広島などで活躍した木村昇吾は、日本で初めてプロ野球からクリケットに転向したパイオニアだ。先日、ジャパンカップを戦い終え、単身、オーストラリアに渡った。ここから半年、クリケットの盛んな南半球の地で「修行」に励む。目標は世界最高峰のインディアン・プレミアリーグ(IPL)入りと、そこでの活躍だ。野球のバットをクリケットバットに持ち替えて約1年、木村のセカンドキャリアを追った。

 

 アスリートを続けたい

「昨年、知人の新聞記者から『プロ野球選手会がクリケット転向に興味のある選手を探している。やってみる気はないか?』という電話をもらいました。クリケットのことはそのときまでまったく知らなかったけど、その電話のやりとり、5分くらいで『オレ、やるわ』と決めたんです」

 

 木村は昨オフ、埼玉西武から戦力外通告を受けて、トライアウトに臨んだものの、他球団からの連絡はなかった。現役引退後の進路を探す中で受けた「クリケット転向」の誘い。それに即答した理由は?

 

「まあ5分で決めたと言いましたが、別に何も考えずに即答したわけじゃないですよ。そんなに第二の人生は軽くないですから(笑)。西武時代の16年にヒザのケガをして、手術を受けてリハビリもして、そして以前と同じようにとは言わないけど、動きも戻ってきた。自分では『まだやれる』と思っていましたが、評価というのは他人がするものです。そういう状況で戦力外通告を受けて、そしてトライアウトの後もオファーがなかった。じゃあ、この後どうするんだ、と考えたときに、コーチとして野球を続けるのは何か違うなと思っていた。社会人野球のチームから兼任コーチという形でのお話もいただきました。でも、やっぱり兼任だと"100%アスリート"じゃないですよね。プロ野球で15年やりましたけど、まだアスリートでいたかった。それでどうしようかと考えているときに、ちょうど知人から電話があって、クリケットという話が出た。クリケットという新しい世界でアスリートとしての第二章を続ける。そう考えるととてもワクワクした気持ちになりましたね」

 

 イギリスを発祥とするクリケットは、イギリスの他、インド、パキスタン、オーストラリアなど旧大英帝国植民地を中心に世界各地でプレーされている。日本で馴染みは薄いが、競技人口はサッカーに次いで世界2位と言われている。人気競技ゆえにIPLのトッププレーヤーは30億円を超す年俸を受け取る。木村は「それも夢があっていい。というか、僕にとっては夢じゃなくて目標です。クリケット選手としてIPLに入って、そこで活躍することを目指しています」と言い切った。ちなみにプロ野球時代、木村の年俸は最高4100万円(推定)だった。

 

(写真:プロ野球時代と同じく左打ち。クリケットバットの重さは約1.3キロ)

 クリケットは両チーム11人ずつが守備と攻撃に分かれ、約20メートルの距離から助走をつけてボウラーが投じたボールを、ボートのオールのような形をしたバットで打ち返す。ボールを打つという点で野球に通じるものがある。木村も「野球での経験を捨てなくていい。それどころか、むしろ活かすことができる」と考えたという。だが、実際にプレーしてみるとクリケットと野球は似て非なるものだったという。

 

「ボールを打つという行為は野球と似ています。でも似ているけど、やはり野球とは違っています。助走をつけて投じられるワンバウンドのボールを打ち返すんですが、これがやってみると非常に難しい。体の真正面、顔の下など、野球ならボールになる球も狙っていくことになる。クリケットはファウルグラウンドがないのでどこに打ってもフェア。思い切り引っ張る、チョコンと当てて逆方向に転がすなど、来た投球に合わせた状況判断も大切。難しいですけど、今までの経験を生かしながら、まったく新しいスポーツに挑戦している。クリケットとはいい出合いだったな、と思っています」

 

 プロ野球からの転向選手を受け入れたクリケット界の反応はどうなのか。日本クリケット協会の宮地直樹事務局長に聞いた。

 

「昨年、プロ野球選手会から、選手のセカンドキャリア支援の話を受けました。『クリケット転向を紹介した際に、協会として何らかのサポートはお願いできますか?』というものでした。クリケット協会は代表選手の遠征も自腹が基本なので、金銭的サポートは難しい。でもお金はないけど、コネはあります。木村選手の豪州挑戦も協会のコネクションがいかされています」

 

 宮地事務局長によれば、「木村選手は身体能力は当然、抜群です。クリケットへの対応力も高いので、オーストラリアのチームでどこまでやれるか、楽しみです」と語った。

 

 オーストラリア挑戦を決めた木村の決意は、11月掲載の後編でお伝えしよう。
(つづく)

(取材・文・写真/SC編集部・西崎)

<木村昇吾(きむら・しょうご)プロフィール>
1980年4月16日、大阪府生まれ。尽誠学園(香川)では3年夏に甲子園出場を果たす。卒業後、愛知学院大に進学し遊撃手でベストナインを5度獲得した。03年、ドラフト11位で横浜に入団。同年3月にプロ初安打を放ち、06年、フレッシュオールスター出場。07年オフ、広島にトレードで移籍し、11年、レギュラー遊撃手として自己最多の106試合に出場、37犠打をマークした。その後も主力選手の負傷欠場の穴を埋めるなどバイプレーヤーとして活躍。15年オフにFA権を行使するも、移籍先が決まらず、埼玉西武にテスト生として入団。16年、練習中に右膝前十字靱帯断裂の重傷を負い、17年は育成選手契約。同年オフ、戦力外通告を受け、クリケットに転身した。18年、クリケット男子日本代表強化選手団に選出される。9月、日本代表の一員として東アジアカップ優勝を果たし、10月、さらなるスキルアップとクリケットプロリーグ関係者へのPRのためにオーストラリアに渡った。目標はクリケット世界最高峰、インディアン・プレミアリーグ(IPL)。

 


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