11日、国際陸上競技連盟(IAAF)のワールドチャレンジミーティングス第3戦「セイコー・ゴールデングランプリ東京」(ゴールデンGP)が国立競技場で行われ、男子100メートルはアテネ五輪同種目金メダリストのジャスティン・ガトリン(米国)が10秒02で制した。注目の日本歴代2位の記録を持つ桐生祥秀(東洋大)は10秒46で日本人トップの5位に入った。同800メートルは川元奨(日本大)が1分45秒75の日本新記録をマークし、優勝。5月の世界リレー選手権(バハマ・ナッソー)の出場権獲得を目指していた女子のリレー日本代表は、リレー2種目(400メートル、1600メートル)に各2チーム出場し、派遣標準記録に挑んだ。400メートルリレーでは北風沙織(北海道ハイテクAC)、土井杏奈(大東文化大)、渡辺真弓(東邦銀行)、市川華菜(ミズノ)の日本Aが43秒73で派遣標準記録を100分の7秒突破し、バハマ行きの切符を手にした。一方で1600メートルリレーは日本A、Bともに派遣標準記録をクリアできなかった。その他の日本人選手では、男子棒高跳びで澤野大地(富士通)、山本聖途(トヨタ自動車)のワンツーフィニッシュだった。
(写真:ガトリン<左>に完敗した桐生)
 “ジェット”は不発で世界に完敗

「また世界との差がいろいろ見えた」。桐生は、時折、鼻で息をしながらレースを振り返った。日本人トップではあったが、ガトリン、マイケル・ロジャーズ(米国)、クリストフ・ルメートル(フランス)、マイケル・マシュー(バハマ)の4人に先着された。1位のガトリンに0秒44の大差。やはり世界の背中は遠かった。

 5月末に閉場され、国立競技場は新たに生まれ変わる。現在の国立競技場としては最後の陸上競技大会。1964年の東京五輪をはじめ数々の歴史を刻んできた“聖地”でのラストランとなった。91年の世界選手権ではカール・ルイス(米国)が100メートルの世界記録(当時)9秒86をマークした場所。さらに時を遡れば、64年の東京五輪でボブ・ヘイズ(米国)が初めて9秒台を出したスタジアムでもあった。この時は追い風参考記録のため、人類として初の9秒台という記録は残っていない。

 そんな歴史のある日本のナショナルスタジアムのトリを飾ったのが、陸上の花形種目・男子100メートルだ。1万7000人と昨年を上回る観衆の視線は、メーンスタンド側のトラックに描かれた8つの直線にいる8人の男たちに注がれた。その大半は、2レーンの18歳に向けられたものだろう。2年連続出場となった桐生。“最速の高校生”は、坊主頭だった髪の毛も伸び、大学1年生になっていた。

 午後4時37分。トラックを照り付けていた陽は傾き、影が差し込んでいた。そして選手にとっては悪戯な風が吹き始めた。直前の女子100メートルは風速0.8メートル、男子200メートルは風速1.2メートル、女子200メートルは風速1.8メートルと、向かい風がスプリンターたちの行く手を阻もうとする。この時の向かい風は3.5メートルを計測した。

 悪条件の下の中、桐生はいつものルーティンを踏んだ。「去年はガチガチ。ちょっとはリラックスできたかな」。そしてスタートの号砲は鳴らされた。誰よりも速く飛び出したのは、少しだけ肩の力が抜けていた桐生だった。リアクションタイムは0.117秒。ガトリンよりも0.011秒先に飛び出した。

 しかしリードは一瞬だった。すぐにガトリンらにとらえられると、「思っていたより速く抜かされた」と差は開く一方だった。ガトリンらを筆頭にパワフルなスプリンターたちは向かい風をモノともせず突き進んでいたように映った。ロンドン五輪銅メダル、昨年の世界選手権は銀メダルのガトリンは昨年の覇者ロジャーズ、白人初の9秒台を記録したルメートルも寄せ付けずトップでゴールを駆け抜けた。一方で桐生は後半に追い上げを見せたものの「何番でゴールしたか、全然わからなかった」と下位争いの中にいた。
(写真:「もう少し前にいたかった」と悔しがった)

 ガトリンの速報タイムは奇しくも10秒01――。1年前の4月29日、織田幹雄記念国際陸上で桐生が出したタイムと同じだった。しかし「自分が10秒01を出したときは、いいタータン(陸上競技用の合成ゴムの走路)で風も追い風だった。それに比べたらマイナス3.5(メートル)で10秒01はタイムどころではなく、力の差が全然違う」と桐生が口にしたように、その中身は異なる。条件の相違すら跳ねのけて、自己ベストと並ぶ記録を出されたことにその差を痛感した。

