られていたんです。セガサミーにも来ていたので、何度か一緒に練習をしたことがあります。もちろん、抑えたいという気持ちはありますが、球界を代表するバッターなので、どこまで飛ばされるか、自分のボールを試してみたいです。

―― 武器としているものとは?
大山: ストレートのキレですね。それと、168センチという身長も武器になっていると思っています。というのも、上背のあるピッチャーとはボールの角度がまったく違うので、いきなり僕みたいなピッチャーと対戦となると、バッターとすれば打ちづらいかなと。上から角度のついたボールと、下から浮き上がってくるようなボールとでは軌道がまったく違うだけに、バッターも目線を変えなければいけませんからね。

―― プロでの目標は?
大山: 社会人出身は、当然即戦力として見られている。特に僕の場合、社会人3年目でプロに入ったわけですし、今年はもう26歳なので、開幕から一軍にいないといけないと思っています。キャンプからどんどんアピールして、シーズンを通して活躍できるように頑張りたいと思います。

「もし指名されなかったら、もうプロは諦めていたし、今後長く野球を続けることもなかったと思う」と語る大山。全てを賭ける思いで臨んだ13年シーズンだったに違いない。「あの時、指名されなかったからこそ、自分は変わることができた」。2度のドラフトは大山の野球人生にとって転機となったに違いない。

大山暁史(おおやま・さとし)
1988年10月6日、大分県生まれ。別府青山高校2年時には夏の甲子園を経験。亜細亜大学を経て2011年、セガサミーに入社。1年目から公式戦に登板し、先発、リリーフとして都市対抗や日本選手権出場に貢献した。球速140キロ前後ながら、キレのあるストレートが最大の武器。168センチ、69キロ。左投左打。

(聞き手・斎藤寿子)

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