(写真:ともに優れたファイターだが、体格差は歴然だ Photo by Lionel Hahn/Fox/PictureGroup)

2019年3月16日 テキサス AT&Tスタジアム

IBF世界ウェルター級タイトル戦

 

王者 

エロール・スペンス・ジュニア(アメリカ/28歳/24戦全勝(21KO))

vs.

挑戦者/4階級制覇王者/現WBC世界ライト級王者

マイキー・ガルシア(アメリカ/30歳/39戦全勝(30KO))

 

 “飛び級”での挑戦

 

 2019年最初のビッグファイトはボクシングファンの間でも少なからず論議を呼び起こすカードになった。

 

 過去4階級を制覇してきたガルシアが、ハイレベルのウェルター級でもNo.1と評されるスペンスに挑戦。パワー、スキル、無敗レコードをすべて備えた両王者の対戦は、本来であれば垂涎のマッチアップのはずである。

 

(写真:リピネッツ戦でのガルシアは相手をやや持て余し気味だった Photo ByAmanda Westcott / SHOWTIME)

 ただ、引っかかりを覚えるのは、ガルシアはウェルター級での実績がないことだ。フェザー、スーパーフェザー、ライト、スーパーライト級という4階級を制したメキシコ系アメリカ人だが、140パウンド以上での経験はゼロ。今年3月にはセルゲイ・リピネッツ(ウクライナ)との王座決定戦に判定勝ちしてスーパーライト級タイトルを獲得したが、7月の前戦ではライト級に戻っている。

 

 つまり、30歳の王者は、次戦ではいわゆる“飛び級”でウェルター級最強王者に挑むということ。もともとフェザー級出身のガルシアの骨格はスペンスよりはるかに小さく、2人が並んだところを見ても体格差は歴然だった。そんな背景ゆえに、この試合を熱望したガルシアの選択と、成立させた周囲の決断が少なからず疑問視されているのである。

 

 他ならぬスペンスが「マイキーがやろうとしていることにはリスペクトしかない」と述べている通り、ガルシアの勇気とチャレンジ精神を賞賛する声も数多い。ウェルター級の強豪たちが対戦を避けているようにしか見えないIBF王者に、ガルシアは敢然と挑戦状を叩きつけた。なかなか冒険ファイトを組まないアメリカ人選手が多い中で、見上げた姿勢ではある。

 

 引き合いに出されるのは、もともと軽量級出身で、その時点で世界ライト級王座を保持していたマニー・パッキャオ(フィリピン)が6階級制覇王者オスカー・デラホーヤ(アメリカ)に挑んだ2008年の一戦。大方の予想を覆す形で、パッキャオはデラホーヤに8回TKOで圧勝した。歴史的番狂わせを起こしたパッキャオのその後の快進撃はボクシング史に刻まれている。

 

 ミラクルランの再現なるか

 

 挑まなければ歴史は変えられない。ミラクルランの再現なるか。4階級制覇王者に相応しい人気を得てきたとはいえないガルシアにとって、スペンス戦は一世一代の大勝負。ウェルター級も制すれば殿堂入りはもう当確で、パウンド・フォー・パウンド・ランキングでの上昇も確実だろう。

 

(写真:11連続KOを続けるスペンスは全階級を通じて最も恐れられる選手の1人になった Photo by Lionel Hahn/Fox/PictureGroup)

 ここに至る背景を考えれば、ガルシアは例え負けても善戦すればおそらく賞賛される。確かなスキルを持っているだけに、実際に前半は拮抗した勝負ができるのではないか。最終的にサイズの違いを思い知らされて敗れたとすれば、今戦後、依然としてWBCタイトルを保持するライト級に戻っても良い。

 

 付け加えれば、金銭面の恩恵も大きい。ダラス出身のスペンスとメキシコ系アメリカ人のガルシアなら、ダラス・カウボーイズの本拠地であるAT&Tスタジアムに2~4万人の観衆を集めることも可能だろう。どちらもまだクロスオーバー(全国区)のスターとはいえないものの、FOXが地上波での宣伝に力を入れればPPV売り上げの成功も視界に入ってくる。

 