「欲を言えば全部変えたいです。もっと速くなりたいというか、スタートだけ速くなっても後半抜かされては意味がない」。速さ、そして強さへの欲求が桐生の中で呼び覚まされている。「(この感覚は)久しぶりですね。どこか勝っていて、どこがダメだなというのはあったんですが、今回は全部で勝てなかった」。また基礎から構築し、積み上げていきたいという考えがある。

 桐生は高校1年から2年にかけて、基礎を見つめ直し、練習をイチからスタートした。それが高校2年での世界ユース(18歳未満)記録となる10秒19をマーク。そして高校3年に織田記念での10秒01を叩き出す爆発的な成長へとつながった。「今やってもそうなるとは限らないけど、やってみる価値はあると思う」と桐生。今春から大学生活をスタートし、土江寛裕コーチに指導を仰いでいる。今シーズンの初戦となった吉岡隆徳記念陸上(出雲陸上)で10秒26、織田記念ではセカンドベストの10秒10を出した。出足としては悪くない立ち上がりだった。レースに臨むにあたって慢心はなかっただろうが、世界の一線級と戦えば力の差は歴然。昨年の成績を見ても、世界大会では力を発揮できたとはいえない。

 16年止まっている日本記録の更新、つまり9秒台への期待は、依然として背負わされている。そして今は遠い世界との差を縮めることも。「結局、勝負しないと意味がない。決勝に残って、勝負してそこで9秒が出たらいいなと。勝つとなると結局タイムは必要になる。どっちも欲しいなと贅沢でもあるんですが、勝負して負けたくない。高校から負けたくないという気持ちで1番が欲しかった」。“最速の男”ウサイン・ボルト(ジャマイカ)にも勝利したことのあるガトリンが、18歳のスプリンターに火をつけた。改修前の最後の国立で伝説が刻まれることはなかったが、これから紡いでいく伝説の序章となるのか。まずは出場が決まっている世界リレー選手権で、新たなページを我々に見せて欲しい。

 明暗分かれた椿スプリンターズ

 この日はオープン種目として世界リレー選手権の出場をかけて、女子のナショナルリレーチームが挑戦した。前日に決まった愛称は“椿スプリンターズ”。暖かな日差しを背に、大輪の花を咲かせたいところだが、400メートルリレーと1600メートルリレーは、明暗が分かれるかたちとなった。

 まず1600メートルリレーでは、400メートルの日本記録保持者・千葉麻美(東邦銀行)らで臨んだ日本Aが3分34秒31と、3分33秒00のIAAFが定める派遣標準記録に届かなかった。

 椿スプリンターズは昨年12月より合宿を行うなどしてきたが、個人競技の400メートルも含め、依然として大きい世界との差通りの結果となってしまった。千葉は悔しさを噛み締めながらも前を向いた。「世界を経験したのは私たちや引退した選手、陸上界でいうとベテラン選手しかいない。若い子たちに世界を経験して欲しいと思います。自分も頑張りつつ、若手と世界で勝負していきたい」。3分33秒00を出すには、1人53秒25で走らなければいけなかった。千葉ですら昨年度のシーズンベストは53秒76。まずは個々のレベルアップなしには、その背中は見えてこないだろう。

 一方の400メートルリレーでは、女子短距離のエースである福島千里(北海道ハイテクAC)がケガにより直前に欠場が決定するアクシデントに見舞われた。福島の出場予定だった日本Aのアンカーの代役に急遽選ばれたのは市川。発足時にはリレーナショナルチームに名前はなかったが、その後の合宿には参加していた。そこで認められ1600リレーのメンバーとして前日に追加で選出されたばかり。市川はまず1600メートルリレーの第3走者として走り、その約1時間後には400メートルリレーのアンカーとしてその責任を背負った。11年に日本記録を出した4継(400メートルリレー)のメンバーでもアンカーを務め、12年ロンドン五輪にも出場した。しかし昨シーズンはケガで思うような結果が残せなかった。
(写真:スタンドに手を振るリレーチーム日本Aのメンバー)

「いつも福島さんにおんぶに抱っこの部分があった。自分たちが頑張って突破しないと、上にはいけない」。市川が語った言葉が、チームの総意だろう。この日は“1走のスペシャリスト”北風が勢いをつけ、土井、渡辺がそれを繋いだ。最後にバトンを受けた市川も快走。昨年の鬱憤を晴らすような走りでゴールを駆け抜ける。タイムは43秒74。0秒06標準記録をクリアした。メンバーは抱き合って喜び、涙する選手もいた。昨年の世界選手権は派遣を見送られた女子リレーチームだが、15年の世界選手権の出場権獲得にも関わってくる世界リレー選手権への出場権を手に入れた。「このチームはすごく団結力がある」と市川。福島というエースを欠く、ピンチをチームワークで脱した。産声を上げたばかりの椿スプリンターズ。大きな花を咲かせるための芽を残した。

(文・杉浦泰介/写真・鈴木友多)