偉大なキャプテンが日本代表を去った。

 

 ロシアワールドカップの決勝トーナメント1回戦でベルギーに逆転負けを喫したのちに、長谷部誠は自身のインスタグラムを更新し「僕個人としては、この大会を最後に日本代表にひとつの区切りをつけさせていただきたいと思います」と代表引退を表明した。

 

 彼はジーコジャパン時代の2006年2月、アメリカ戦でA代表デビューを果たし、2010年南アフリカワールドカップから3大会連続で出場した。キャップ数は歴代5位の114。長らくキャプテンの座を務め、チームを束ねてきた。森保ジャパンが誕生して、キャプテンマークを左腕に巻く背番号17の雄姿が見られなくなると思うと実に寂しくなる。

 

 ロシアの地で、長谷部は輝いて見えた。

 

 エカテリンブルクで行われた2戦目のセネガル戦は、出色の出来だった。出足の鋭いプレッシングと的確なカバーリングで縁の下の力持ちであり続けた。ビルドアップを担い、相棒の柴崎岳にはなるべく攻撃の仕事をさせようとする。主審に駆け寄って、ジャッジの確認作業など細かいインサイドワークも忘れない。120%フル回転の長谷部がいた。2度同点に追いついたこの試合、陰のMVPはまさしく彼だと思えた。

 

 3戦目のポーランド戦は終盤に途中出場して0-1のまま試合を終わらせるというミッションを先頭に立って遂行している。カウンターの餌食になりそうな雰囲気をかき消し、守備の統率を図ったのだった。

 

 一切の躊躇なく、こうと決めたらそれをやり切ろうとする凄味。彼もまた4年前、惨敗に終わったブラジルワールドカップの悔しさを秘めてリベンジの舞台に立っていた。

 

 ポーランド戦後の取材エリア。長谷部に対して『先発で出たかったのではないか?』という質問が記者団から飛んだ。指揮を執っていた西野朗とすれば34歳のベテランに対して温存という意味もあったに違いないが、確かに長谷部はワールドカップ3大会目にして初めて先発から外れた。

 

 彼は毅然と言った。

「僕個人の思いとしては万が一、(チームが)試合に敗れて敗退が決まっても、チームメイトを信頼していますから後悔は一切ないと思っているし、そう思わせてくれている仲間がいる。本当に幸せだと思います」

 

 仲間に対する信頼。それが答えだった。2大会ぶりに決勝トーナメントを果たしたこの夜、筆者は取材エリアでもう一言、本人に確かめておきたいことがあった。どうなればブラジルの借りを返すことになるのか、を。

 

 長谷部は静かに言葉をつむいだ。

「どこまで行けばいいというよりも、(大会が)終わったときに、後悔なくやれたという感情を持てるかどうかだと思う。もちろん終わってみないと分からないですけどね。過去2大会、思い切り、後悔のないプレーができなかったという思いがあるので」

 

 思い切り、後悔のないプレーを。

 

 チームを信頼しているからこそ、自分に意識を向けていた。みんながしっかりやってくれるから、自分もやらなきゃいけない、と。キャプテンとして自分が前面に出ていかなければならなかった時代は過ぎた。周りを押し出していくリーダーシップに自然と変化していったように感じた。

 

 彼が迷いなく代表引退を表明したのも、後悔なくやれたという感情を持てたからだろう。

 

 ロシアワールドカップ後、中村俊輔に話を聞く機会があった。代表の先輩は、彼の働きぶりをリスペクトの念を持ってたたえた。

 

「3大会連続で主力として、それもキャプテンとしてやり切ったハセは素晴らしいと思う。最近、代表でのプレーを見ているとパスミスがあったり、どこかミスを怖がっているように感じた場面もあった。でもワールドカップではメンタルもフィジカルも仕上げてきた。ミスらしいミスはなかったし、『そこも見えていたのか』と一つ奥まで冷静にパスを通していた。自分だけじゃなくチームまで整えたのだから、これはハセにしかできない。

 

 ハセは代表引退を表明したと聞いた。どうやったらうまくチームを持っていけるか、そのノウハウみたいなものはハセにしか分からないところがあると思う。日本代表のこれからを考えたら、アドバイザーなり何か役職を与えてハセに加わってもらってもいいのではないかとも思う」

 

 今後はフランクフルトでのプレーに専念することになる。だが中村の言うとおり、長谷部のノウハウは日本の財産である。何らかの形でこれからも日本代表にかかわってくれることを切に願う。


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