(写真:新契約成立後の初戦はスーパーミドル級でカネロはフィールディング<右>と対戦。体格差が気になるが、スキルではカネロが大きく上回る Photo By Golden Boy Promotions)

12月15日 ニューヨーク マディソン・スクウェア・ガーデン

WBA世界スーパーミドル級タイトル戦

 

王者 

ロッキー・フィールディング(イギリス/31歳/27勝(15KO)1敗)

vs.

挑戦者/WBA、WBC世界ミドル級王者

サウル・“カネロ”・アルバレス(メキシコ/28歳/50勝(34KO)1敗2分)

 

 二大ドル箱をゲット

 

「この業界は変化している。すべては変わろうとしているんだ」

 10月17日、マディソン・スクウェア・ガーデン・シアターで行われた盛大な会見で、イギリス人プロモーターのエディ・ハーンはそう宣言した。

 マッチルーム・スポーツの顔役が喜色満面だったのも当然だろう。表向きはアルバレスがニューヨーク初登場で3階級制覇を狙うタイトル戦のキックオフ会見だったが、この日の最大の話題はそれではなかった。

 

 早朝、動画配信サービスのDAZN(ダゾーン)がアルバレスと5年間で11戦総額3億6500万ドルの超大型契約を結んだと発表。“カネロ(スペイン語でシナモンの意)”の愛称が定着した28歳の王者は、2014年にMLBのジャンカルロ・スタントン(現ヤンキース)がマーリンズから受け取った13年3億2500万ドルを凌駕するプロスポーツ史上最大の契約を手に入れたのだった。

 

 今後、カネロには1戦ごとに3000万ドルの報酬が保証される。先月、微妙な判定ながら帝王ゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)を下したメキシカンスーパースターは、普段は仏頂面でいることも多いが、この日は笑顔が抑えきれない様子だった。

 

 今回の契約で変化するのはカネロの経済的ステータスだけではない。冒頭でのハーンの言葉通り、ボクシングビジネスのモデルは変わろうとしている。テレビ局ではなくDAZNが業界最大のスターを手に入れたことは、その事実を象徴しているのだろう。

 

(写真:ゴロフキンの壁を乗り越えたカネロは我が世の春を謳歌している Photo By Golden Boy Promotions)

 5月10日にマッチルーム・スポーツがDAZNとの新シリーズを発表した直後にはまだ懐疑的な声も多かった。この日、マンハッタンで開催された会見で、ハーンはDAZNと実に8年間で10億ドルという超大型契約を発表。1年間にアメリカで16興行、イギリスで16興行を開催するというプランは壮大だったものの、その後はなかなか有力選手が獲得できなかった。

 

 10月7日にシカゴで催された米国第1回興行も、看板になったジェシー・バルガス、ダニエル・ローマン、ジャレル・ミラー(すべてアメリカ)、アーサー・ベテルビエフ(ロシア)といった比較的地味な選手たち。視聴件数も低迷したといわれ、この時点では「I told you so(そら見たことか)」とほくそ笑んだライバルは少なくなかったはずだ。

 

 ところが――。

「私たちがビッグスターを獲得できるかどうか、当初は信じない人ばかりだった。しかし、アンソニー・ジョシュア(イギリス)に続き、今ではゴールデンボーイ・プロモーションズ(GBP)と“カネロ”・アルバレスもDAZN USAの傘下に入った。この契約は世界のスポーツに大きな影響を与えるだろう」 

 ハーンのそんな言葉通り、9月にスタートしたばかりの新プラットフォームが北米では最大の興行力を誇るカネロを手に入れた意味は計り知れない。

 

 これでDAZNはもともとマッチルーム所属のWBA、IBF、WBO世界ヘビー級王者ジョシュア、カネロという現役二大ドル箱をともにゲットしたことになる。加えて、カネロが属するGBPの主催興行も年に10度放送するとのこと。GBPが擁するホルヘ・リナレス(ベネズエラ)、レイ・バルガス(メキシコ)、ジョセフ・ディアス・ジュニア(アメリカ)、デビッド・レミュー(カナダ)といった実績ある選手たち、さらにはライアン・ガルシア、バージル・オルティス(すべてアメリカ)らの無敗プロスペクト(有望株)たちも一手に抱えることになった。

 

 ハーンはまるで自身の手柄のように述べていたが、実際には今回のDAZNとカネロの契約はマッチルームのものとは完全に別件らしく、だとすればDAZNの資金力には余計に驚嘆せざるを得ない。すでにワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)の放映権も手に入れていたDAZNは、今後は実に厚みのあるプログラムを提供することができる。ジョシュア、オレクサンダー・ウシク(ウクライナ)を始めとするマッチルーム勢、カネロらGBP勢、そしてWBSSのファイトを定期的に流していけば、興味を持たないボクシングファンはいないだろう。

