二宮清純: 齊藤祐也さんは2002年にフランスのコロミエへ移籍しました。それまで村田亙さん、吉田義人さんが同じフランスでプレーしていましたが、FWとしては日本人初となるヨーロッパでのプロ契約を勝ち取りました。

齊藤祐也: 実はサントリーに入社する前から“海外に行きたい”という話はしていたんです。だからオーストラリア留学は入社の条件のひとつでした。ただ、僕はスポーツ選手である以上、スポーツでお金をもらいたいという気持ちがあったんです。でも当時の日本ではプロ契約はなく海外に行かないとプロになれなかったので、2年目を終えた後に“もう行動を起こそう”と決意しました。会社にはだいぶ反対されましたけどね。

 

 

 

 

 

 

二宮: 逆に言えば、それだけ齊藤さんに期待していたということでしょうね。

齊藤: この間、イベントで久々に会って声を掛けていただいたので、もう許してくれたのかなと思っています。

 

 郷に従ったフランス

 

二宮: フランスでは試合後、みんな飲みそうですね(笑)。

齊藤: 勝っても負けても飲みますね。アフターマッチファンクション(試合後の交歓会)がすごく長いんですよ。

 

二宮: コミュニケーションは苦労しませんでしたか?

齊藤: フランスには基本的なことやラグビー用語だけメモして行きました。でも全然ダメで、かなり苦労しましたね。だから日本ではあまり参加しなかった飲み会にも積極的に行くようにしました。

 

二宮: 郷に入りては郷に従え、と。

齊藤: そうですね。実はフランスに行った後、チームで雪山に登ることがあったんです。“これを頑張ればアピールになるのかな”と思って、先頭に立ちました。そこで後ろを振り返っても誰もいない。後で聞いたら「別にきつかったら行かなくてもいい」と(笑)。

 

二宮: アハハハ。頑張り損でしたね。

齊藤: でもフランスはやっぱり面白かったですね。後悔があるとしたら、「残留してくれ」と言われたのに帰国しちゃったことです。

 

二宮: 本音を言えば、もう少しやりたかった?

齊藤: はい。引退する時に思いましたね。振り返ってみて “もっとフランスにいれば良かったな”と。

 

二宮: 私もフランスリーグを何回か現地で見たことがあります。お客さんがピクニックにでも行ったかのようにとても楽しんでいる雰囲気がありました。

齊藤: 夜8時からとキックオフの時刻が遅くても老若男女、多くの人々が観に来てくれるんです。試合後に子どもやお年寄りの方が「サイトウ!」と言って近付いて来てくれたのは、すごくうれしかったですね。

 

二宮: フランスでのポジションは?

齊藤: チームにはフランス代表のNo.8がいたので、フランカーを任されました。彼は不動のNo.8という存在でしたから。

 

二宮: 監督に「オレを使ってくれ」とは言いにくかったんですね?

齊藤: その選手が少し能力的に落ちてきていたとはいえ、さすがに言えなかったですね。

 

二宮: フランカーの経験は?

齊藤: 正直、あまりやったことありません。フランスではウイングで起用されたりもしました。

 

二宮: 足も速かったですもんね。

齊藤: ウイングはフランスの公式戦で出たのが初めてでした。僕が一番の売りにしていたのは、フォワードで一番足が速いということ。所属していたコロミエのフォワードで僕より足の速い選手はいなかった。だからチーム内でも“足が速い”と見られていて、ウイングがケガしたタイミングで起用されたんです。

 

二宮: 日本では経験のないポジションでしょう?

齊藤: 難しかったですね。対面のウイングの身体は僕よりも全然大きかった。190数cmもザラで、何度も吹っ飛ばされましたよ。

 

二宮: 日本では固定したポジションでやりがちです。逆に言えば、日本にいたらできないような経験ですね。フランカーやウイングをやることで、ラグビーの見方が広がった面もあるでしょう?

齊藤: 確かにラグビーに関する見方が変わりましたね。ただ日本に帰ってきたら、またNo.8にこだわるようにはなりました。

 

 引退後に見つけた生きがい

 

二宮: 齊藤さんはフランスから帰国後、神戸製鋼でプレーし、トップリーグ初年度の王者に輝きました。その後は豊田自動織機でトップリーグ昇格に貢献。2011-2012シーズン限りで現役を引退しました。

齊藤: 35歳で引退した時、もうラグビー界、スポーツ界とは縁を切ろうと思い、引退後の1年は全く違う仕事をしていました。自分で会社をつくって、LEDを販売していたんです。ただ営業している時、あるスポーツ施設と仕事をした際に「ウチの施設を使って、子供のスポーツ教室をやってみないか?」と言われたのがきっかけでスポーツイベントの企画、運営に携わるようになりました。そこからまた知らず知らずのうちにスポーツ界に戻ってくることになったんです。ラグビーの解説もするようになりました。

 

二宮: それがコーディネーション・アカデミー代表取締役就任に繋がったのですね。

齊藤: はい。この会社では主に子どもの球技全般・陸上(かけっこ)・ダンス教室を開催しています。

 

二宮: 指導する上で心がけていることは?

齊藤: 運動能力を伸ばす以外に、子どもの判断力や自主性をつけることを大事にしています。だから親御さんたちにも「僕のそういう部分が合わないのであれば、辞めていただいて構いません」と話してあります。

 

二宮: 皆がスター選手になれるわけではありませんからね。

齊藤: 僕は指導をする時、特に“楽しむ”ことを重視しています。一生懸命やることだったり、努力して少しでもうまくいくことの楽しさを覚えてほしい。“トップ選手に育てたい”というのは一切思いません。スポーツ教室を始めて、参加した子どものお母さんから「子どもが笑うようになったんです」「スポーツに限らず努力するようになりました」という声をいただくと、これこそ“スポーツの力”だなと思い、うれしくなります。

 

二宮: それが現在の生きがいになっていると?

