今や有能なアスリートに国境はない。多くの日本人選手が国外のクラブにその力を認められて移籍している。しかし、約20年前はそうではなかった。稲川朝弘が初めて日本人選手の国外移籍を手掛けたのは1998年のことだ。

 

 名古屋グランパスからベルマーレ平塚にレンタル移籍していた森山泰行である。

 

 日本代表がアジア予選を勝ち抜き、初めてワールドカップに出場するのはこの年である。日本人選手の評価は世界的なマーケットの中でほぼゼロ。いや、マイナスだったかもしれない。

 

 森山は自らの能力を示すために、スロベニアのヒット・ゴリツァのテストを受けている。テストとは2つの練習試合に参加することだった。両試合とも森山の動きは良く、2試合目にダイビングヘッドで得点を決めている。

 

 しかし、クラブ側はまだ森山の能力に懐疑的だったという。

<それでもクラブのオーナーは最初から(※筆者注 森山の獲得に)乗り気だったわけではない。だが森山との話し合いが不調に終わり、他の選手の獲得に動こうとすると、サポーターが抗議行動に出た。すかさずフロントは、森山にリュブリアナへの避難を勧める。それほどファンは激しく森山を求めたのだ>(『サッカー批評 Issue42』掲載 加部究 「海を越えてきたフットボーラー 森山泰行」)

 

 スロベニアでの苦闘

 

 リュブリャナ(リュブリアナ)とはスロベニアの首都である。不透明なクラブの意図、狂信的なサポーターの存在は、東欧のサッカークラブの特徴だ。

 

 他にも欧州の幾つかのクラブから興味があるという打診はあった。結局、森山はこのヒット・ゴリツァを選ぶことにする。

 

 森山はまずはクラブが用意したホテルで生活することになった。ヒット・ゴリツァのクラブ名に入っている「ヒット・グループ」はスロベニアで最大のカジノグループだった。カジノ付きの豪華なホテルである。

 

 稲川はこう振り返る。

「イタリア国境に近いので、イタリアからの客が多かったですね。なぜか、ガンバ大阪の監督だった(ヨジップ・)クゼの姿を良く見ました。(近隣の)クロアチア人なのでカジノをやりに来ていたんでしょう。ポーカーやマシンをやっていました」

 

 この頃、クゼはギャンブル中毒に陥っていたのだ。後に彼はギャンブルが元で深刻な金銭トラブルを抱えることになる。

 

 スロベニアリーグは、巨大な選手たちによる激しい体のぶつかり合いのある肉体的なサッカーが主流だった。その中で身長171センチの森山は苦戦する。

 

 前出の加部による『サッカー批評』の森山のインタビューを引用する。

 

<「初めて行った時、周りを見渡して、エッ、こんなヤツらとやるの? と思いましたよ。とにかく大男たちが手は使う、足は出て来る。さすがにそれはファウルだろ、というプレーでも、レフェリーは平気で流してしまう。もうサッカーじゃない、プロレスでしたね。ちょっとでも気を抜けば、すぐに削られる。とにかくその恐怖心を取り払うのに2~3週間はかかりました」

 

 ピッチは、雨が降れば田んぼ状態、晴れれば凸凹のままカチカチに固まる。劣悪条件下でバトルを繰り広げたことで、森山の身体は自然に筋肉武装されていた>

 

 このインタビューによると森山の体重は短期間のうちに2キロ増えたという。

 

 10月18日、森山はジヴィラ・トリグラブ戦で初ゴールを決めている。しかし、翌11月のアウェイ戦、開始15分で退場、4試合の出場停止処分を受けることになった。

 

 後ろから頭部を殴られた森山は、日本語で「なんだよ」と言っただけだったという。

 

 交渉難航でブラジルへ舵を切る

 

 不運は重なる。

 

 現地の新聞が一面で森山の<レッドスター・ベオグラードへの移籍>を報じた。これは前回の連載で触れたように稲川が水面下で動いていたものだった。

 

 なぜこの時期にこの情報が出たのかははっきりしない。クラブ側に森山が在籍することを快く思っていなかった人間がいたのかもしれない。この報道により、クラブ側は新外国人の獲得に乗り出すことになった。一方、給料未払いが3ケ月続いたこともあり、森山はクラブを去ることを決断する。

 

 しかし、移籍先として考えていたレッドスターとの交渉は難航した。コソボ紛争の影響が続いていたのだ。

 

 フランスリーグのオリンピック・マルセイユ、カンヌ、モンペリエとも交渉したが、まだ日本人選手の評価は低く、契約までには至らなかった。冬の移籍期間が終了。そこで引き続き選手登録が可能なブラジルに目を向けることにした。

 

 そんな中、稲川はサンパウロ市のポルトゲーザへの練習参加を取り付けている。

 

 ポルトゲーザは、1920年設立のクラブで、コリンチャンス、パルメイラス、サンパウロFCと並ぶ、サンパウロ市の4大クラブの1つだ。国際タイトルと無縁なこともあり、最も地味な存在でもある。

 

 チームを率いていたのは、ブラジル代表監督歴のあるマリオ・ロボ・ザガロだった。前年まで所属していたエバイールが抜けたこともあり、フォワード陣が手薄になっていた。エバイールは横浜フリューゲルスに所属した長身のフォワードである。

 

 森山を気に入ったザガロはクラブに獲得するように頼んだという。そんなとき、クラブを巡る贈収賄疑惑が発覚した。会長、副会長が取り調べで拘束され、交渉が停まった。

 

 そこで稲川はリオ・グランジ・ド・スール州のECジュベントゥージに森山を連れて行くことにした。ジュベントゥージは森山の才能を高く評価し、契約を結んだ。

 

 しかし――。

 

 森山はジュベントゥージで1試合も出場することはできなかった。

 

(つづく)

 

田崎健太(たざき・けんた)

 1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)、『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。最新刊は『ドライチ』(カンゼン)。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。公式サイトは、http://www.liberdade.com


◎バックナンバーはこちらから