 

 ボクシングビジネスの分岐点

 

(写真:GBPのエリック・ゴメス社長にとっても新契約は値千金だった Photo By Golden Boy Promotions)

 大きなポイントは、少なくとも現時点で、これらのすべてのコンテンツをDAZNでは月額9.99ドルで視聴できることだ。

 

「カネロはPPVの王様になったが、これからまた新しい時代をスタートさせる。このスポーツを可能な限り親しみやすく、より手頃な値段で提供していきたい。カネロという業界最大のビッグネームの試合を見るために、ファンは余計に払う必要がなくなるんだ」

 GBPのエリック・ゴメス社長の言葉通り、過去45年間、ボクシングビジネスの中心はプレミアケーブル局のHBO(月額視聴料15~20ドル)とコンテンツを選んで課金するPPVシステムだった。おかげでカネロ、ゴロフキン、あるいは一世代前のフロイド・メイウェザー(アメリカ)、マニー・パッキャオ(フィリピン)といったメガスターの試合を見るためには60~100ドルのPPV料金が必要だった。しかし、DAZNでは月額料金だけでカネロ、ジョシュアらの試合が視聴できてしまう。

 

「DAZNだけでなく、ボクシング界全体にとって良い契約だ。これでPPVは終焉を迎える。12月の試合(フィールディング対カネロ戦)にしても、これまではPPVで84.99~99ドルだったのが無料で見られるんだ」

“ボクシング視聴は金がかかる”という考え方が米国内では定着していただけに、ハーン・プロモーターが述べた新たな方向性をファンは歓迎するだろう。

 

 もちろん話がややうますぎる感もあり、近未来への懸念が消えたわけではない。

 これだけの巨額投資をDAZNは本当に維持していくのか。ボクシングファンの中には動画配信に知識の乏しい高年齢層も多く、そういった人たちの反応も気にかかる。

 

 また、どんな相手と戦っても3億ドル以上が保障されている状況下で、カネロ側は強敵との継続した対戦を望むのか。DAZNは少なくとも2023年までアルバレスを抱えるが、着実に実力をアップさせているとはいえ、英語は話さず、薬物事件で6カ月の出場停止処分を受けたばかりで、ビッグファイトでは僅差の判定勝負が続くメキシカンファイターが米国内で広告塔の役割を果たせるのかに疑問を呈する声も消えない。

 

(写真:カネロとの契約には実はハーンは関わっておらず、ESPNの元社長で現在はDAZNの重役を務めるジョン・スキッパーがGBP陣営と話をまとめたという Photo By Golden Boy Promotions)

「アンソニー・ジョシュアと戦いたいのなら、DAZNの中継でなければならない。ジョシュア対デオンテイ・ワイルダー(アメリカ)戦もDAZN で中継されるよ」

 ハーン・プロモーターがそう息巻いていたのを聞いて、嫌な予感がしたファンも少なくなかったのではないか。ワイルダーはShowtimeとの関係が深いだけに、DAZNの勢力拡大でヘビー級の最終決戦実現には暗雲が立ち込めたと言えるかもしれない。ジョシュア対ワイルダー戦に限らず、プロモーター、放送局の垣根を超えたビッグファイトをまとめるのはこれまで以上に難しくなりそうな予感もある。

 

 ただ、それらをすべて考慮した上でも、それでも時代が急速に動いているように感じられるのは事実である。この1年で動画配信サービスのDAZN、ESPN+が勢いを増し、時を同じくしてHBOは来年以降はボクシングを放送しないことを発表。老舗が去ったことに寂しさは感じても、“安価で多くの試合が観れる”という意味で、現在の動きは多くのファイトファンにとっては歓迎すべきに違いない。

 

 ストリーミングサービスに関しても、当初は戸惑いはあっても、徐々に、確実に、米国内で浸透していくのではないか。そういった意味で、2018年はボクシングビジネスにとって分岐点の年。旧体制から新たなモデルに移り始めた重要な1年として、後々まで記憶されていく可能性は高いのかもしれない。

 

杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、NFL、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボールマガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞』など多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。著書に『MLBに挑んだ7人のサムライ』(サンクチュアリ出版)『日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価』(KKベストセラーズ)。最新刊に『イチローがいた幸せ』(悟空出版)。
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