2カ月ぶりのご無沙汰です。白寿生化学研究所の小野仁です。今年の夏は例年になく大変厳しい暑さとなりましたが、皆様はどうお過ごしでしたでしょうか。私は保冷剤が大活躍しました。冷蔵庫には20個ほどをストックして、出かけるときに5~6個をタオルで包み仕事に向かっておりました。でもこの猛暑、保冷剤も2時間も持たない日々が続いたのは言うまでもありません。


 「同じ秋田県人か?」

 さて日本の夏といえば、私は野球の醍醐味を堪能できる季節だと思っています。小学校の学童野球、中学生の全国大会など各世代で頂点を決めるトーナメントが各地で行われ、夏の暑さに負けない熱戦が繰り広げられました。負けたら終わりというトーナメントならではの緊張感から、多くの感動やドラマが数々生まれ、大勢の人が一喜一憂します。

 

 その夏の大会の中でも、やはり全国高校野球選手権大会、いわゆる夏の甲子園は国民的行事、夏の風物詩として幅広い世代の方々から注目される1大イベントであり、別格の存在です。甲子園は現役のプロ野球選手を含め、一度でも白球を追いかけた経験がある方は誰しもが憧れ、目標に定める場所です。伝説的な試合やプレー、名選手が数多く生まれるまさに野球の聖地だと思っています。

 

 さて、今回のコラムは夏の甲子園について書かせていただきます。ですが、少々、私事が入ってしまうことをご了承ください。というのも、私、秋田県出身でして……と、ここまで書けばおわかりでしょう。郷里・秋田の代表校・金足農業の躍進に熱くなった夏のことを書かせていただきます。

 

 第100回という記念の大会で、金足農は秋田県勢として103年ぶり決勝に進出し、見事、準優勝を果たしました。秋田県の甲子園といえば2010年まで13年連続初戦敗退という不名誉な記録があるなど、近年では東北6県の中でも一際、成績が低迷していました。昨年も私の母校(明桜)が甲子園出場を果たすも初戦敗退……。毎年、夏になると「今年の代表校はどうなのかな?」と、期待と不安が入り混じった心境だったことを記憶しております。

 

 そんな状態の中での金足農旋風! 本当に見事な活躍を甲子園の舞台で発揮してくれたと思います。吉田輝星投手という絶対的エースがいる中、彼を中心としたナインたちが甲子園という憧れの舞台で大いなる成長を遂げ、名だたる強豪校を次々と撃破していったのは、同県人として誇らしく、そして頼もしく感じました。ときには「本当にオレと同郷の人間なのか?」と思うくらい輝いていました。

 

 甲子園の後に会った金足農の関係者によると、ベスト8をかけて臨んだ横浜(南神奈川)との試合を勝利したことが、今回の準優勝につながったと話していました。横浜が4対2と2点リードし敗戦ムードが漂う8回裏に、6番・高橋佑輔選手が値千金の逆転3ランを放って勝利! 続く近江(滋賀)戦では最終回に2ランスクイズを決めてサヨナラ勝ち!! 「最後まで諦めない」「諦めたらそこで終わり」ということを、私は彼らのプレーから改めて気付かされ、そして学んだ時間でもありました。

 

 ドラマチックな試合展開、エース吉田投手の状況によってギアを切り替えるピッチング、公立高校の躍進、オール秋田県人によるチーム編成など、金足農には話題が満載でした。まさか夏の甲子園の話題の中心が秋田代表校になるとは……。大会前には予想もしませんでした。彼らが予想外の活躍を見せて、グラウンドで躍動する姿には私も多くの刺激をいただき、歓喜の涙を流しました。

 

 金足農旋風をきっかけに

 さて、甲子園が終わっても金足農ブームは収まることはなく、「県全体のお祭り騒ぎはまだまだ続いている」と、現地の友人や知人が言っていました。私も金足農ブームはもっと盛り上がり続けて欲しいと思っています。今回の甲子園での活躍は、秋田県全体の野球発展のチャンスをもらったんじゃないかと考えています。多くの方々が野球の素晴らしさ、魅力を感じてくれたと思います。だからこそ花火のような一瞬の輝きで終わらず、秋田の野球熱が冷めずに続いていって欲しいと願います。

 

 野球というスポーツは、人間形成につながる競技だと私は常々思っています。一人ひとりの自己成長が野球の発展や社会への貢献へ必ずつながると信じております。多くの人間が成長することが出来れば、金足農の今回の成績に劣らない活躍する秋田のチームが作ることが可能だと思われますし、毎年の好成績を期待できるスパイラルを作れると考えます。

 

 今回は野球にスポットを当てて話していますが、これは野球に限らずスポーツに携わっている選手全体に同じことが言えると思っています。結果(優勝など)を出すことのマインド、競技に対し考えてきたプロセスは財産となり、たとえ競技を終え社会人として歩む際もビジネスマインドに切り替えることが出来て、新たに輝く道を切り開けていけると思います。

 

 2018年の夏、一秋田県人として様々な感動をもらった夏となりました。金足農の活躍への感謝の思い、同校への応援への感謝など、数多くの感謝の言葉・思いを感じた夏でもありました。

 

 今回は私情が多く、「秋田、秋田、秋田」という内容でお伝えしてしまいましたが、いかがでしたでしょうか。ちょっとやり過ぎかな、とも思いましたが、金足農はそのくらいの快挙を成し遂げました。そしてそれを誇りに思う秋田県民の心境を皆様に感じて欲しく書かせていただきました。では、また次回、このコラムでお目にかかりましょう。

 

<小野仁(おの・ひとし)プロフィール>
1976年8月23日、秋田県生まれ。秋田経法大付属(現・明桜)時代から快速左腕として鳴らし、2年生の春と夏は連続して甲子園に出場。94年、高校生ながら野球日本代表に選ばれ日本・キューバ対抗戦に出場すると主軸のパチェーコ、リナレスから連続三振を奪う好投で注目を浴びた。卒業後はドラフト凍結選手として日本石油(現JX-ENEOS)へ進み、アトランタ五輪に出場。97年、ドラフト2位(逆指名)で巨人に入団。ルーキーイヤーに1勝をあげたが、以後、制球難から伸び悩み02年、近鉄へトレード。03年限りで戦力外通告を受けた。プロ通算3勝8敗。引退後は様々な職業を転々とし、17年、白寿生科学研究所に入社。自らの経験を活かし元アスリートのセカンドキャリアサポートや学生の就職活動支援を行っている。


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