この仕事を続けるには、何人か「メンター」が必要である。指導者、助言者だ。困ったら、この人に聞け。私にとってそのひとりが、2日に71歳で死去した金田留広さんだった。親しみを込めて、生前同様「トメさん」と呼ばせてもらう。

 

 トメさんにはじめて取材したのは、今から30年程前だ。「史上最高のカーブを投げた投手は誰か」。2人にひとりが彼の名前をあげた。トメさんは「オレには4種類のカーブがある」と豪語した。「カウントをとる緩いカーブ、横から放るチェンジアップのようなカーブ、速いカーブ、そしてフワーッと舞い上がってパンと落ちるカーブ。これを投げ分けることができたのはオレだけ」。トメさんは自他ともに認める“カーブ職人”だった。

 

 1960年代後半から70年代にかけて堀内恒夫さんや外木場義郎さんも素晴らしいカーブを投げていた。一方で彼らは真っすぐも速かった。だがトメさんのそれは、失礼ながら全盛期でも“中の上”くらい。晩年の広島時代は「ハエが止まる」(元同僚)ようなボールだった。それでも打者を手玉にとることができたのは卓抜の投球術を身に付けていたからに他ならない。

 

 79、80年の広島の2年連続リーグ優勝、日本一に貢献。4勝1敗、4勝3敗の成績ながら、ローテーションの谷間をきちんと埋める仕事ぶりを、監督の古葉竹識は「トメの1勝は10勝分の価値がある」と評価していた。

 

 東映・日拓、ロッテ、広島での13年間のプロ野球生活で通算128勝(109敗)をあげ、最多勝に2回、MVPにも1回輝いている。勲章の数々を見れば名選手だ。にもかかわらず、少々影が薄いのは400勝投手の金田正一さんを兄に持つからだろう。「高校時代、アニキにはいつも食費と毎月1万円の小遣いをもらった。“プロになるんだったら、一般人と同じものを食べていちゃダメ。自分の体に投資しろ”と。僕がプロでやれたのもアニキのお陰です」。

 

 このように「偉大なアニキ」への感謝を忘れないトメさんが、一度だけ、こちらを向き直り、強い口調で言ったことがある。「ドラフト制後、デビューから4年連続で15勝以上あげた投手は、僕と野茂英雄だけ。アニキでも1年目は8勝なんです。ウソだと思ったら調べてください」。本人いわく「12人きょうだい」の末弟の意地がにじんでいた。またカーブの極意について聞きたかった。合掌。

 

<この原稿は18年10月17日付『スポーツニッポン』に掲載されています>


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