2012年、開設したスポーツポータルサイト「Sportsプレミア」では新たなスポーツ記事を連日、配信中です。このサイトではJBpress(日本ビジネスプレス)、講談社、スポーツコミュニケーションズの共同運営により、3社がそれぞれ配信している独自の記事を合わせて読むことが可能になっています。このたびゼンショー協力のオリジナル対談コーナー『虎四ミーティング〜限界への挑戦記〜』が更新されました。2度のホームラン王に輝き、通算403本塁打を放った実績を持つ元プロ野球選手の山崎武司さんに続くゲストは、ロンドン五輪で2つの銅メダルを獲得した元競泳選手の寺川綾さん。二宮清純とすき家の新商品『牛すき鍋定食』を食べながら、初出場のアテネ五輪の思い出や、その後の挫折からの復活までを語ってもらっています。
 当サイトでは特別に対談の一部を紹介します。

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二宮: 昨年 12月に現役引退を発表し、 25年間に及ぶ競技生活にピリオドを打ちました。記者会見では水泳は生涯スポーツということから、“引退”ではなく“卒業”と表現されていましたね。辞めることは、いつ決めたのでしょう?
寺川: 2012年のロンドン五輪が終わってから、なんとなくは考えていましたね。翌年のバルセロナでの世界選手権が始まる前には、ほぼ考えは固まっていました。

二宮: 16年のリオデジャネイロ五輪を目指すことは、最初から頭にはなかったと?
寺川: そうですね。ロンドンで銅メダルを獲って、次のリオでメダルを獲らないというわけにはいかないと思ったんです。右足首の故障もあって、その覚悟ができなかった。それを加味して考えて答えを出しました。

二宮: 右足首の状態は、相当悪かった?
寺川: 痛みは出たり出なかったりでした。練習に全く差し支えのない時もあれば、ほとんど何もできない時もありました。痛み止めの注射を打ったりして、色々試してみたのですが、なかなか効果はありませんでした。手術してリハビリして、と考えたら、年齢的にも、五輪までの時間を考えても、ちょっと厳しいんじゃないかなと。

二宮: 競泳選手にとって、足首は一番大事なところです。
寺川: そうですね。足首というのは、推進力を生み出す部分なので、とても重要なんです。

二宮: 水中での負荷が足首の痛みを増幅させたと。
寺川: 幸運にも、これまでは大きな大会の時には痛みが出なかったので、良かったのですが……。練習で痛みが出た時は、当然 100%のコンディションに持っていくことができなかった。そういう状態でレースに出ても、結果的にタイムや勝ち負けがどうとかではなく、今まで水泳を続けてきた自分自身が納得いかなかった。そこが“卒業”の決め手になったんだと思います。

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 この『虎四ミーティング』のコーナーは月2回更新です。寺川綾さんとの対談後編は28日(金)にアップします。どうぞお楽しみに。