齊藤: そうですね。僕が日本代表になれたのも、些細なきっかけや偶然の巡り合わせに過ぎなかったと思うんです。

 

二宮: 自分が名選手だと威張る人もいます。齊藤さんが謙虚だから、子どもたちも素直に話を聞くんでしょうね。

齊藤: 僕は自分をスター選手だと思わないですから。それによく“スター選手は指導ができない”と見られがちです。でもそれも違うと思う。いろいろなアスリートの方と仕事をしていて感じるのは、指導する場所がないことです。だから今、僕はその場所をつくるために頑張っています。場所の問題はスポーツを普及させる上で避けては通れません。

 

 不安定を恐れず行動する

 

二宮: 日本のスポーツはまだ“アスリート・ファースト”とは言い難い面があります。

齊藤: 日本は固定概念が強く、“こうなったらこうなる”と勝手に想定する。しかし、それ以上のことを考えていないことがあります。エディー・ジョーンズさんも言っていましたが、「トラブルに強くなれ」と。練習中にあえてトラブルをつくって、選手たちにそれを解決させていました。

 

二宮: 確かにそうですね。試合はある意味、想定外のことがばかりです。それに対応しなくてはならない。

齊藤: 誰でも想定内のことは対応できる。現役時代を振り返ってみて、僕が活躍できたのは人が想像できないプレーをしたからだと思うんです。味方もついてこられないほどでしたから(笑)。みんなが左と思っている時に右を攻める。相手にとっては想定外だったと思うんです。

 

二宮: 意図的に“想定外”の状況を演出していたんですね。

齊藤: ラグビーで言う、ミスマッチですか。たぶん、感覚的にやっていたと思います。そして、それは練習でも試すことができます。昔は成功する練習ばかりやっていた。試合ですべてうまくいくとは限りません。

 

二宮: すべてがセオリー通りにいくとは限らない。仕事や人生でもトラブルを楽しめる人と、そうじゃない人に分かれる気がします。

齊藤: 良い悪いではなく、安定を求める人と、行動を起こせる人がいる。どちらかを選べと言われれば、僕は後者でありたいです。

 

二宮: 楽しい時間はあっという間に過ぎました。最後に雲海酒造の本格芋焼酎『木挽BLUE』の感想を改めて。

齊藤: 美味しいです! ついつい飲み過ぎちゃいましたね。

 

二宮: ラグビーに例えるなら?

齊藤: No.8ですね。

 

二宮: その心は?

齊藤: キーマンになれる存在です。No.8は走る、身体を当てる、突破口を開くなどなんでもできなければいけない。チームにとって、勝利に導く欠かせない存在です。

 

二宮: 確かに『木挽BLUE』はいろいろな料理にも合います。No.8とは言い得て妙ですね。

齊藤: W杯でのジャパン初のベスト8を祝って、また飲みたいですね。

 

(おわり)

 

齊藤祐也(さいとう・ゆうや)プロフィール>

1977年4月8日、東京都生まれ。東京高を経て、明治大へ進学。1年時からレギュラーを掴み、全国大学ラグビー選手権で優勝した。4年時には主将を務めた。卒業後はサントリーに入社。1年目のシーズンからレギュラーとして、日本選手権連覇などのタイトル獲得に貢献した。2002年にはコロミエ(フランス)に移籍。帰国後は神戸製鋼、豊田自動織機でプレーした。日本代表キャップ数は14。03年にはW杯オーストラリア大会に出場した。11‐12シーズン限りで現役を引退。現在は、株式会社コーディネーション・アカデミー代表取締役に就任し、子どもの球技全般・陸上(かけっこ)・ダンス教室を開催している。ラグビー普及活動として、全国各地で指導と解説者の活動を精力的に行っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、齊藤さんと楽しんだお酒は芋焼酎「木挽BLUE(ブルー)」。宮崎の海 日向灘から採取した、雲海酒造独自の酵母【日向灘黒潮酵母】を使用し、宮崎・綾の日本有数の照葉樹林が生み出す清らかな水と南九州産の厳選された芋(黄金千貫)を原料に、綾蔵の熟練の蔵人達が丹精込めて造り上げました。芋焼酎なのにすっきりとしていて、ロックでも飲みやすい、爽やかな口当たりの本格芋焼酎です。

 

提供/雲海酒造株式会社

 

 

<対談協力>
殻〇(からまる)
東京都新宿区荒木町6-39 ガーデンツリー1F
TEL. 03-3353-6010
営業時間:月~金 17時~24時30分
     土・祝 16時~23時30分

 

☆プレゼント☆

 齊藤さんの直筆サイン色紙を芋焼酎「木挽BLUE」(900ml、アルコール度数25度)とともに3名様にプレゼント致します。ご希望の方はこちらのメールフォームより、件名と本文の最初に「齊藤祐也さんのサイン希望」と明記の上、下記クイズの答え、郵便番号、住所、氏名、年齢、連絡先(電話番号)を明記し、このコーナーへの感想や取り上げて欲しいゲストをお書き添えの上、お送りください。応募者多数の場合は抽選とし、当選発表は発送をもってかえさせていただきます。締切は18年10月11日(木)。たくさんのご応募お待ちしております。なお、ご応募は20歳以上の方に限らせていただきます。

 

◎クイズ◎

 今回、齊藤祐也さんと楽しんだお酒の名前は?

 

 お酒は20歳になってから。

 お酒は楽しく適量を。

 飲酒運転は絶対にやめましょう。

 妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。

 

(構成・写真/杉浦泰介)


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