 PPVを70ドルで30万件売り、利益を折半すれば、互いに500万ドル以上の報酬を得ることになる。両選手にとってもちろん最高額のファイトマネー。こうして考えていくと、スペンス戦は確かに冒険ファイトだが、実はガルシアにとって失うものの少ないファイトという見方もできるのである。

 

 しかし、ここから先は個人的な思いが中心になる。スペンス対ガルシアには理に適う部分が多いことを理解した上で、それでもやはり筆者はこの試合を心底から楽しみにはできない。「飛び級のガルシアが手順を踏んでいない」「予想が一方的にスペンスに傾いている」などがその理由ではない。この試合に気が乗らないのは、敗者(ガルシアだと予想する)がキャリア&人生が変わるほどのダメージを負う可能性が見えるからだ。

 

 同じウェルター級でもダニー・ガルシア、ショーン・ポーター(ともにアメリカ)あたりならともかく、スペンスは別格。そのパワーは2階級上のWBA世界ミドル級王者ロブ・ブラント(アメリカ)が「次元が違う」と述べたほどで、ほどんど常軌を逸している。

 

 リスクの高いギャンブル

 

 今戦の比較対象として適切なのは、パッキャオ対デラホーヤ戦よりも、2016年9月に時の統一ミドル級王者ゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)にIBF 世界ウェルター級王者ケル・ブルック(イギリス)が飛び級で挑んだ一戦ではないか。この試合で5回TKOで敗れたブルックは左眼窩骨折を負い、一度眼球を摘出した後にチタン板のプレートを埋め込むという大手術が必要になった。

 

(写真:前半は多少苦戦しても、中盤以降にスペンスのストップ勝ちという予想が圧倒的に多い Photo By Ryan Greene / Premier Boxing Champions)

 その後、ブルックはウェルター級に戻って迎えた次戦でもスペンスにストップ負けを喫して王座陥落。以降はリング登場が激減し、エリートファイターの地位から転がり落ちてしまった。ミドル級の無敵王者に挑んで賞賛を浴び、金銭的に報われたとしても、代償は大きかったと言わざるを得ない。

 

 それと似たようなこと、いや、さらに厳しい事態は、ガルシアにも起こり得る。勇敢と無謀は恐らく紙一重。ただ、この試合はあまりにもリスキーで、ケガの危険の方が先に立っているように思えてしまう。

 

「彼の家族はみんなウェルター級進出は厳しいと考えている。父エドゥアルドはやめておけと言い、兄でトレーナーのロベルトもマイキーにそれは良い考えではないと伝えたという」

 スポーツ・イラストレイテッド紙のクリス・マニックス記者がそう記していたが、本人以外、陣営、家族は揃って反対しているという気持ちもわかる(注・兄ロベルトは試合決定後に「勝機はある」と述べている)。

 

 繰り返すが、今が旬のパンチャーとの力試しを敢えて望んだガルシアのハートは素晴らしいし、金銭面を含む諸事情も理解の範囲内だ。ボクシングはもともと危険なスポーツであり、カード自体は批判するつもりはない。仕事と好みは別であり、試合当日には筆者もダラスに足を運ぶことになるだろう。

 

 ただ、凄惨なシーンを目撃するリスクが普段よりも遥かに高いように感じるがゆえ、このビッグネーム対決を心底から楽しみにすることはできない。ボクシングを見て罪悪感を感じることがあるが、今回はそんなカードである。

 

 トップランクとの対立以外、比較的意外性の少ないキャリアを歩んできたガルシアは、ここで運命を変えるほどに重要な意味を持つギャンブルに挑む。しかし、歴史はすでに証明しているのだ。ギャンブルに手を染めるものは、いつか身を滅ぼしていくことを――。

 

杉浦大介(すぎうら だいすけ)プロフィール
東京都出身。高校球児からアマボクサーを経て、フリーランスのスポーツライターに転身。現在はニューヨーク在住で、MLB、NBA、NFL、ボクシングを中心に精力的に取材活動を行う。『スラッガー』『ダンクシュート』『アメリカンフットボールマガジン』『ボクシングマガジン』『日本経済新聞』など多数の媒体に記事、コラムを寄稿している。著書に『MLBに挑んだ7人のサムライ』(サンクチュアリ出版)『日本人投手黄金時代 メジャーリーグにおける真の評価』(KKベストセラーズ)。最新刊に『イチローがいた幸せ』(悟空出版)。
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