第224回 「弱い相手とはやりたくない、強い相手と闘いたい」 志の高さこそが井上尚弥を輝かせた
開始のゴングが打ち鳴らされてから僅か70秒、衝撃のシーンは訪れた。
井上尚弥が放った、この試合での2発目のパンチ、右ストレートが挑戦者ファン・カルロス・パヤノ(ドミニカ共和国)の顔面にクリーンヒット。一撃で試合は終わった。
ウォ~ッ!
1万人を超す観衆が響く。私も身震いした。テレビの前で観ていた人たちも、井上の強さに驚愕せずにはいられなかっただろう。モンスターは試合を重ねるごとに、その存在を巨大化させていく。
10月7日、横浜アリーナで行われたWBSSバンタム級トーナメント1回戦&WBA世界バンタム級タイトルマッチ。
戦前の予想は、井上の圧倒的優位。それでも、これほどの圧勝は予測できなかった。なぜならば、2度の五輪出場、そしてプロ転向後も20勝(9KO)1敗の戦績を誇っていたドミニカンは、これまでに一度もKO負けを喫したことのないタフガイだったからだ。
「イノウエの強さは本物だ。油断していたわけではないが、パンチがまったく見えなかった」
試合後、パヤノは落胆の色を浮かべながら、静かにそう話した。
この勝利で井上は、3つの日本ボクシング界の記録を更新している。
1つ目は、世界戦最短KO勝利。1分10秒は、1992年4月10日、平仲明信がメキシコでエドウィン・ロサリオ(プエルトリコ)を1ラウンドKOで破り、WBA世界ジュニア・ウェルター級王座を奪取した時の1分32秒を上回る。
2つ目は、世界戦での連続KO勝利。元WBA世界ジュニア・フライ級王者の具志堅用高が保持していた、6試合連続を39年ぶりに塗り替えた。
3つ目は、世界戦でのKO勝利数。これまでは、元WBA世界スーパー・フェザー級王者内山高志の10回が最高だったが、井上はこれを11回に伸ばしたのだ。
ここまでの闘いで井上は、歴代日本人世界チャンピオンの中で「パウンド・フォー・パウンド最強」を証明したと言えるだろう。だが、それは、記録によってのみ築かれたものではない。
前評判は井上の圧倒的優位だが
「弱い相手とはやりたくない。強い相手と闘いたい」
デビュー直後から井上は、そう話していた。ここまで闘ってきた相手も強者ばかりだ。勝てそうな相手を選んでタイトルを得たり、防衛を重ねたりするのではなく、常に自分の限界と向き合ってきた。この志の高さこそが、井上のポテンシャルを高めてきたのである。
さて次戦、井上はトーナメントの準決勝を海外のリングで闘う可能性が高い。相手は、
10月20日、米国フロリダで闘うエマヌエル・ロドリゲス(プエルトリコ/IBF世界バンタム級王者)とジェイソン・モロニー(オーストラリア/IBF同級3位)の勝者だ。おそらくは、ロドリゲスと闘うことになる。そして、ここで勝てば、決勝の相手は、ライアン・バーネット(英国/WBA世界バンタム級スーパー王者)か、ゾラニ・テテ(南アフリカ/WBO世界バンタム級王者)のいずれかとなるだろう。
国内外の関係者の予想は「井上尚弥、圧倒的優位、優勝は間違いない」というものだ。スピード、テクニック、そしてパワーにおいても、井上は、ロドリゲス、バーネット、テテらを上回っていると私も思う。
しかし、トーナメントを制することは、そう簡単ではない。なぜならば、展開上、何が起こるかは予測できないからだ。大橋ジム陣営が対戦相手を研究していると同様に、ロドリゲス、バーネット、テテも井上の闘い方を分析し尽くすからである。もし井上が準決勝、決勝で敗れたとしても、何ら不思議なことではない。それほどまでに、WBSSはハイレベルで、スリリングなトーナメントなのである。
来年春の準決勝、そして秋に行われるであろう決勝が待ち遠しい。ひたむきに強さを求め続けてきた男、井上尚弥が苛烈な舞台で輝く姿を見たい。
近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実 ~すべては敬愛するエリオのために~』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー ~小林繁物語~』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』『ジャッキー・ロビンソン ~人種差別をのりこえたメジャーリーガー~』『キミも速く走れる!―ヒミツの特訓』(いずれも汐文社)ほか多数。最新刊は『プロレスが死んだ日。』(集英社インターナショナル)。
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