皆さん、こんにちは、白寿生科学研究所の松修康です。ふた月というのは早いもので、あっと言う間に私の出番がまいりました。猛暑、残暑もどこへやら。最近は朝夕冷え込んでまいりました。皆様、お体に気をつけながら私のコラムにお付き合いのほどよろしくお願いします。

 

 着信音=解雇通知!?

 プロ野球はセ・パともに優勝チームが決まり、目下の興味はクライマックスシリーズでしょう。「日本シリーズに出るのはどこのチームだろう」とワクワクした後にはドラフト会議、日本シリーズがあります。特に未来のスター候補が球界入りするドラフトは年に一度のビッグイベントです。連日、高校生、大学生がプロ志望届を提出したと話題になっています。いい選手が応援しているチームに来ればいいなと願っている野球ファンにとって、ドラフトは最高に盛り上がる瞬間ですね。

 

 さてこうした盛り上がりの影で、この時期、不安にかられている選手、監督、コーチ、スタッフ(裏方)がいるのも事実です。今回はそれについて書きたいと思います。

 

 シーズンオフに入るということは、来季に向けて人員整理がされるということです。私は毎年、不安にかられていた1人で、1軍で活躍できなければクビになるかもしれないとネガティブになり、野球に集中できない日々を過ごしたこともありました。シーズンオフになって一番怖く感じていたのが、携帯電話の着信音です。なぜなら戦力外宣告される前にマネジャーから電話があり「明日、球団事務所に何時に来てほしい」と連絡が入るからです。

 

 私がホークスから解雇を言い渡された日はこんな感じでした。当日、指定された時間に球団事務所に行くと、部屋に通されて席に座った途端、「来季の戦力に入っていないので契約更新はしません。選手を続けるのであれば、隣の部屋でトライアウトの手続きをして帰ってください。現役を辞めるのであれば仕事も用意します」と、何の感情もなく、事務的に言われたことを鮮明に思い出します。

 

 話はあっという間に終わり、私は「お世話になりました」とだけ伝え、隣の部屋で用意されたトライアウトの手続きをしました。先程、「携帯電話の着信音が怖い」と言いましたが、クビになってからは、どこかの球団から連絡があるかも知れないと、携帯電話を肌身離さず持ち歩いていたことを恥ずかしながら思い出します。いつどこかの球団から連絡があるかもしれない、と風呂場にも持って行ってました。当時の携帯電話には防水機能が備わっていないにも関わらず、です。どれだけ必死だったんだ、って感じですね(笑)。

 

 解雇を言い渡されてからの毎日は野球を続けることしか考えていなかったので、練習ばかりしていました。次のために何をしたらいいのか、何を考えて行動したらよいのか分からないので、考えることもできず、球団からの連絡を待つだけの毎日でした。私はたまたま、バッティングピッチャーとしてお話をいただきましたが、もし何も話が来なかったらと思うと恐ろしくなります。

 

 契約金や年俸の使い方

 プロ野球での活躍を夢見て頑張ることはとても良いことです。でもそこで活躍し、成功できるのは一部の選手というのも現実。選手が成功を目指して努力、そしてプレーするのは当たり前のことです。それでも全員が成功するわけではなく、ほとんどの選手は夢半ばで諦め、いつかクビになる日がきます。そのときに慌てないように、現役時代からもう少し視野を広く持つことが重要です。

 

 プロ野球選手になぜなりたいのか、プロになって活躍して引退後はどう生きていくのか。それをしっかり考えることが必要なのではないでしょうか。

 

 引退後の人生をしっかり意識していれば、学ぶ時間を確保することは難しくないし、その学びが野球にも活かせることもあります。これは自分にも当てはまることですが、現役時代にその準備をせず、入ってくるお金を贅沢に使い、引退後に困り、苦労する元プロ野球選手は数多くいます。

 

 引退後のことをしっかりと考えていれば、契約金や年俸をしっかりと貯めて、準備ができたのではないか……。今になって後悔するばかりです。実際、元プロ野球選手でも契約金や年俸を贅沢に使わず、計画的に残して次のステップでその資金を勉強や開業資金に使い、活躍している方も多くいます。

 

 しかし、セカンドキャリアで活躍している方はごくわずかです。応援していたあの名選手は何しているのか気になりますよね。好きだった選手が、現在目標もなく、当時の輝きを失った姿でいたら間違いなくショックを受けるでしょう。私も一緒に頑張ってきた仲間が輝きを失い、肩を落として歩く姿だけは絶対に見たくありません。

 

「野球選手でいた時以上に輝いてほしい!」と願って、私、そして白寿生科学研究所はセカンドキャリア支援に取り組んでいます。野球は過去、頑張ってきたものと割り切り、次の人生のために野球に変わる新しい夢やビジョンを見つけ、それに向かって頑張ってほしいと切に願います。そして「やっぱりプロまで行った人は、何やってもすごい!」と子供たちに言ってもらえるようになってもらいたいですね。

 

 少々暗い話題になってしまいましたが、セカンドキャリアの現状は世間には案外知られていないので、書かせていただきました。今回もお付き合いいただきありがとうございました。また次回、お目にかかりましょう。

 

<松修康(まつ・のぶやす)プロフィール>
1976年7月23日、神奈川県生まれ。中学時代まで地元・神奈川でプレー。高校は宇都宮学園高校(現・文星芸術大学附属高校)に進み、卒業後は東北福祉大学へ。99年、ドラフト2位で福岡ダイエー(現ソフトバンク)に入団した。00年10月、オリックス戦でプロ初登板。01年6月10日、オリックス戦で初先発し、6回1/3、1失点で初勝利。これがプロ唯一の勝ち星となった。04年、左の中継ぎとして自己最多の40試合に登板。05年、現役を引退。横浜DeNA、北海道日本ハムの打撃投手を経て白寿生科学研究所へ入社。現職は管理本部総務部人材開拓課所属。プロ野球選手をはじめ多くの元アスリートのセカンドキャリアを支援する。


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