皆様、こんにちは。すっかり秋を感じられる季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか? クライマックスシリーズ、ドラフト会議、日本シリーズが終了するとプロ野球はシーズンオフです。オフの話題の中心は球団を去る選手の動向、そしてドラフトや新外国人などの戦力補強について。読者の皆さんも応援するチームがどんな補強をしていくのか楽しみにしていることでしょう。最高の補強ができることを願っております。


 さて、今回はプロ野球選手の去就についてお話しようと思います。今季も多くの選手がユニホームを脱ぎました。近年と比べても長く活躍して実績を残した選手が引退となるケースが多いと感じています。中でも広島・新井貴浩選手の引退には感慨深いものがありました。

 

 新井選手は来年1月に42歳になる年で、1976年8月生まれの私とは同学年となります。同級生がひとり辞め、ひとり去り……気がついたら現役プロ野球選手は新井選手だけになってしまったので、彼には1年でも長く現役を続けて欲しいと、陰ながら応援しておりました。引退会見を見た際にはとても切なくなったのを覚えております。

 

 他にも松坂世代の選手や他にも一時代を築いた選手など、私が現役時に一緒にグラウンドに立っていた選手がどんどん引退していくことにも寂しさが込み上げてきます。引退する選手、戦力外となった選手の中で「自分はやり切った!」と心の底から思える選手はほんの一握り、いやほとんどいないと思います。ある程度のケジメをつけた選手、まだまだ志半ばにて戦力外通告された選手など、様々な理由はあれど人生における選択を迫られています。わずかな期間でこれからのことを決めなければいけないなんて、本当に酷な世界ですよね……(汗)。

 

 背番号24の哀愁

 選手以外にも各球団の監督やコーチなどスタッフ人事も例年にないくらい活発な動きがありました。私自身も在籍していた巨人は高橋由伸さんが監督を辞任して、原辰徳さんが新監督に就任。第3期原政権がスタートして、大幅な人員の入れ替えを行っているようですが、リーグ優勝を4季連続で逃していることもあり、原監督からは「優勝が絶対」という意志が感じられます。

 

 由伸さんの話を少しさせていただきますが、15年オフ当時、様々な経緯があっての監督就任だったかと思います。背番号24をずっと背負っている姿から、「何か踏ん切りが付かない部分があるんじゃないか?」と推測してしまうこともありました。私は由伸さんとは何かとご縁があり、高校3年生のときには全日本メンバー合宿で一緒に練習をし、巨人に入ってからは同じグラウンドに立ち、私が1軍で登板するときには、叱咤激励の言葉をかけてくれました。

 

 とても心優しい先輩でしたが、内に秘める闘争心、集中力はスゴイものがありました。その闘志が結果に結び付き、監督として大輪の花を咲かせて欲しいと陰ながら応援していましたが、胴上げを見ることのないまま、そのユニホームを脱ぐことに……。先ほど述べた広島・新井選手と同様に寂しい気持ちになりましたが、由伸さんは充電期間を経ていずれまた現場に戻ってきてくれるはずです。由伸さんのユニホーム姿を楽しみに待ちたいと思います。

 

 さて今回は引退、辞任などしんみりとした内容となりましたが、去る人の話題もあれば来る人の話題もあります。ここからは、我が故郷・秋田の英雄にまで登り詰めた金足農・吉田輝星投手のドラフト話に移りたいところですが、吉田君のドラフト秘話は次回、お伝えします。楽しみにお待ちください。これからどんどんと寒くなりますので、どうかご自愛いただきオフシーズンを堪能してください! では、また。

 

 

<小野仁(おの・ひとし)プロフィール>
1976年8月23日、秋田県生まれ。秋田経法大付属(現・明桜)時代から快速左腕として鳴らし、2年生の春と夏は連続して甲子園に出場。94年、高校生ながら野球日本代表に選ばれ日本・キューバ対抗戦に出場すると主軸のパチェーコ、リナレスから連続三振を奪う好投で注目を浴びた。卒業後はドラフト凍結選手として日本石油(現JX-ENEOS)へ進み、アトランタ五輪に出場。97年、ドラフト2位(逆指名)で巨人に入団。ルーキーイヤーに1勝をあげたが、以後、制球難から伸び悩み02年、近鉄へトレード。03年限りで戦力外通告を受けた。プロ通算3勝8敗。引退後は様々な職業を転々とし、17年、白寿生科学研究所に入社。自らの経験を活かし元アスリートのセカンドキャリアサポートや学生の就職活動支援を行っている。


◎バックナンバーはこちらから