ダ・ゾーンのJリーグ中継は、ハーフタイムに“レジェンド”のインタビューが組み込まれている。7月22日の第17節は“猛犬”の異名を誇り、J1で通算124得点を挙げたブラジル人ストライカー、ウェズレイが登場した。

 

 対峙した強敵として、秋田豊、中澤佑二とともに2011年に他界した松田直樹の名前を挙げている。「マッチアップに自信を持ち、競り合いに強かった」と振り返った。

 

 稀代の名センターバック、松田は2011年8月4日、急性心筋梗塞で天国に旅立った。あの夏からはや7年が経つ。身体能力に恵まれ、スピード、パワー、駆け引き、足もとのテクニックとすべてを兼ね備えていた先進的なセンターバックであった彼の凄さの一端をあらためて振り返りたいと思う。

 

 今年、日本代表はロシアワールドカップでベスト16に進出した。率いた西野朗監督と言えば、1996年のアトランタオリンピックでブラジル代表を撃破した“マイアミの奇跡”を思い浮かべる人は多いだろう。3バックの一角に19歳の松田が入り、無失点に貢献したのだった。

 

 松田がマークしたのは左利きのドリブラー、サビオ。序盤に2度ほど抜かれてしまったものの、時間が経つにつれて仕事をさせないようになる。ロベルト・カルロスとのコンビネーションにも落ち着いて対処した。

 

“神セーブ”を連発した川口能活に、このときの松田のプレーについて聞いたことがある。勝負どころで投入されたのが、松田と同じ19歳のロナウド。当時オランダのPSVで活躍を見せ、将来のスター候補生として注目を浴びていた。

 

 松田vs.ロナウド。

 周囲には劣勢に映ったかもしれないが、川口は横浜マリノスのチームメイトを頼もしく感じていたという。

「ロナウドが入ってきて、ブラジルの攻めが一気に加速してきたんです。でもロナウドに対して2人、3人といかなくても、マツに任せていいと。アイツが本気になって相手を止めているのを初めて見ましたよ。あそこでロナウドを食い止められていなかったら、同点あるいは逆転まで一気に持っていかれたかもしれません」

 

 勝利の瞬間、2人は力いっぱい抱き合った。

 対人の強さについては、ウェズレイも認めたとおり。身体能力のみならず、駆け引きを駆使したクレバーな守備も松田の特徴であった。

 

「僕もマツもスイッチが入ったときは、どんな相手にもやられる気がしなかった」

 川口はそう言った。

 

 彼が松田と一緒にプレーした試合で忘れられないのが、2000年のアジアカップ決勝サウジアラビア戦だという。

 

 試合終了まであとわずか。1-0でリードし、自陣深い位置でフリーキックのピンチを迎えてしまう。プレッシャーがマックスにのし掛かる状況で、ディフェンスリーダーの松田はオフサイドトラップを仕掛けたのだ。一歩間違ったら、失点につながるイチかバチかの賭け。その策は成功し、賭けに勝った。

 

「サウジは1点が欲しいからどうしても前掛かりになるのは分かる。でもこっちはリードしているとはいえ、追い込まれている状況。普通ならリスクを考えるところですけど、マツは平気な顔をしてオフサイドトラップを仕掛けたんです。

 マツの何が凄いかって、タイトルが懸かってプレッシャーを感じてしまう場面であっても正しい決断ができるスケールのデカさ。周りからは『あぶねえよ』って声もありましたけど(笑)。度胸、状況判断力とセンス。これがマツの一番の凄さじゃないですかね」

 

 度胸、状況判断力、センス。

 身体能力があっても技術があっても、それらがなければ代表のセンターバックは務まらない。次世代の日本代表を担うセンターバックたちに松田直樹のプレーは、良い教材である。


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