アジア大会初戦のネパール戦は、少し気分が沈んでしまうような試合だった。

 

 今回のアジア大会がこのチームにとって最大にして最終的な目標だというのであれば、こういう戦い方でもいい。万が一にも取りこぼしは許されないし、今後の日程を考えて体力を温存したかったというのもわかる。相手にただの一度も決定機を与えなかった安定感は、高い評価を受けていただろう。

 

 この大会で勝つことが、最大にして最終的な目標だというのであれば。

 

 21歳以下という年齢は、世界のサッカーにおいては人生の大きな転換期の一つである。この時期にチャンスをつかめなかった選手のほとんどは、大成することなく消えていく。それだけに、欧州や南米の21歳以下同士の対戦は、チームとしての戦いであると同時に、個人の強烈な自己顕示欲のぶつかりあいでもある。

 

 だが、ネパールと戦った日本代表の中に、自分の存在をアピールしようと目をギラつかせているような選手は皆無だった。

 

 アトランタ五輪で日本に敗れたブラジル五輪代表は、大会終了後「チームのためではなく、スカウトのためにプレーしている選手がほとんどだった」と強烈な批判を受けたが、インドネシアでの日本の若い代表選手たちは、その正反対だった。

 

 本当の本番たる東京五輪に向けては、すでに本田圭佑がOA枠での出場希望を明らかにしている。枠は一つ、持っていかれようとしている。果たして、どれだけの選手がそのことと自分を関連づけているのか。檜舞台に立つためには、目の前の対戦相手を倒すだけでなく、本田圭佑とも戦わなければならないということに、どれだけの選手が気づいているだろうか。

 

 本番が近づいてくるにつれ、間違いなくメンバー選考の幅は絞られてくる。実績のあるOA枠の選手もまだまだ名乗りをあげてくるだろう。時期的に余裕のあるこの時期に、自分の存在をアピールしようとするより、いつもどおりの無難なプレーばかりを選択した選手は、いったいいつ、アピールしようというのだろう。もっと厳しく、もっと重圧のかかる大会直前に?

 

 コンサドーレの三好はわたしが大いに期待している選手の一人だが、この日の彼のプレーを見て、「欲しい」と考える欧州のスカウトは、おそらく皆無である。三好に限らず、ほとんどの日本選手から刹那に賭ける思いのようなものがまるで伝わってこなかったのは、実に残念だった。

 

 結成間もないチームに連動性など期待しない。まして、森保監督のチーム作りにはある程度の時間がかかる。だから、ボールの持ち手と受け手の関係性だけのサッカーをやってしまったことは想定の範囲内だった。

 

 だが、これほどまでに安全第一で、チャレンジをしない選手ばかりだとは。マイナスがないということは、必ずしもプラスではないのだが……。

 

 まだ軸の定まっていない中で戦う今大会は、今後の軸となっていくのは誰か、見据えるための大会でもあるはず。果たして誰が名乗りをあげるのか。それとも、誰もあげないのか。次の試合以降に注目したい。

 

<この原稿は18年8月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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